男は狼なんですね
「さて、どこからご案内しましょうか……」
子爵は俺の手を取ったまま目を瞑り、しばし考え込んだ。
順路を決めているのだと思う。固唾を飲んで子爵を見詰める。
「姫」と子爵は片目を開け「嬉しいので、もっと考えてもいいですか、ね?」
「嬉しい? ですか?」
なにが? 小首を傾げてしまう。
ぷっと子爵は笑い、
「男はみな狼ですから、そんな目で見ないことです」
俺、どんな目で見てた? 物欲しそうにしていたのだろうか?
そんなつもり全くなかったが。
「申し訳ありません。失礼をしてしまいました」
「いえ、私は嬉しかったですよ。場所がここではなければご期待に沿いたかったんですが、ね」
俺が期待しているのは邸の案内だぞ?
ごほん、と王太子はまた咳払い。しかし、今回はそれだけに留まらず、
「子爵、リグレットノアは我が正妃。軽口を叩かれるのは慎まれよ」
言って、子爵の手を俺から退かせた。
子爵の片眉が上がる。それは不愉快というより企みの合図? こんなところまでジュメルに似るのはどうしてだ。逆か。ジュメルがこの人に似たんだ。
「私は軽口など言いません。全て本心です。ところで、王太子殿下。本日は晩餐もご一緒していただけるのでしょうか?」
王太子は子爵に険のある眼差しを向け、
「晩餐の意図を明らかにしてもらえるだろうか? でなければ今すぐここを出る」
おーい、勝手に決めるな。俺が来たくて来たんだ。
おまえは、飾り、付き添い、ただの王太子、から好きなものを選べ。
「意図? 晩餐の意図とは、共に語らい共に腹を満たすことです。殿下は他に何をお求めに?」
王太子の顔色が変わる。主従揃って挑発がうますぎる。
「言葉あそびをするつもりはない。率直に言う。正妃に対する邪な考えは捨てて頂こう」
へえ。言う時は言うんだな。それもこれも後宮でジュメルに鍛えられたおかげかもしれない。あとで礼を言うように。
でも、面白がってないでそろそろ止めないと、だな。子爵の眉があがりっぱなしだ。下手な小細工はしないに限る。ストレートに行こう。
「殿下、カターラ子爵はジュメルのご主人様です。あの、ジュメルの、です。このお話はここまでにしませんと抜き差しならないことにもなります。それに、わたくしはお邸を見学させて頂きたいのです。何もお見せ頂いてないのに帰るのは残念です」
メイド ジュメルと、ご主人様 カターラ子爵。外から見ているだけなら絵的にとてもいい。触らないならいい。
ジュメルと聞いて、諸々を思い出したのだろう、王太子は僅かに口元を歪めると、
「妃の見たいところを申せば良い。そうだな? 子爵」
「ええ、もちろん姫のお好きなように」
王太子、ずっと俺のことを妃やら正妃やらと呼んでる。わざとか? わざとだな。
まずいなあ。俺と王太子はどうもならないが、蔑ろにされたとミーシャが思ってしまうと、その後が思いやられる。
「姫、どこをご案内しましょうか?」
「全部です、全部見たいです」
ミーシャへの対処に頭が回らないまま、弾みで答えた。
「御意」
恭しく、そしてにっこりと子爵が手を差しだす。その手をこれまた条件反射で取ろうとしたら、
「妃」
王太子が手を差し出した。
何のギャグだろうか?
不意を突かれた俺は、両手をそれぞれに預けてしまっていた。
王太子の手は取らないと決めていたのに。ほんとマズイ。
「まずは庭からにしましょう、ね」という子爵の言葉に従って、全員ぞろぞろと後を付いて歩く。俺? 俺は両脇を子爵と王太子に固められての連行だよ。
俺が休んでいた部屋は、玄関ホール脇の小部屋で、客室を兼ねた準備室なんだとか。子爵は玄関を素通りして、建物の内部へと進む。てっきり玄関ホールから外へ出ると思った俺は、右や左を確認しつつ歩く。庭と言ったが逆方向じゃないか。でも、俺の希望は邸全部を見ることだから、子爵が案内しやすい順番で不満はないわけで。黙って連行されるのみ。
この邸は、表門からすぐに玄関アプローチ。そして建物がドン、裏は竹林がすぐに迫っている。厩舎はどこにあるんだろう? 馬車も入れないのでは、当然どこか違う場所にあるのだとは思うが。
俺の隣を歩く王太子をちらりと見る。王陛下譲りの甘い顔立ちに、線の細い体。黙っていれば優しげな雰囲気。いったいどこを間違えちゃったんだろうなあ。賢くはないが、民に慕われる良い王になれたと思うのに。
まあ、間違えなかったら、俺もここには居ないわけで。
一歩後に付く、セーヤとラシュートにも目線を流す。ラシュートは今回かなり大人しい。居るのか居ないのかわからない。セーヤは相変わらず、こんな時は無表情。その後ろのナタラは…平常運転。
「庭はこちらですよ」
子爵が指差した先に近づいていけば、そこは光溢れる空間。
中庭だ。
建物の真ん中を貫く吹き抜けに、細い木が二本植えられていた。それだけで精一杯。庭に出て木を愛でることはできそうにない。部屋に居ながらにして愛でる場所。これは採光のための庭だ。照明が心許ないこの世界、昼間でも暗くなりがちな建造物の中央にこれがあれば、火を灯す時間もかなり短くなるだろう。採光だけを考えれば後宮のような回廊状の建物にすればいいのだが、この独特な癒し空間はまた別物だ。
大工も連れて来ればよかった。これ作ってくださいと言えたのに。
ラシュートを見れば目が合う。同じことを考えていたのかも。こいつは人をこき使うのがうまいから。
「ここで朝のお茶をいただくのが私の日課ですね」
子爵がゆったりと言う。
そのお茶を淹れるのはメイドさん。男のロマンだ、なんだこの羨ましさは!
「午後のお茶はあちらの庭先です」
そして歩き出す子爵。庭がまだある?
ラシュートを見れば、また目が合う。
これは期待だなと合図。覚えて大工に指示だ、任せたぞ。
「時に、妃」王太子が静かに言う。
「ラシュートとはいえ私以外の男と視線を合わせるのははしたないことだ。以後、慎むように」
え? 見てた? というか、なんだそれは!
だめだ。これはダメ。以後に慎むのはおまえの方だ。そう、以後、王太子と外出する時はミーシャも絶対同伴しよう。こいつだって前に言ったよな。ミーシャを王宮に押し込めてかわいそうだとかなんだとか。じゃあ、妾妃でも出せばいいよ。なにを変えればいい? どこをどうすればいい? 王陛下は妾妃をどう扱っているのだろう? 戻ったら早速聞いてみよう。
焦り気味に思考を巡らせていたら、子爵が止まり、俺にゆっくりと視線を向ける。
「ここからは履物を替えていただきます」
こちらに、と指すのは、メイドが持つ、どう見てもスリッパ。ふわふわな感じ。呆然としていたら、メイドが俺の足元に跪いた。
うわぁ、感動だ。でもな、俺とナタラはいい。靴はすぐ脱げる。男連中は騎乗する場合があるから脱し難い靴で…、と思ったら椅子がどこからか出現している。俺もいつの間にか座ってる。一人に二人付くメイド。完璧。
「ではこちらへ」
メイドに身を任せて幸せに浸っていたら、子爵の号令。がっかりしつつ立ち上がる。ふと見れば子爵の足元は黒いふわふわだ。周りを見たら生成りのふわふわで、俺は真っ白、ちょっと形も違う。不思議に思いながら、履き心地を確かめるために右へ左へと足を出してみたり。
「ここから外になります。樹木でかぶれるといけませんから」
どうしてスリッパを履いて外なんだよ、と内心で突っ込み入れていたら、ささっとメイドが俺の周りに。なんだ?どうした? と思っているうちにふわふわの手袋と帽子を被せられた。どうぞー、と送り出されたそこは縁側。濡れ縁ってやつ? それに沿って、細い庭がある。苔むした石、つくばい、そして竹林。
すごい、これ、日本の…
俺にはその手の趣味はなかった。嫌いなわけではなかったが、率先して旅行先に選んだりはしないし、自宅に導入しようなどと思ったこともない。
だが、この境遇になって出会うこれは。
修学旅行の時に、走ってはいけませんと言われたことまで思い出す。思い出すのに先を見たくてつい駆けてしまう。
「姫」
ああ、しまった。子爵を追い抜かしていた。一国の姫が、三十八歳のおっさんが。
バツが悪いが、振り向いてお辞儀をする。
「申し訳ありません」
顔を上げれば、どいつもこいつも瞳が丸い。悪かったよ、はしゃいだよ、ごめんなさいだよ。
子爵だけはにこにこして、
「似合いますね。飛び跳ねていただくともっと似合うんですが、ね」
え? と皆を見てから、我が身をきちんと見直せば、白ふわブーツに白ふわグローブ、まさかと帽子に手をやれば、お約束の長い耳。俺だけ。
膝ついて、項垂れたい。
ため息をついていたら、
「この場所ならいいです、ね」
子爵の背後に、黒ふわ持参のメイド出現。
しっぽが? 子爵は狼? まさかそれで俺と追いかけっこでもする? この場所で? 日本庭園で? なんか違う。全然違う。やめて、お願い、なんでもするから。恥ずかしくて死ぬ。
気付けば、俺は子爵の腕に取りすがっていた。




