表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/23

正妃の任期

 馬車から降りた王太子は、その足で母妃の元へと向かった。苦渋満ちる顔だった。


国王陛下がどれほどの好色家であろうとも、王太子の母である王妃を尊重していたのは事実だ。陛下は公務で王妃以外を伴うことはなかったし、誰かと違って王宮内でも他の妃を連れ歩くようなことはしていなかった。だから俺も王妃以外の妃には会ったことがないんだよ。それは隣国のメルセゲル王家に対する配慮というより、陛下自身が、王はそうあるべきだと表しているように思われた。妾と寵を競う母を惨めだとのたまった王太子も、結局その事実を認めていたからこその甘えで、陛下が第二王妃を迎えるなどとは思いもしなかったのだろう。公平な王陛下のことだ。王太子がそれをどう思うかは別にして、今後は第一第二王妃のどちらを偏重することもなく、常に二人の妃と並び立って公務に励むだろう。そう、公平な分だけ厄介なんだな。両妃のどちらが辛い心境になるのかは推さなくても知れる。


 自分が産んだ息子の尻拭いとはいえ、同情する。


王太子の今後は自業自得だからいいとしても、王妃の今後は気の毒だ。俺にできることはなんだろうと考えるも……まったく思いつかん。いつもなら先回りして助言してくれるセーヤは、王太子の後を追って行ってしまったし。小石を蹴りたい気分だ。


そうして鬱々と小石を探しながら後宮に戻ってみれば、俺の羊さんたちは改装中の風呂場に居るらしい。食堂の料理人おばちゃんにそう教えられ向かって見ると、途中ミーシャとすれ違う。俺が帰ったということは王太子も帰ったということで、伝令でも飛んだのだろう。ツーンとしながらもいそいそとした足取りだったのは微笑ましい。


 あんなところはかわいいんだよな。無責任に見てるだけなら面白いし。


適度に和んだところで、皆(主にジュメル)に王妃のことを相談しようとしてはたと気付く。俺が相談したかったのはこれじゃない。もっと大事なことがあっただろうと。王妃には陛下が居るからもともと余計な心配なんだよ。王妃は後でいいよな、うん。


「ジュメル、居ますか?」


あたりを見回す。ルゥルゥとキアロは窓辺で楽しそうにおしゃべりをしている。サファーウィとナタラ、それに馬車からずっと付いてきていたラシュートは、俺の後ろでコソコソと本日の俺情報の交換をしている。もうすっかり俺の従者だな、サファーウィ。アジュアはアルアインと一緒に材木を…縛っている。こら、それ手伝いじゃないだろ、アジュアに縄かけの講義なんぞしなくていい。あとは小熊猫姉妹、どこ行った。まさか床下に居ないだろうな、と目を走らせれば、四つん這いの尻が見える。これは姉妹じゃない。残るは、


「ジュメル?」


ジュメルは板の間に手をついてその節目を追っていた。


「はい、主様」


俺の呼びかけに、上体を起こして正座する。三つ指ついての正座だ。はずみかなにか、いや、もしかしたら子爵への対応はこれが標準なのかもしれない。可愛らしく小首を傾げる様も教育されてのことなのか。


「ええと…」俺が虚を突かれて言葉を失っていると、


「あら、いけない」と言いつつ全然悪びれすに、指を膝に置き直し姿勢を正す。三つ指は標準だ、決定。しかもわざとらしい。俺にどうしろと? 真似しろと? 帯を解けと?(ないけど)


「主様?」微笑をたたえてジュメルが言う。


俺は子爵の教育に文句をつけたかったが、とりあえずは相談する身なのでおとなしく、

「その、私の正妃の任期ですが、どのくらいがいいでしょうか。ラシュート様が、任期を決めるとおっしゃるから」気分を立て直して言葉を継いだ。


サファーウィが俺の後ろから進み出て、

「まーた次から次へと何を言い出してくれるのかしらね?」ラシュートを睨む。


「姫をこのまま後宮に縛り付けるのはお可哀想でしょう?」しれっと視線をそらしてラシュートは答えた。


「ぬ、ぬ、し様がぁ、どこかに行ってしまうっって…」


うわ、ルゥルゥ、なぜ来た。おまえは来なくていいから、考えなくていいから、泣かなくていいから。


「落ち着いて。泣くことではありません。泣きたい気持ちは、わたくしにも、その決まったことでないので、任期と言われて、その、…」


落ち着くのは俺だよ、うん。


「任期、ですね?」ジュメルは俺から視線を外さず「主様はどう思われます、か?」


「わたくしは、まだ、今が精一杯で」と首を振っておく。


具体的な期限は考えてない、考えたくなかったというのが本当のところだ。前世は働きすぎだった。女の子は好きだったし、モテたくて努力もした。人生の幅も広げたかったし、知らない場所に行くのも好きだった。が、とにかく時間が足りなくてどれもこれも細切れの中途半端だった。思う存分ジムに通い本を読みカフェを探し語学を習い旅行し舞台を観てドライブに行き山に登り海に潜り、たかった。だから今世は何にも囚われず誰に憚ることなく好きなことだけをしようと思ったんだ。それができる立場で生まれたことに感謝し今を楽しもうと。理想のこのコを楽しませてあげたいとも思った。どっちも俺だけどな。


「何か違いませんか、ね?」

「何かって?」


ドキドキしながらジュメルに問い返す。もしや俺の卑小な本心を見透かされたんじゃ…。


「主様、お邸の湯殿はご覧になったでしょう? 主様が望むのはあちらだと思ったのです、が」


 そっち? 正妃の任期はどうなった?


「いいえ、見てないのです、ジュメル様」ナタラが俺に代わり答えた。


ジュメルは目を丸くし、

「邪魔が入った、ということですね。それで正妃の任期です、か」とラシュートと俺を交互に見遣る。


察しが良すぎて、おまえはほんとは子爵の館に居たんじゃないのかと言いたくなった。言わないけど。ほんとだったら怖いから。


「主様。正妃の任期はご随意でよろしいのではないでしょう、か。主導権を手放すのはお勧めできません」


そうか。任期を決めてしまうとそれは自動的に始まり自動的に終わる。延期や打ち切りはあるにせよ、俺の一存では決められなくなる。


「ジュメル殿、それでは姫がお可哀想ですよ」


ラシュートが目を細めてどこかすげなく言った。この二人の意見が対立するとは珍しい。


「主様のご随意のどこが可哀想です、か? 任期はご自身で決められるの、に?」


念押しの語尾が力強い。ジュメル、戦闘態勢か?


「それが姫を縛り付けることになると俺は言ってるんですがね」

「あ、ら? 解いた縄で頑丈に縛り直したいのです、か?」

「ですから、縛らないようにするためですよ、ジュメル殿」

「そう言って縛る、のですね?」


どうでもいいが、オネエ様が湧くので縛る縛る言わないでほしい。ついアルアインを見ちゃうじゃないか。って、こっちはこっちでまだ材木を縛ってるし。だめだって言えないよな。理由が言えないから。むしろこれといった特技のないアジュアには手に職がついて良いとも言えるし。…職だろうか、これ。


「難しいことを言ってややこしくしないで。そんなの主様が決めればいいことでしょ?」サファーウィが口を挟む。


ジュメルは「私はそう言ってるのです」とラシュートにニヤリと笑ってみせ「任期は決めないということを主様が決めればいい、と」


それにはラシュートが顔を歪めて、

「姫にずっと後宮主をしろと?」


ジュメルが黒く笑い、

「ちなみに。ラシュート様は何年とお考えに?」


「……」


「黙りました、ね。主様、お気をつけください。百年と言われてしまいます、から」


「ばっ、そんなわけ……。俺はできるだけ短い方がいいと思ってるんです」


あはは、とジュメルが声をたてて楽しげに笑った。俺の腕に鳥肌がたつ。ジュメルが怖い。


「正直です、ね。では、妥協案として、正妃位とは何なのかを決めるのはいかがでしょう、か?」

「既に決まっていますよ。夫婦間で行うこと以外の、正妃の公務を実行するだけの者だとね」


ラシュートの言葉に険が混じった。いつもヘラヘラしているだけにちょっとびびる。


「あら、それならば、わざわざ任期など定めなくても支障はないではありませんか」にたりと笑い「そちら様方には」


ジュメル、負けてない、って、ほんと、サファーウィじゃないけど、おまえらの話はややこしい。任期の話だよな。そちら様って誰だよ。 


「へえ…では、そっちは任期を定めると支障が出ると」


だから何なんだよ? 説明してくれとジュメルをじっと見る。


「それはどうでしょうか。こちらにとって任期は便利に使うものではあります、が」

「はっきり言ったらどうですかね。俺は姫を陛下に差し出す気はないので抵抗させてもらいますよ」

「主様を…あら、同じ」そして俺を見て「ラシュート様の今のお言葉を聞かれました?」


言質を取れってことか? とりあえず、頷いてはおくが。


ラシュートが変な顔になった。


「ジュメル殿? 子爵はそのつもりでは?」


ジュメルは首を振り、そして二人は握手する。結局同じ意見だったと。よかったよかった、じゃない。そこで完結しないでくれ。


「あのぅ、私のことですよね? どういうことか教えてもらえませんか」


おずおずと手をあげる。


「どうぞお先に」とジュメルがラシュートに掌を上向ける。

「いや、レディから」とラシュートも同様に。

「私は下女ですので」と。「俺も一介の識者ですので」と。

「難しいことはわかりません、の」「いやだなあ、俺だって知りませんよ」


 ここまでやって、なぜそれ? というか、ジュメルの言い訳は一歩譲っていいとして、ラシュート、おまえはいかんだろう。


「ナタラ」指をちょいちょいと折り曲げて呼ぶ。


「はい、姫さま」と俺の真横に付いたナタラは、俺が質問をする前に、


「これはつまり、今から姫さま争奪戦が始まるということです」


なんてことを言い退けた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ