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文明開化の音がする



「落ち着かれましたか?」


カターラ子爵の思いやりの言葉にも顔が上げられない。ゆったりとした椅子の背にはいくつものクッションが充てがわれている。それをしてくれたのは、侍女という風体の女人ではなく、下働の女性、いわゆる下女なのだが。


「リグレットノア姫、落ち着かれましたか?」


再度言い、子爵は片膝付いて、俯く俺を下から見上げた。


「……っ」


あの人の顔がどアップ。悲鳴を押さえて仰け反る。


「子爵殿」


セーヤの声音に非難が混じる。

セーヤと子爵、こうして並んでいると罪悪感がさらに増す。


「ありがとうございます。もう大丈夫です」


思惑を隠してにっこりと微笑めば、子爵もにこりと返してくれる。優しい笑顔だ。


「旦那様、お持ちいたしました」


ワゴンを引いて現れたのは侍女ではない下女。この世界では珍しい膝丈のワンピースにフリル付きの白いエプロン、白いソックス。タイツかもしれないがわからない。とにかく素足は見えていない。そして極め付けは、頭にも白いフリルが乗っている。名前は知らない。前世で見たことはあるが詳しい名前まで知らなかった。


 完璧なメイド服なんだな、これ。


「姫君、これを…姫?」


差し出されるカップに我に返る。


「申し訳ありません。珍しい衣でしたから見惚れてしまいました。みなさんお揃いなんですね」

「彼女達ですね。その方が無駄がないでしょう? 一目で役割もわかります。もっとも我が家に侍女は必要ありませんから、全員下女なのですが」


つまり、全員メイドだ。いやもう、なんかもう、俺と同じ匂いがする。


「この形は、どなたが考えられたのでしょうか?」

「お気に召しましたか?」


子爵は黒目がちな瞳をまっすぐ俺に向ける。柔らかそうな短髪。あの頃も日本人にしては通った鼻筋だと思っていたが、もしかするとハーフかクウォータだったのかもしれない。


「はい、とても。作られた方を紹介してはいただけませんか?」

「おやおや、これは性急な。姫のお噂はジュメルから聞いておりますよ。いろいろと、ね」


うわ、さすが主従。言い方が似てる。この思わせぶりな視線も。

そして俺の質問が二度もスルーされた。見透かされているような気もするが、それならそれで構わない。メイド服ももちろんだが、俺はこの人のことが知りたい。前世では話もしなかった。何を考えているかもわからなかった。あの人とはただの空似かもしれない。でも、知りたい。


「何を噂されているのか不安ですけど…」


俺は後宮に居る彼女らに、文のやり取りも外部との面会も、そして外出も禁じていない。子爵邸は王宮に近いこともあり、ジュメルは小まめに連絡を入れているのだろうと推測する。たぶん賭け事関連で。


「お聞きになりたいですか?」


いや、そっちはどうでもいい。どうせ本当のことなど言いやしない。俺は緩やかに首を振って話題を変える。


「それにしても、とても斬新なお邸ですね。このような建物は初めて見ました」

「初めて?」


子爵の片眉があがる。

それは、俺の内に留まる言葉を読み取ろうとしているようにも感じる。


跳ねる心臓を宥め、平静を装い、


「門柱の、明かり、あれはランプですか?」

「ガス燈です。それが?」


子爵は事も無げに答えた。予想通りだったとはいえ驚いた。


「大丈夫なのでしょうか?」

「大丈夫とは?」

「爆発、とか?」


ガス自体はいい。天然ガスはこの世界でも活用されている。

だが、酸素濃度の問題か、混ざり物があるのか、単に技術が追いつかないのか、理由はわからないが、出力調整が難しくて、こういった繊細なものには使われない。


この世界の夜の明かりは油ランプが主力。ガスはもっぱら湯沸かしに威力を発揮している。火力が不安定でも湯を沸かすだけなら不都合も危険もないからだ。王都などの人口密集地では効率を良くするために大規模な湯湧場を作り、そこから各家庭へ湯を配している。賄い人数が多い所は独自に湯場を持っている所もあり、かまどにも使っている。王宮もしかり。おかげで配管と掘削技術が進み、上下水事情もよろしく、不衛生から発生する感染病もあまりない。反面、電気は無いし、交通手段も馬に頼っている。おかしな発展の仕方だと思うのは前世の記憶があるからで、ここで生まれて育った人間はそれが普通と思うのだろう。俺もそれでいいと思っている。前世の知識を引っ張り出して技術革新する気は全く無い。一介のサラリーマンでしかなかった俺がありとあらゆる知識なんざ持っているはずもないんだ。おこがましいことをすればどこかでひずんでしまう。その予測と防護が俺にはできない。つまり、反動が怖いんだ。


「実験的にやってますからね。危険はあるでしょうが、今の所は問題ありません」


この人は発展を進める気なんだな。元からこの世界の住人なら、そうして少しずつ進んでいくのは当然の成り行きと思う。


「あの、ところで…」


身を乗り出して、問いを重ねようとしたらバランスを崩し、子爵に両手を取られ支えられてしまった。


「失礼を……あの、それで…」


早る気持ちが抑えられず、そのまま口を開けば、わざとらしい咳払いが。


セーヤを見れば無表情で、ラシュートも笑むだけ。ナタラは空気になるのがうまい。ぐるっと首を回せば、王太子が苦虫を噛み潰したような顔で、もう一回、咳払い。


 邪魔すんな。


の意味を込めて顔を背けた。

そんな俺に子爵は苦笑しつつ、


「姫、お身体は?」

「なんともありません」

「でしたら、邸内をご案内いたしましょう。ご興味がおありのようですから」


子爵は俺の手を取ったままですぐに腰を浮かした。


「あなたがご理解されるまで説明しますから、ゆっくりと、あわてずに、ついてきてください、ね」


それは子爵自身を理解するって意味に取れてしまうのは、俺の先入観のせい?



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