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萌えの基準


 結果から言えば、俺は子爵と追いかけっこはしなかった。代わりに手を引かれ、赤い絨毯だかなんだか(よく知らん)が敷かれた場所へと連れられた。


順路としておさらいすると、東の玄関から入り、建物の北と西を囲む風情ある庭を眺めつつ濡れ縁を歩き、飛び石を渡って南の庭に出た、と言った具合。


庭もそうだが、建物も表と裏、中と外で全く違う様式だ。どこかトリックアートを思わせる。この分だと二階も楽しみだなーとのんきに足をぶらぶらさせていたら、子爵がそれを覗き込むような仕草を見せる。


 まずい、注目するところまで主従同じだ。


「ご存知ですか? 一つ傘の下に男女が共にいると結ばれるそうですよ」


子爵は俺に微笑みながら言う。俺も引き攣りながら無理やり笑ってみせた。それは突然降り出した雨に照れながら二人肩を並べるアレか? それとも砂浜に描くアレか? 意外と古風だ、なんて思ったが、この世界でそれが古いのか新しいのかよくわからん。


俺と子爵は、大きな赤い唐傘の下、赤いフェルトだか(だからよく知らん)を被せたベンチに座っている。これもまた苔むす庭と同じく郷愁を感じさせる光景で、ついついキョロキョロしてしまう。


「珍しいですか?」


の言葉に、素直にこくりと頷いた。


「そうですか。懐かしいのかと思いましたが…」


ギョッとする。その顔で子爵を見ないように、またキョロキョロするふりをした。


「お茶のお味はいかがです? これも珍しいのではありませんか?」


俺と子爵の間には、丸い盆が置かれている。俺がこんな場所に座ったのは前世でも数度しかなく、現世では初めてだ。お点前とか言われたら敵わない。よくよく盆を見る。そこにあるカップに取手はない。しかし抹茶の碗ほども大きくなくどうやら湯のみのようだ。


「熱いですからね。カップを持つときは気をつけて」


子爵は、湯のみを手に取ると気軽に口元へと運んだ。その姿に、俺はたまらず笑い出す。狼が茶を啜ってるんだよ。子爵も俺につられたように笑顔を見せた。


「子爵」と王太子が立ち上がり、

「席次がやはりおかしいようだ。そこは私の席ではないか?」


 かこーん


効果音ではない。ししおどしだ。名は知っているが、そのししおどしが会話の合いの手以外で、庭にどう役に立つのかは知らない。


「いえ、間違ってはおりませんよ、殿下」


ここには、俺と子爵が座っているものと同様の席がいくつも設けられている。王太子とラシュートが正面中央の賓客位置。側面にセーヤ。ナタラと従者は少し離れているが、これまた全く同じ仕様の席だ。盆に乗っている茶も同じように見える。ナタラへのこの待遇は、俺的にかなり好感度が高い。


「では、我が正妃の席が間違っているのだな?」


ちろと横目で俺を見る。見ないでほしい。姿が姿なのでつい怯えてしまう。


「違っておりませんよ。姫と私は『イロモノ』ですのでこちらの席です」


俺と子爵は、まだふわふわの扮装のままだ。踊り子の位置で間違いない。狼の帽子と狼グローブで茶をすする子爵。俺はまた笑ってしまいそうになるが、笑っている場合ではない。俺も兎だ。そろそろ脱ぎたい。俺と子爵以外、盛大にスベっている感が容赦ない。


王太子もラシュートもセーヤも。ツッコミも入れず笑ってもくれず、ただ遠巻きに見ている。ナタラにさえ壁を感じる。


「これ、もうよろしいでしょうか」


兎の耳を触りつつ、子爵にお願いしてみる。親切にされている手前、すげなく脱ぎ捨てるのも気がひける。


「かわいらしいですね。とてもよくお似合いですよ。お嫌いですか?」


そうじゃなくて。基本は好きだ。かわいい女の子には何を着せてもかわいいし、こんな姿で膝に乗ってくれようものなら、そりゃもー……じゃなくて。


「嫌いではありませんが、この場にそぐわないのでは、と」


ひな壇に狼と兎はないと思うんだ。日本庭園にふわふわ萌えは無いと思うんだ。


「私はいかがでしょう? 似合いませんか?」


そう言われても。似合うと言っていいとも思えない。狼頭形の帽子だ……クマとかもあるのかな……もしかして、これは実際の狩猟の場で使うものか? 俺の兎は下手すれば狩られてしまうので問題外だが、こっちは獣除けとして有り?


 狼の鼻、よくできている…


「リグレットっ」


鼻に伸ばした俺の手が、王太子によって止められる。それはいい。いや、よくはないが、それよりも、俺の名、馴れ馴れしく呼んだね? 


 かこーん


「なんでしょう?」


手を掴まれたまま、俺は平坦に言った。イケメン王子様の顔が歪んでいる。その口がふぅと息を吸い込み、言葉を発しようとする瞬刻前に、


「王太子殿下、ミーシャ殿はお元気でしょうか?」


子爵による爆弾が投下された。


 ここでそれ? 俺の腕に対する思いやりはないのか。拘束時間が長引くじゃないか。


王太子は皺の刻まれた眉間を向け、

「子爵に何の関係が?」

と質問に答えずに返す。


まあ、それが無難だな。そこを突かれると、この状態になっている俺の説明が厳しいから。手を早く放してくれないかな。


「ない、と思われますか?」


こっちも答えずに返したよ。子爵の顔色に変化はないが、険悪な空気がびしばし俺に…。だから、俺を挟んでの攻防はやめてほしい。ただの兎さんなのに。


「言葉遊びはせぬと言ったはずだ。真意を問わせていただく」


王太子の詰問に子爵は僅かに口角をあげた。微笑んでいるようにも見えるが、たぶん違う。


「将軍」と子爵はセーヤを見て、さらに口角をあげた。

「始まりは、いつからでしたか、ね?」


セーヤがハッと顔を上げ、口を開きかけ、しかし首を振るだけで終わる。


 セーヤ? え?


俺は子爵とセーヤを交互に見た。やはり子爵もミーシャのハーレム要員? いや、ジュメルは、子爵とミーシャは商談以外では会ったことがないと、つまり色恋沙汰は無かったと言ったんだ。それって、セーヤがそう思い込んでいただけ、という意味になるのか? 思い込んだらどうなるんだ? 子爵がミーシャを好きではなかったのなら、ミーシャとセーヤは最初から両思い、で? だったら子爵はどこで絡むんだ、いや絡んでないのか、うあ、全然わからん。


 ジュメルにもっと詳しく、こそこそと聞いておけばよかった。


「セーヤがミーシャと婚約していたことに何かあるのか?」


問う王太子に、子爵はまた微笑みとも取れる表情をして、


「何があったかは問題ではないのですよ。事実も要りません。そして今となっては、犯人探しも意味がありません。ミーシャ殿は殿下の唯一の妃としてこれからもあり続ける、それだけです」

「犯人だと? 何が言いたい?」

「ですから、私めが言うことなど何もないのですよ。王太子殿下」


ぴしっと王太子が切れる音が、聞こえたような気がした。子爵がしていることは、言葉遊び以外のなにものでもない。王太子が怒るのも無理はない。実は俺もちょっとイライラしてきてる。


「カターラ様、率直にお聞きしてよろしいでしょうか?」


だから口を挟んだ。王太子が怒ったところで子爵の態度が変わるとは思えない。この人は、王太子に対して全く敬意を持っていないようだし、それを隠そうともしていないし。


「始まりはいつからと、さっきお聞きになっていましたけれど、カターラ様がミーシャ様を好ましく思われていたのはいつ…」


…違う。ジュメルは、子爵とミーシャは商談以外では会ったことがないと言ったんだ。どちらかが少しでも恋慕を持っていれば、会う際に商取引があったとしても、こんな言い方はしなかったはずだ。それはあくまで商談だったのだと、わざわざ俺の前で、そしてあのタイミングで言ってくれたんだ。子爵がボウではなく商才のないミーシャと一体何の商談をするんだ? 商談、商いの相談、取引の始まりがいつかと…セーヤとミーシャの始まり…


「まさか、カターラ様、あなたは最初からそれを狙って…」

「姫、お顔が怖いですよ。兎はもっとかわいくないと」


 子爵が微笑んだ! これはやっぱり俺式ハーレム策略編。


子爵は最初から、王太子の愛妾にミーシャを据えることを目論んでいたんだ。ミーシャ本人がそう望んだかもしれないが、策を預けたのは子爵だ。そして手始めにセーヤを攻略した。セーヤが王太子に近かったからだ。競争心を煽りやすかったのもあるだろう。王太子とは過去に何度も女を取り合ったみたいなことも言っていたし。馬鹿共が、揃って嵌められやがって。


 真っ先に嵌まったのは俺だけどな。前世だけどな。


 あるいは、俺がここに生まれた理由がこれか? 王太子とミーシャの仲を邪魔し、イースを救えと? 違って欲しいけど。だってもう止められない。ミーシャは既に上りつめてしまったんだ。退くことができるのは彼女が死んだ時だけだと結論が出ている。


 どうする、俺?


どうするったって、どうしようもない。それは子爵の言う通りだ。誰の企みかを暴いても、何も変わらない。俺だって王太子に愛人が居るのを承知で嫁いできた。二人がどうしてそうなったのかは、考慮していないしする必要もなかった。だからそこは関知しなくていいはずなんだ。今までも今からも。


 だがもやもやする。すっごくもやもやする。


子爵は相変わらず口角をあげたまま、


「ところで、姫。この文化、どこのものかご存知ですか?」


混乱している俺に、突然別の質問をするのはやめてほしい。日本と言いそうになったじゃないか。トラップクイズだぞ。ヒマラヤを言葉を変えて三回言わせる、あれと同じ。


 だから落ち着け。落ち着いて、子爵の質問を考える。


日本の文化といえば、ここまでかどうか知らないが、似たような『印象』の国はある。使者の服がそれらしくあった。


寸刻戸惑った俺の代わりに、

「この庭やら傘やらを指しているなら、メルセゲル皇国だ。それが如何にした」

不機嫌そうに王太子が答えた。


 王太子の母親の出身国だ、知っていて当然か。


「だが、メルセゲルではもっと簡略化されている。ここにあるものは原始的な感じがする」


俺の納得をどうとったのか、王太子が説明するように言った。

子爵がその答えに満足そうに頷いて、


「そうでしょうとも。この庭の設計は由緒正しいメルセゲル皇国の皇太子殿下がなさったのですから」


 ………そう繋がるのか。ものすごく嫌な予感がする。


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