トンテンカンテン始まります
朝陽が気持ちいいなあ。本日も晴天なり。
「主様、本日の作業場はどこにいたしましょう?」
食後のお茶をまったりと飲んでいると、サファーウィが爽やか笑顔でそう言った。
そろそろ腰を上げたいと皆の目が俺に降り注ぐ。
「食事室だと食事の度に片付けなきゃいけないから場所を変えたいけれど」
ゼノビアとアンバラがもじもじしている。天気がいいからな。でもだめだぞ。
「畑は昼餉の後でね」と姉妹に釘を刺し、「完成まで何日ぐらいかかるかしら?」とジュメルに訊いた。
昨日仕立て上がってきた真っ白なパジャマに、それぞれが好きなように刺繍をしてもらうつもりだ。ジュメルには教師役を頼んだ。彼女は子爵家の下働きだが、刺繍は侍女クラスの腕前を持っているとナタラが太鼓判を押したからだ。
「普通でしたら十日ほどですが」と皆を見回して、「二十日は、みていただきたいかと」
俺はジュメルに頷いてみせる。本当は何日かかっても構わないし、出来の期待はしていない。たぶんお手本の真似でオリジナリティも無い。いいんだ、それで。期日を設けるのは、俺自身が皆を甘やかしてしまうといけないから。
「それなら、一部屋解放しましょう。空っぽにしておいた部屋がありましたね?」
ナタラを見れば、
「姫様の隣の部屋ですか? そうすると、かなりやかましいですよ」
俺も混ざるから煩くてもいいんでないの? という目を向けたら、ナタラの眉が寄った。
「姫様の、逆隣、お風呂場ですから」
おおう、そうだった。それも今日からか。羊さん達が煩いのではなく、とんてんかんてんが煩いのか。
風呂場の改築は、この国でお金を稼いでからと思っていたが、人件費がタダというぼろい話が降って湧いたので、急遽決めた。材料費は俺の財からとりあえず出せばいい。とりあえずといいながらその資金は戻って来なくても仕方ない。だって、俺の趣味だから。
「すごく楽しみ…」
「嬉しそうですね、姫君」
零れた言葉にラシュートが反応する。こいつも朝餉を皆と一緒に食ってたりする。で、食後のお茶もじじむさく啜ってたりする。
「ついでに、作業場として食事室の隣の部屋を改築したらいかがです? いえいえ、部屋を少し弄るぐらい、材料は要りませんよ。大工はタダなんですからね、タダ!」
食事室の隅のテーブルで、件の罪人二つの肩がびくうっと跳ねた。
聴こえるように言ったな、趣味が悪い。
その罪人と、従者AからEは同じテーブルで朝餉を摂っている。もとが平民の従者方は、平民の罪人と同じテーブルで食事をすることには何の抵抗も無いらしく、食事時間をずらそうとしたら、時間が無駄になると断られた。更には、従者方の中で、彼らは罪人から大工へと既にジョブチェンジしているらしく、全く普通に接している。しかし、彼らが馴染めば馴染むほどミーシャの逆上ぶりが凄くて、大工二名は未だに腰に縄を掛け、見た目は罪人風を装っている。腰だけとはいえ、バリエーションもさすがアルアインだ。下手すると股間も芸術に入れることもしばしばで、やめて欲しいと思っているが、口に出せないでいる。アルアインはその辺にためらいは無いようで、なぜか羊さん達もなんにも思ってないみたいで、俺だけ自意識過剰かもとか…。その…結構というか、そこ、かなり、敏感なんだよな。女と違って出っ張ってるし。俺にはもう付いてないモノだが、なんだかムズムズしてしまう。
早く棟梁来ないかな。
今日もまた、大工二名の師である棟梁が几帳面に登城するだろう。棟梁だけには代金を払うと言ったのだが、受け取ってもらえなかった。棟梁が居なかったらそもそも改築なんてできなかったと思うのに。下っ端大工じゃ、施工はできても設計までは難しい。
罪人の身元引き受け人として現れたのが、この二名を弟子にしている大工の棟梁だった。棟梁を見た途端、二人が泣き出した。棟梁も泣いて床に頭を擦り付けていた。マズイと思った。これで二人が破門にでもなったら王陛下の意向と合わない。それどころか、棟梁は三人して命を絶つみたいなことばかり言ってくれる。
いや、だから、そのうち放免するつもりだ、頭を上げて、と焦って言い募る俺をラシュートが遮ったんだ。
これ、使いましょう、と。
トイレ掃除しか頭になかった俺は馬鹿だな、うん。
二人は犯した罪よりも、棟梁をタダ働きさせることをいたく悔やんでいる。作業を早く終わらせようと、必死の様子で準備していた。それをまた別の部屋を改築させるとかって、ほんとラシュートは人が悪いなあ。止めないけど。
ということで、今現在は、作業場として広く使えるのは、やっぱり食事室しかないわけだ。
「ええと、では、本日の作業は、ここでします」
俺が言い終わるか終わらないかのタイミングで、がたんとサファーウィが立ち上がった。
「ミーシャ様、聴こえた?」
従者のテーブルとは対角の隅、そこに居るミーシャに大声で言った。王太子もなぜか居たりするんだよね。俺たちが部屋の真ん中のテーブル。なんなんだ、この構図は。
「聴こえないわ」
ミーシャも立ち上がって言う。聴こえてるだろう、それは。おまえら劇団ナントカか。
「じゃあ、聞きなさいな。今からここで刺繍だからね」
その言い方で、ミーシャに『様』付けする意味があるのか?
「どうして私がそんなことするのよ」
「刺繍は貴族の嗜みでしょう?」
「知らない」
「今、知ったでしょ。そのまま残ってね」
「なんで、あんたに命令されなきゃなんないの」
「どうせヒマでしょうに」
「おあいにくさま。私はこれから殿下と散策するの」
「じゃ、その後で来て」
「だから、なんで私が来なきゃなんないの!」
「じゃあ、私達が全員そろってミーシャ様のお部屋に入るわ。それでいいの?」
この二人、結構仲がいいんでない? このまま放っておこう。
今日の俺の予定は…ん? 王太子、ミーシャと散歩と言ったな? じゃあ、カターラ子爵の所には俺だけで行っていいんだ。良かった。カターラ子爵はジュメルの主人。賭けの大元(かどうかは知らんが)。
ジュメルを目線で追えば、途中でセーヤと目が合う。またニッコリとしやがって。そう、こいつも同じテーブルで朝餉だ。もう、ここ後宮じゃないよな。それもこれも、正妃の間に移動しないミーシャとさせない王太子が悪いんだが。
そして目的のジュメルとやっと視線が絡む。
「私はカターラ子爵の所へ行きますが、本当に一緒に行かなくても良いのですか?」
「はい主様。私はご遠慮したほうがいいです、ね。どちらの肩を持っても恨まれそうなので」
ふふふとジュメルが笑う。なんだよ、その意味深発言は!
「ジュメル、どちらとは、誰と誰なの?」
率直に訊く。俺は気が短い。兄上のことは言えない。
「それはもちろん、カターラ子爵とセーヤ様です、が」
ちらっとセーヤを見て、
「一言だけ、先に言わせてください。セーヤ様。カターラ子爵は、ミーシャ様とは商談以外でお会いになったことはありません」
セーヤの頬が片側だけ、ひくっと上がった。笑顔失敗バージョンだ。
そして俺の顔を見て、首を振る。
「全て過去ですよ、ジュメル殿」
「そうですか。でしたら結構です。イマサラ、ですね。そのイマサラを今でも全部被っている方が、あそこにいらっしゃいます、が」
それが王太子だろうな。
もしかして、かの子爵もミーシャのハーレム要員だった?
いや、それにしては言葉が変だ。
突っ込んで訊きたいが、セーヤの手前、難しい。後で訊こう。
「ジュメル、それではみんなに刺繍の手ほどきを、お願いね」
「はい、主様」
いい笑顔。裏さえ知らなければ、ほんとに……知らなきゃ良かったよ。
「姫様、そろそろ」
ナタラが行きましょうと俺を促す。
だな。王太子も行かなさそうだしな。そっと出よう。
「ああもう、昼餉まで、私はずっと散歩するからっ、あんたには付き合えないからっ」
うわ、ミーシャ、いつの間に傍に来たんだ。
「ミーシャ、散歩は侍女と行くといい」
王太子も近い。ここで会話に入るなら先に入れよ。まあ、最初はミーシャと散歩するつもりだったのだろうがな。
「そんなぁ、ご一緒してくださるって…」
「私はこれから正妃と出かけねばならん」
「殿下、私、そんなこと聞いてませんわ」
「妾妃に私の務めを報告しろと?」
「え……いえ、そうは言ってません」
「それで良い」
やっぱりおまえも行くつもりか。しかし、ミーシャに対する態度が微妙に威丈高になってないか? 以前のようにベッタベタに仲良くして欲しい。俺のために。
「殿下、ミーシャ様とどうかお散歩へお出かけください。カターラ子爵は、ジュメルを入宮させて頂いたことのお礼に伺うだけですので」
何度も言ったはずだ。
ジュメルの身元保証は当然のごとくカターラ子爵で、調査など必要なかった。が、さすがにご挨拶も何もナシというのは、大人としていかんし、興味もあるし。ちょこっと探りも入れたいし。
「姫、それは正妃の仕事だ。王太子である私が同席することに何の異議が?」
ここにきて、膝カックン的な正攻法。普通にしてれば普通の王太子なんだよ、こいつも。側近、ミーシャを殺したいだろうなあ。
「では参りましょうか」
ラシュートが立ち上がった。だよな、王太子が行くならおまえも行く。
「はあ。そう、ですね」
仕方なく俺もイヤイヤ立ち上がったら、ミーシャには睨まれ、セーヤには気遣わしげな視線を寄越された。
そうだ、ここで宣言しておこう。
「ミーシャ様、わたくしは殿下の馬車には乗りません。殿下のお隣はいつでもミーシャ様です」
ふんわりと、ミーシャと王太子に笑ってやった。
「姫、正妃としてそれはどうか?」
おっと! 王太子から思いがけない反撃。
それはの『それ』って一体何のそれだ!
落ち着け、こんな時には正論だ、正論で返すんだ。
「殿下、婚姻関係にない男女が二人きりで馬車に乗るのは、よろしくありませんよ」
「だが、姫は私の正妃だ。私の横に並ぶのは正妃であろう?」
食い下がるなよ。貴様の今までの実績が、それを反証してるだろうに。
「それは公の場であって、密室の場ではあり得ません。どうしてもとおっしゃるのならば、ラシュート様、セーヤ様ともご同乗をお願いします」
ここは絶対譲らない。なし崩しパターンは避けねば。俺は絆されたりはしないが、既成事実っぽくなってしまうと身動きが取れなくなる。
「殿下」ラシュートが口を挟んだ。
「六頭立てをご用意します」
大きな馬車で皆で行こうってことだ。
「ラシュート」
咎めるような王太子の声に、
「未婚儀の女性が拒否されている以上は、紳士としてなさるべき行動ではありません」
ラシュートはけんもほろろに言い捨てた。
そんな出だしだったものだから、馬車の中は相当に気まずい無言が続いた。幸いだったのは子爵家は王宮に近く、それほど長い時間の我慢ではなかったことだ。
馬車から一歩外に出て、俺はまず驚いた。門柱から邸までのストロークが短い。だから建物も街道から丸見えで、馬車も門の中には入れない。建物自体も、装飾が全く無い。無駄が無いと言えばいいだろうが、つるりとした石造りの建造物は、コンクリート打ちっぱなしに見える。この世界ではかなり異端。
そして門柱には、鷲もどきの獅子ではなく、外燈らしきものが乗っていた。前世でよく見た。この光景。
「姫」
一気に過去から引き戻された。気付けばセーヤが俺のすぐ横に居た。ちょっと切なげなのは、今の俺の心境がそうだからか。
「行きましょうか」
そうセーヤに言われて辺りを見れば、邸主を傍に王太子の背は玄関内へと消えようとしていた。邸主は王太子を気遣った後に、俺にきちんと向き直った。
「お初にお目にかかります。カターラです」
ふ、と見上げて、俺は固まった。
なんだ、これ。
相手は首を傾げて、
「私はカリン・カターラです。ジュメルが大層お世話になっております」
照れくさそうに笑い、俺の手の甲に挨拶の口付けを落とした。
「姫?」
セーヤの声にびくっとして。
振り向いた王太子と目が合って。
俺の口から出たのは…。
「かた…はら…さん?」
これは何かの罰だろうか。
「カターラです……姫君?」
セーヤがハンカチを出したが、俺は反応できない。
あの人だ。俺は口をきいた事はない。会ってもいない。あの人は俺の事は知らないはずだ。俺が見ていただけで。
「馬車に酔われましたか? 無理をしてはいけませんよ。部屋を用意しましょう」
優しくしないでくれ。俺は、あんたに酷いことしかしてない。女を寝取っておいて破滅を望んだんだよ。
違う……違う、このヒトはあのヒトじゃない。あの人じゃないんだ。




