買い食いはお花見の醍醐味です
セーヤの腕から解放されたと思ったら、馬車でまた王太子と二人っきりだ。往路よりも沈黙に重量感があり辛かった。早くここから出してくれ。馬車はもう止まってるだろ。
「姫」
王太子が滑らかに手を差し出す。まさに王子様然とした手指だ。ツヤツヤの爪に細く白く長く、節の無い美しい指。それでも俺より一回りは大きいが、ミーシャの手よりも繊細だろう。男としてはどうなんだ、これ。女としては嫌なものじゃないか? などとうっかり見入ってしまった…。手を出したまま、王太子は動きを止めている。しかし、懲りないヤツだ。俺はその手は取らない。王太子の顔を見ないようにして、ドレスをつまみ軽く礼。
「殿下、ありがとうございました。ここで結構です」
どうぞ帰ってくれ。
「何を言う。せっかく来たのだ」
王太子は手を引っ込める気配はない。馬車から降りる気満々か。ここまで送ってくれればいいと言ったのは、目的もそうだが、おまえと早く離れたかったからだ。
くそう、まだ食べていないものを攻略したかったのに。焼き果物、断念するしかないのか。汁の飛び散りが激しそうだからなあ。
そう、ここは西の広場。これで三度目。
俺は、気に入った場所は間を置かずに何度でも行くリピート野郎なんだよ。悪いか。
「姫」
「大丈夫です。お気遣い無く」
手を取らずに馬車から降りた。意地ではない。けじめだ。第一、あの繊細な手に俺の手を乗せてしまったら、似合いすぎる。それはイヤだ。よくわからんが本能が言う、そんなの絶対やだ。
馬車から降りた王太子は興味深げに辺りを見回している。あいにく、広場の真ん中ではなく、広場寄りの家屋の中だ。さすがに王太子をこんな場所で野天に晒すのは危険過ぎると、ラシュートが商家の横屋を手配した。
「ラシュートが二度目だと言っておったが、姫はここがよほど好きなのだな」
「はい」
俺は三度目だが、ラシュートは二度目だ、間違ってないから訂正はしない。
「自ら行きたかったのだろう…」
悪い事をしたと王太子の顔に書いてある。殊勝なのはボウの件があったからか。
王太子の「なぜ、そなたが行く?」の言葉にラシュートが素早く反応し、ここに居るようにと言い置いて、セーヤと買い出しに行ってしまったんだ。がっかり。
ふと気付くと、ナタラが俺の首に風呂敷大のハンカチを巻いている。
「セーヤ様が、姫様にと」
「そう」
コツンと音がし、ナタラがテーブルにボウルを置いたのだと知る。
「指すすぎも用意したほうが良いと」
「……そう」
あれを心置きなく食べろということか。俺が屋台を制覇する気だとわかったんだな。
もうね、怖いを通り越して、俺のことはわかって当然だと思う『慣れ』の方が恐ろしい。
ナタラの動きを目で追っていた王太子が、俺に視線を戻した。
「ミーシャと食事をする時は、食堂を貸し切った。演舞を観る時は劇場を、遠乗りする時は狩り場を封鎖して…」
何を言いだすのかと思えば、ミーシャとのデートの模様を延々と。
王太子とミーシャは成婚するまでに二年も交際期間があったわけだから、二人でお出かけシチュエーションもそりゃたくさんあっただろう。
もしかして、また二人でどこかへ行きたいのか? だったら俺に話を振らず、勝手に行けばいいだろうに。ああ、はいはい。リアクションしろってことか。
王太子の愛のメモリを適当に聞き流し、頃合いを見計らって、
「ご夫婦で、ご静養に行かれたらいかがですか?」
静養という名の旅行にミーシャと行けばいい。王族は休むことも公務だ。俺が代行できる部分は、イヤイヤやってやるぞ。
なのに、なぜか王太子の眉間には皺。
「他人事のように言うのだな」
他人だから、他人事だろう。俺とおまえは夫婦じゃない。…あ、そういうこと? 俺が、俺たちのことを夫婦と呼んだと思ってるんだな。もうめんどくさいなあ。
言うまでもないが、俺とおまえのあれ、婚儀じゃなかっただろ? 夫婦の誓いもしていない。だから俺とおまえは夫婦じゃない。誰が俺たちを指してそう呼んでも、俺がそう名乗るわけにはいかない。
ミーシャとの婚儀は、俺との後すぐに執り行われたらしい。妾妃と婚儀を行う場合の慣例は無視されて、双方の宣誓があったと聞いている。だから間違いない、君たちこそ夫婦だ。
「でしたら、ご静養の名ではなく、殿下とミーシャ様のご成婚記念のご旅行とした方がよろしいでしょうね」
すっとぼけて言葉を重ねてやれば、王太子の口がへの字に曲がった。
思い違いに気付いてくれたようで結構。
俺の立場で、角を立てず、嫌味にせず、間違っても妬いているように見せず、直言するのはホント神経使う。察して欲しい。
王太子が溜息をついた。
「そなたとは、先に話合うべきであったな……どうかしていた」
ナタラが、従者を促してそっと部屋から出て行く。
困る。
どうせ後で白状させられるなら、一緒に聞いていて欲しい。俺、ものすごく緊張感のない恰好だし。大きなハンカチが涎掛けのようにでろんと首から下がっている。
「私は、ミーシャを幸せにすると誓ったのだ。裏切る事はできぬ。裏切れば、それはミーシャに思いを寄せていた者全てを裏切ることになる」
いきなり何を言う。俺はどうしろとも言ってない。言い返そうにも、なんだか間抜けだ。涎掛けを取りたい……。
「ミーシャを娶るために、私はそなたを正妃に迎えることにしたのだ。全てはミーシャのためだ。しかし、そなたは大国セイダロンの姫。いつかその権力を笠に着て、ミーシャに仇をなし、虐げるかもしれない。ならば、ミーシャが傷つく前に、ミーシャと姫との差を徹底的に示し、姫にここでの立場を思い知らせればよいと考えた」
涎掛けに奮闘している間に話が進んでるな。ナタラ、どうしてこんな時にカチンコ結びをするんだ。
「父王の後宮では未だに数多の妾妃が寵を競っている。その中で、力ない妾妃は虐げられ、弱り、病み、時には静かに去り、葬られていく。だが、父王は決して助けない。寵愛を奪い合う妾妃達を見ては悦に入り、徒に子を為すだけだ。妾の子など、そして妾など、なんの力も持たせられぬのに」
解けない。指も痛いし、諦めようか。
で、父王がなんだって?
「母上とて惨めなものだ。空気のようにただそこに居るだけだ。だから私はミーシャ一人をずっと愛すると、ずっと大事にすると誓った。母上のような思いは絶対にさせぬと」
……まあ、言いたい事はわかるが。
そもそも、この国の後宮は、跡継ぎを作るためではなく、支配者の色と欲を満たすためだけに在るわけで、王陛下は正しい運用をしていると言える。辛辣な言葉で王陛下の変態性を強調されても、変態なのはこの国の制度なので致し方ない。加えて言うなら、王陛下は、政と色事はきっちり分けている。後宮内の問題が外に波及することはない。王妃も影は薄いが、公務に出られている。他の寵妃は公の場面に出て来ない。王とすれば至極真っ当だ。
ま、それはそれとして。
この国、おっさんがそろって好色なのは間違いない。オーディション会場に集まったおっさんしかり、ボウしかり、王陛下しかり。年老いてますますお盛んなのはお国柄かもしれない。
そんな王の息子である王太子、おまえだが。
自分だけは清廉だと思っているのがな。俺も決して人のことを言えるほどご立派な人間ではないが、俺の羊さん達に勝手な事をされても困るから、やっていることの矛盾だけは突っついて、ヘタな手出しを封じておこう。
「王陛下はお美しくお優しいですから、妾妃様方が競われるのもわかります。皆様一途に王陛下の愛情を頂きたいのでしょう。愛する方に思いの全てを託せる妾妃様方が、羨ましいと思います」
王陛下はおっさんだが美形だ。どうでもいいが王族が美形なのは美姫を連綿と娶ってきたからだと思う。さらには博愛主義だ。俺にも惜しみない賛辞を美辞麗句で並べてくれる。モテて当然だ。
何が言いたいのかといえば、例え王が変態の飽き性であっても、妾妃は王が好きだからやってるんだと。後宮に居たいだけなら争わない。王が嫌いなら出て行けばいい。入宮保証に退宮の取決めもあった。俺の苦労も無駄ではなかった。よい勉強になっている。
王太子が黙った。言葉を探しているようにも見える。では、もう一発。
「殿下、わたくしはセーヤ様に救われたのです。ミーシャ様のお父上を前にして、あまりの惨めさに消え入りたくなっていたわたくしに、兄上を説得してくださるとあれほどに言い募ってくださいました。そうでなければ、縋る思いもないわたくしには、もはや耐える術も無く、ただこの身を貶めていったことでしょう」
王妃が惨めと言ったので、同じ言葉を使ってみた。
王妃と俺、それに妾妃、さあ誰が惨めでしょう? 少なくとも俺以外はどこにも売られてないぞ。
王太子の顔色が変わる。
「それ、は……そなたとの婚約が成った時に、ミーシャが不安に震えたのだ。それで、正妃など、なんの価値もないと、あのような言葉を…私はまだ姫に会ってはいなかった。だから、決して、本当に、そなたをボウのところへ通わせようなどと思って言ったのではない」
勢いに任せて、本音を言ってしまったのだろう? その時の本心本音だ。今は違うかもしれないがな。わかってる。人間だもの、仕方ない。ってことで、このぐらいにしておこう。エラそーなことを言ってしまうと、自分はどうなんだと自己嫌悪に陥るから、こっちもツライんだ。俺は決して正義の味方じゃない。
突然だが、席を立ち深々と頭を下げた。
「殿下。本日は本当にありがとうございました」
極めて事務的に。さっきの話はもう終わり、忘れましたという態度で。
「殿下に立替えて頂いたお金は、アンバラとゼノビアの給金より月々差し引くつもりでおりますが、殿下には、王宮に戻り次第、わたくしから全額を返金させていただきます。ラシュート様にお預けしますので、後はよしなに」
「いや、それは要らぬ。元はと言えば、私の…その、私の言葉が、誤解を生んだのだ。あのような恥知らずな証文をそなたの目に触れさせてしまったのも…」
そうそう、よくあんなものを文章化したよ。この様子だと、王太子が言ったことも掠めて入ってたんだな。もっと色々言ったんだろうなあ。会う前のこととはいえ、迂闊に過ぎる。焼いて無くしたかったのは、ボウではなく、王太子の方だったか。
「あのお金はあくまでも宿代であって、わたくしの身代金ではありません。ここはスジを通して、お受け取りください」
これでわかれよ。あれは手打ちの金でも、俺をボウから買い戻した代金でもない。
「身代金? いや、違う。断じて違う」
俺はもう一度ぺこりと頭を下げた。
「でしたら、お受け取りください。殿下」
と上目遣い。ちょっと笑ってもやる。
「わたくしは、殿下とミーシャ様のお邪魔をするつもりはありません。殿下とわたくし、二人きりでご一緒するのはこれを最後にしていただきたく存じます。それこそミーシャ様が嘆かれます。わたくしのことはこれまで通り捨て置いてくださいませ。どうかお二人とも末永くお幸せに」
王太子がそうありたいと望むのは、父王への反骨と信条と振られた男共への義理から、だったか。肝心なものが無い気がするが、それだけ大事なものがあれば十分だ。ぜひとも頑張ってくれ。悔いなく生きろ。じゃ、俺はもう考えないから。
「姫……詫びを受け入れてはくれぬのか」
「セーヤ様のお言葉だけで十分に救われました。それ以上は望みません」
おまえ、詫びてないだろうが。
そういや、セーヤ、遅い。注文してから焼くのかな。すっぱかったらパスさせてもらうが。
「違う、そうではない。そうではなく……」
まさか、こっちの話のケリが着くまで、扉の向こうで聞き耳立ててるんじゃないだろうな。
「もし、姫にもっと早く出会っていたなら、私は…」
ああ? くっそ、それ言うのか? 俺はその言葉が嫌いだ。しかも外に居る人間に聞かれたらややこしくなる。悪いが、強制的に止めさせてもらう。
「過去は動かせません、殿下」
「姫………」
過去に戻ったら私はあなたを選ばない、が俺的別れの最悪ワード。できない仮定で何をするもないだろう。言われた方はどうすりゃいいわけ? そっちが戻れるなら俺も戻るわ。で、絶対おまえを選ばない。未来がわかってるからな。だからおまえに俺を選ぶ選ばないの選択肢は無いんだよ、気付けよ、ばかだな。
次点ワードは、本当に好きだったのかわからない。その次は、誰でもよかった、ヤケになっていた、遊びだった、と続く。確かにその時は好きだった、でも今は違う人が好き、ではダメなのか? 言ったら負けなのか? そういうのに限って「今度の愛が本物」みたいなことを言う。またそういうのに限って、しばらく経つと「こんな気持ち初めて」野郎も出現する。隙間ダミーか、俺は。
もちろん俺だって人の事は言えない。心変わりなんかするする。言い訳はしないようにしていたが、褒められたことではないのはわかってる。確固たる理想があるのも良くなかったと今なら反省もできる。けど、そんな俺だからこそ、一生を一人に捧げると言いきった王太子が、正直羨ましくもあった。長くは続かないと見る意地悪な俺も居たわけだが。
いかん、思考が横道に逸れた。
王太子が惚けている間にこそっと歩いてノブを掴み、怒りを込めて、勢い良く扉を引いた。
「やっぱり」
そこに突っ立つのはセーヤ。扉に近づく俺には気づいていただろうに、取り繕うにも言葉が出ませんって顔だ。どこから何を聞いてたんだ。ほら、少し待つから、態勢を整えろ。
「リグ……姫、熱いうちにお召し上がりください」
言われて見れば、皿の上には、たるんだピーマンのような物体(たぶんこれが焼き果物)と串刺しのなにか(わからん)。完璧に冷めてる。
「姫様、お飲物はどうされます?」
セーヤの後ろからナタラが顔を覗かせた。
「なんでもいいわ。皆の分もお願いね」
そして王太子に振り向き、
「屋台を見てきてもよろしいでしょうか? すぐに戻りますから」
笑ったはずが、口が引き攣れた。王太子の顔も引き攣っていた。
そして、俺は、涎掛けの存在を席に戻るまで忘れていた……。
またもや王太子と二人きりの空間、これが最後最後と言い聞かせ、じっと馬の足が止まるのを待った。
「姫」と懲りずに手を出すので、察しの悪さに絶望する。これはもうきっちり言うべきと、中腰のまま。
「殿下。その手を取る事は一生ないでしょう。例え転んでも」
人生においてもな。
「手を貸すぐらい良いだろう」
「いえ、いけません」
だから、違うっしょ。けじめは大事。つうか、早く馬車から降りたい。
「セーヤのことだが、あれは…いかがするつもりだ?」
あれってなに?
小首を傾げたら、王太子が微笑む。
「セーヤがそなたの兄君にお会いすると言ったことだ」
あの場限りの助け舟に、俺の援護が必要なのか? いまいちわからないが、
「わたくしの口添えがあればと言われてましたね。兄上も忙しい方ですし、弟を名代としてこちらに呼びましょうか」
ボウへの牽制にそこまで必要か? どこまでやればいいんだか。
あれ、王太子が止まった。なんかマズかったか?
「それとも、わたくしがセーヤ様とセイダロンに行ったほうがよろしいのでしょうか?」
説明がめんどくさくなるから行きたくないが、兄上の許しを得て戻って……? 許されたらダメなのか。?? 通い妻だっけ? 正妃はそのままで、便宜上セーヤの通い妻になる? それだとメルセゲルはどうなるんだ? ……それ、兄上が許すか?
「姫は、そう、したいのか?」
俺がしたいとかしたくないとかじゃなく、おまえはどうしたいんだ。
「名目は正妃のままでよろしいのでしょうか? 殿下はわたくしとは宣誓してませんよね? 見届けはどうなっているのでしょうか?」
この国の王族の婚姻の成立は、宣誓を見届けた司教が、神の許しを得て、その名を刻碑した時ではなかったか? 見てないが。正妃の位は、書証の手続きが済んだ時点で成立だ。……それも見てないな。
あ、また王太子が固まってる。いや、もう、限界。なぜこんな密室で二人でこもらなきゃいけないんだ。もっと広いところで話合えばいい。ということで、退場しようと…。
「失礼を」突然扉が開かれた。セーヤだ。
「殿下、たった今報告が。後宮に賊が侵入し、ミーシャ殿が襲われたようです」
なにがいったいどうした?
などと思う間もなく俺はセーヤに馬車から担ぎ出されていた。
「ミーシャはっ」
王太子も馬車から飛び出している。
「ご無事のようです。そのかわり……」
セーヤは言葉を続ける前に俺をぎゅっと抱きしめた。
「サファーウィ殿がお怪我されているらしいとのこと」
え?
セーヤは俺を抱えたまま走り出していた。
「姫、騎士の後宮への立ち入りにご許可を」
セーヤの言葉に頷けば、それを合図に従者の一人が離れて行く。
応援を呼ぶ為だとわかっているが、去る者の背が心を細くさせる。
またぎゅっとされた。
少しだけ、息がつけた。
「殿下ぁあ、怖かったぁのぉ」
耳をつんざく悲鳴まじりの嗚咽で、我に返った。目の前のミーシャは、涙で目の周りが真っ黒になっている。
そう、だ……
「サファ……」
声が喉に絡んで出てこない。息が苦しい
「姫、そちらに」
「どこ、」
傷は酷いのか? 命は…。
「主様ー」
声だ、サファーウィの。
「サファーウィっ、サファーウィ、どこ?」
「……ここです、主様」
下の方からの声に恐る恐る見れば、セーヤの足元に座り込んでいるサファーウィが居た。
「どこが痛い? 怪我、手当、誰か、早くっ」
セーヤの腕の中でじたばた暴れていたら、そっと降ろされた。
「サファーウィっ」
「大丈夫です。大丈夫、なんともないです、主様、大丈夫ですから、そんなお顔、しないでください」
「だって…立てないの? ね? 足、怪我したの? ね? 誰かっ、早く、サファー……」
「しいっ」とサファーウィは人差し指を唇に当て「主様、大丈夫ですって。立てないのは怪我をしているからではなく」声を落として「ドレスの後ろが破れているからです」もっと小さく「こうしてないと、お尻、丸見えなんです」
確かに、座っているにしては、横に手を着き、かなりの後傾姿勢。
「じゃあ、ほんとに? 大丈夫? サファーウィ!」
「いえ……あの、主様、あのう、主様に抱きつかれるのは良いのですが、セーヤ様まで混ざってるのはどうしてでしょうか?」
見れば、苦笑うセーヤとサファーウィを俺は同時に抱きこんでいた。なぜこんなことに?
「姫」
呼ばれてセーヤの視線を追った。俺の片手が、セーヤの上衣をしっかりと握り皺々にしている。
「う、ごめ、なさいっ」
手を放したいのに、うまく動かない…。
「小さな手で精一杯掴んでる」
笑われてむっとするも、やっぱりうまく動かない。セーヤはそんな俺の強張る拳を両手で包みやわやわと揉んだ。
大きな掌、固く節くれ立った指。努力の跡。これに見合った成果があればいい。そのセーヤの指が、上衣から俺の指を一本一本ゆっくりと剥がしていく。
「動く? 怖かったね」
指を曲げたり伸ばしたりして、うんうん、頷いた。怖かった。サファーウィにもしものことがあったらと……。そして今は、靴屋の親父さんおかみさんお兄さんの顔がばばばっと浮かぶ。大事な娘さんを危険な目に遭わせました。申し訳ない。
「ギュスターブさまっ、こわかったんです、わたし、ほんとうに」
またもや高音に耳がもっていかれた。いつの間にミーシャが近寄って来たんだ。
「サファーウィと言ったな。話はできるか?」
王太子が寄って来たから、ミーシャも来たと。
セーヤは一歩退いて、王太子に礼を取った。ミーシャへは取り立てて反応はしていない。
「はい。できますが、このままの姿勢でお許しください」
王太子がヘンな顔をする。いかんのか? いかんのだな。状態わかってるか? わかろうとする気もなさそうだな。
「殿下、少々お待ちを。ナタラ、サファーウィの着替えを」
「主様、ルゥルゥが取りに行ってくれてます。もう来なきゃおかしいのですけど、大丈夫かしら」
ルゥルゥ…そうだ、みんなは? で、誰が襲ったんだ? ここは、と改めて場所を確認する。後宮。中庭が見える回廊だ。王宮への扉は、ここからは間仕切りで見えなくなった。ミーシャの部屋の扉も見えなくなった。間仕切りの扉は締まっている。
「サファーウィ、他の皆は?」
「無事です。皆で中庭に居たら、不審な人影が見えたので飛び込んだんです。それで、窓枠に出っ張りがあったようで、ひっかけて、これです」
サファーウィが自分のお尻方面を指す。それは賊にやられたんじゃないのか…。
「宮廷大工もたいしたことはないわ。主様が怪我でもしたらどうするつもりかしら」
それ論点違うから。それにしてもドレスの淑女が窓を飛び越えるなんて想定はしていないと思う。俺もそんなことしない。だいたい、中庭からこの窓まで、結構な高さがあるんだぞ。飛び降りるはあっても、飛び込むってのはないだろ、普通。
まあ、とにかく、だ。
「ナタラ」
「わかりました」
名を呼ぶだけで察する賢い侍女。王太子とはすごい違いだ。
「サファーウィ様、ここでお着替えは無理でしょうから、羽織るものを持って参ります。ルゥルゥ様がお見えになったら、ご一緒に別室へ移動しましょう」
「ありがとうございます。お願いします。女性ばかりの時はそのまま動いていたんですけど、騎士様が来られるとは思ってなくて」
おけつ丸見えで動いていたってか! ダメだぞ、いくら女の子同士とはいえ。ん? 女性ばかり?
「侵入者は? 男ではなかったの?」
「主様、男だろうが女だろうが、私は敵に後ろは見せません」
聞かなかったことにする、うん。
……? なにかが強制的に聴こえる。だんだん近づいてくる。聞かなかったことに……できたらいいのに。
「サファーィーーっく、これでーひいっくー、いいーーうう、ひいっく、すんすんーんん、サアァーイー、ーぅぅぅ……ふぅあ、ぬし、さまあ、サーイーひと、っっく、なぐったよぉ」
ルゥルゥ、全然大丈夫ではなかった、な。




