表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
22/23

愛とは


「まだ拗ねているのか?」


王太子の言葉にカチンときた。それじゃ俺がおまえに可愛いおねだりをしているみたいだろうが。


「拗ねてはおりません。これは子爵のご好意を無にした殿下への正当な抗議です」


俺は怒ってんだと睨みつけてやれば、王太子は鼻で笑って、

「易々と釣られるところを私が助けてやったのがわからんのか」

「は……?」


 俺が釣られる?


「姫は食い物が目の前にあると見境をなくすようだからな」


 だめだ、殴っちゃだめだ、堪えるんだ。


くぅっと唇を噛み締めたら、隣に座るナタラがそっと俺の腕を押さえた。だから殴らないってば。殴ったって、この非力な腕じゃ鼻血も吹かせてやれない。王太子こいつへの無礼と言う借りを与えてしまうだけだ。


俺たちは既に馬車の中。王宮にはもう着いてしまう。子爵がメルセゲルの料理を振る舞ってくれるって言ったのに、このバカ殿下が勝手に切り上げたんだ。邸もまだほとんど見てない。風呂場だって見たかった。ガス燈があるからには風呂もきっと工夫が凝らしてあるに違いないんだよ。それなのに、こいつが…、あー腹の立つ。


「姫君、子爵のお邸は近いのですからまた伺いましょう。今度は棟梁も連れて行きましょうね」


正面に座るラシュートが身を乗り出して、慰めるように俺の手を取った。それ(俺の手だ)を横から王太子が奪い(俺の手だっつうに)、

「姫が行く必要はない。メルセゲルの料理など我が王宮でも用意できる。邸を手本にしたいのならば大工だけ行かせるがいい」


 うるさい。俺に指図すんな。こんな奴は無視だ無視。


俺はラシュートをしっかり見つめ、

「ラシュート様。でしたらもう一つお願いがあります。あの子たちも連れて行きたいのです。大人数になりますけど、ジュメルなら子爵を取りなしてくれると思います」


やり口はあまり褒められないものの、彼女の交渉能力は高い。任せて安心だ。対価が怖いっちゃ怖いがな。子爵とは別口で、俺からも有形か無形かわからんが何らかの報酬をふんだくるだろう。そうしてみると、ジュメルは公然のダブルスパイっぽいんだよなあ。今の所、俺には利しかないからこのままにしておくつもりだが。


ジュメルは優れた情報収集能力に交渉力、それに判断力、さらには淑女の嗜みまで併せ持った、すこぶる有能な下女メイド。それがなぜ、女性の学び舎としての後宮(立派なタテマエだなあ)に入宮を希望したかといえば。俺と子爵のパイプ役を担うため、なんて奇麗ごとではなく、俺をスパイするためと考える方が妥当だ。子爵の態度でさっき気づいた。遅すぎで迂闊すぎる俺。でもまあ、スパイでもパイプでも侍女でも下女でも、名前が変わるだけで役割は変わらない。子爵とジュメルの主従関係は切れていないから彼女が俺のことを細部にわたって子爵に報告するのは仕事であり当然のことなんだ。俺もそこは最初から承知だった。報告されて困ることは俺には無い。兄上のイース乗っ取りの陰謀は俺は知らんから情報は出せないし、前世云々は言わなきゃ解らんし、言っても解らんだろうし。解ったとしても、セイダロン国第一王女リグレットノアの出自は変わらない。俺の立場はおびやかされないんだよ。そうさ、俺に弱味は無い。どこからでもかかって来ればいい。逆に子爵の思惑こそを掴んでやる。


「姫、そのようにごく一部の貴族とだけ親しくするのは正妃としてどうかと思うぞ」


 いや、おまえはかかってこなくていい。応戦しても俺に得られるものがない。いちおう言い返してはおくが。


「わたくしはごく一部の貴族様しか存じ上げませんので、仲良くするのもごく一部となります」


ニコリともせずに言ってやった。紹介もされていない貴族に俺からノコノコ会いに行くのはおかしいだろうよ。


「な、仲良くしているとは言っておらん。親しくしていると言ったのだ。その様な言い方は誤解を招く。以後は慎むことだ」


親しくも仲良くも同じだと思うのは俺だけか?


「慎むのは、言葉でしょうか? それともわたくしの行動…」

「両方だ」


俺の質問を早口の断言で遮った。


 ほお? 俺は腹を立ててるんだよ。それを堪えてるんだよ。そっちがその気ならと口を開きかければ、ラシュートが微笑を浮かべ首を振った。


「殿下、姫君は正妃位ですよ。そういえば、殿下の宣誓の日取りが決まりました。陛下からお許しを頂きまして…」

「ラシュートっ」王太子が突然立ち上がりかけて、また座り、「母上は…どうされるのか」押し殺した声で言った。

「どうって、どうもされませんよ。第一王妃様ですから」

「そうではなく、母上はどのようにおっしゃって…」

「ああ、そうそう。王妃様は正妃の間を辞され、今後は後宮の寵姫の間でお暮らしになられるようです。ご賢明な判断ですね。陛下が世嗣ぎのために第二王妃様をお迎えになれば、妾妃方への御渡りは当面ありません。第二王妃様を後宮に置かれ、毎夜その部屋だけに通うとなれば陛下もお心苦しくなられます。公平なお方ですからねえ」


ちろりと意味深な流し目が、俺に……。俺? 何か言わなきゃいかんの? 王妃様も俺と同じ立場だね、ナカーマって? 無理無理。


俺の勝手な葛藤をよそに「公平…」と王太子が呟く。

しかし「陛下にとって」とラシュートは飄々と話を続けた。

「女性とは、ただただ愛でるものなんでしょう。誰かを選び誰かを捨てる、などお考えもしない。花は束なればこそ、らしいですよ」


花は束でこそ、か。すごい羨まし…傲慢なセリフだが、それはアイドルユニットと同じ。なるほど。俺も反省だな。オーディションの時、誰かを選ぼうとした。そして誰かを捨てようとしたんだ。じゃあ、どうすれば良かったのかと考えると、応募してきたのがあの人数で良かったとしか、今は言えないのが情けない…。


俺が首をすくめたのをどう思ったのか、ラシュートは頷くように軽く瞼を閉じて閉き、

「陛下は、年降れど王妃様をも変わらず等しく愛でていらっしゃいます。何も体を重ねることが寵愛ではありません。陛下は話すも触れるも愛でるに同じと捉えてらっしゃる。陛下に抱かれたい、陛下の一番になりたい、陛下に愛された証しが欲しいと王妃様を含めた妃様方は強くお望みで、誘惑合戦も熾烈なのですがね。陛下は揺るがず公平にお部屋に通われるのです」


ラシュートはそこで言葉を切って、「殿下」と柔らかく呼ぶ。今日は王太子に対してかなり優しいなと思っていたら…。


「殿下はどうぞ唯一のお妃様を一生愛でてください。それも道です。いえ、それが本来あるべき人の道。大方の男は脱落しますがね。それを誤魔化しゴマかし生きていくのが男という生き物です。殿下は誤魔化さなくて良いお立場を自ら捨てたのですから、それも仕方ありません。しかし、長い目で見てどちらが辛いかは俺にはわかりませんね。大勢を公平に扱わなくてはならないことと、ただ一人を特別に扱うこと…ああ、着きました。俺の話も終わりです。ちょうど良かった。姫の後宮でこの手の話はできませんから」


言って、ラシュートは腰を浮かせた。

セーヤも続いて立ち上がり、

「真に愛する人がいなければ陛下のように、居るのならば殿下のように生きるのが幸せだと私は思います。どちらがどう辛いかではなく。さ、姫」


で、俺の手をとる、と。もう俺の手は大安売りだな、おい。


「姫?」セーヤの再度の呼びかけに、俺は黙って頷き立ち上がる。


俺の前世は、それこそどっちだったんだろうって、ちょっとだけ考えてしまったんだ。それこそ今更考えたって仕方ないのにな。


「そういえば正妃の任期はどうしましょうかね?」


ラシュートが馬車を降りるついでに、なんでもないことのように言った。


ちょっと待て。俺が正妃でなくなったら、後宮主でもなくなる。俺の羊さんたちが人手に渡ってしまうー。


「ラシュート、意地悪を言うな。姫がすっかりしょげてしまったではないか。正妃に任期など有りはしない」


王太子が朗らかに俺の腰に手をまわす。キモいからやめろ。俺はおまえの正妃に未練があるのではなく、羊さんたちに未練がある。


「いいえ。殿下の永遠の愛宣言とともに公示します。でなければ姫も伴侶を得難くなりますから」

「姫の……」


王太子が絶句した隙に、俺はそそくさと離れ、

「そのお話は後宮でも構いませんよね?」


こんな時こそみんなと相談だ。スパイのジュメルの黒い笑顔が浮かんだが、別にいい。利用できるものは何でも利用するぞ。


 任期、か。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ