現実的な話をしましょう
そんなこんなでゴタゴタしたもののオーディションは無事終わった。
俺は甘かったなあ。はあ。
いろいろ勉強になった。何年生きてようが、経験してないことは赤児と同じ。知らずに驕っていたんだな。もっと謙虚にならなくては。
「姫君、お手がお留守です」
にこーっとラシュートが笑う。
「は、はい。ごめんなさい…」
「休憩します?」
「いえ、大丈夫です」
「お茶、おいれします」
有無を言わさずとっととナタラがお茶の準備に入った。ラシュートもペンを置く。俺は伸びをしたかったがやめて(ぅあー、とか声が出そうだから)、首を少しだけ回した。
今、俺が戦っているのは、入宮保証。
後宮に入る女の子には、この入宮保証が与えられる。身元保証とは逆に後宮での待遇を後宮主(王や王太子)が保証するもので、一種の契約だ。今回は、従来のものに給金の取決めを加える。寵を競って後宮主から金品を巻き上げる技は妾妃にしか使えないから。
それが難しい。たかが八人、されど八人。
支給品は一律で良いとして、給金は能力差に応じなくてはならないだろう。その差がどの差なのか。例えばアルアイン。皿洗い以外はできないが、以前に貰っていた給金より低いのは後宮としてどうなんだ? じゃあ、高くすればいいのか? どのくらい?
とまあ、こんな具合で頭が痛く、なかなか進まなかったが、あと少しだ。
それが済めば、残るは身元保証の裏付け取り。まだ一件しか終わっていない。身元保証の書類手続き自体は全部終えた。そうでなければ女の子達は後宮には入れない。
平民が後宮に入るには身元保証人が要る。貴族ならば要らない。身分そのものが保証となるから。
しかし、元来の後宮の慣いでは平民出の妾妃の場合も、多くは事前に貴族の養子となるため、この手続きは回避される。訊けば、ミーシャはセーヤとの婚約時にすでに貴族の養子になっていて、入宮に問題はなかったそうだ。つくづく都合が良いな。
今回、妾妃ではない女の子たちを誰かの養子にすると後々面倒なことになるので、身元の保証は俺が後ろ盾になりラシュートが保証人となった。保証する人間が揃えば書類はカンタンなものだが、裏付け(履歴の確認みたいなもの)を取るとなるとそうカンタンにはいかない。女の子達の故郷へ実際に足を運ばなくてはならないからだ。彼女達を信頼するしないの問題ではない。いらんトラブルが舞い込むのを未然に防ぐためには必要な手順だ。
そんなわけで、過日、ラシュートは従者Aを連れ、農婦姉妹の故郷へ向かった。一番の難儀を一番に片付けるために。
姉妹は両親を早くに亡くした。頼れる親戚も財産もなく、二人は世話人の元に身を寄せるしかなかった。世話人とは村の相互幇助制度で、権利は養子に等しいが、子は労働の義務を負う。幸いな事に、姉妹を引き受けた世話人は優しいおじいさんだったらしく、実両親よりも手厚く扱ってくれたのだとか。
これと、借金のカタで取り上げられた農地の件が、姉妹から得られた事前情報だ。結果としては、ラシュートが立てた三日の予定は七日に伸びた。さんざんだったらしい。
やはりと言うべきか、世話人の財産は譲渡の手続きもされずに、全て一人の官吏のものになっていた。官吏ならば所有権の書換えは容易にでき、この手の不正は多いと聞く。王都からの姉妹の身元調査にブルった官吏は、農地を任せていた小作人を殺し、姉妹の世話人の(元)家に火を放った。小作人に罪をなすりつけるつもりだったらしい。
「証文の話は不問にするつもりだったんですがねえ」
茶をすすりながら、どこか遠くを見てラシュートは言う。
ここ最近でイケメンなのにすっかりジジくさくなったが、理由はわからん。
「それを責めはしなかったのでしょう?」
俺も犯人は見逃すことを了承していた。真実を暴く必要はない。勧善懲悪もしない。一つを叩けば二つが出る。どこまでやる? と思うぐらいなら最初から手をつけない。そう思っていたが…。
「ええ。姉妹の出自を調べていただけですよ。官吏を責めて、万一農地が戻ったとなれば、あの子達、帰っちゃいますからね。そうしたら姫君が寂しいでしょ、引き留めるにもね、強引にはできないしね……はぁ」
イヤな男だな。元気がないのに嫌味は言える。はいはい、その通り。農地が戻っても姉妹を村に帰すつもりはなかったよ。悪い官吏を捕まえても、姉妹の不遇は目に見えているからな。権利があるとはいえ、元が世話人の、他人の財だ。どうなるかわかったものではない。
しかし、鬱陶しいため息だ。少し慰めてやるか。
「燃えてしまったものは仕方ありません。そんなに気を落とさないでくださいな」
「まあ、そうですね……はぁ」
ラシュートはまた残念そうに溜息で返事をした。こいつは姉妹との約束がフイになったことが残念なのだ。
世話人の葬式の日、その場でぽいっと追い出された姉妹には、生きてきた分の思い出が家に残ったままだった。特に、姉は網結針が、妹は種に未練があった。それをラシュートは持って帰ると二人に約束していたのだ。妹のゼノビアはそれなら鋤鍬も苗床もと言い募っていたが、俺が諦めさせた。だいたい苗床なんかどうやって持ってくるんだよ。後宮の中庭を自由に使っていいから、それで我慢しろと言ったんだ。
「明日、セーヤ様に護衛を依頼しましたから。残りの件、よろしくお願いします」
姉妹のことで、もう一つ片付けなければならないことがある。それは明日、ケリをつけようと思っている。
「二人も連れて行くのでしたね。姫君も侍女殿もご一緒で。俺の周りは花ばっかりで嬉しいです」
また軽薄な。
でもまあ、その時ついでに、姉妹が気に入る網結針と種を買おうな。
おまえの汚れた爪は約束の代わりにならないから。
炭はなかなか落ちないんだな。そんな真っ黒な指じゃイケメンの魅力三割減だぞ。
言わないが。
そんな風に言葉を溜めていたのがよくなかったのか、次の日。目覚めて一番に思ったことがつい口に出た。
「朝餉っ、朝餉っ、今日は何かなあ?」
「楽しそうですね、姫様」
そしてまたつい「うん!」と元気よく。
けらけらとナタラが笑う。
…油断した。
俺はふわふわで妖精さんだが、子供っぽくてはいけない。
セイダロン国第一王女にして、イース国王太子…妃?
「………」
「いいのですよ、姫様。わかっております。お早くお目覚めでしたものね」
まあいいや。今更取り繕ってもナタラには通じないし。
「みんなは、もう起きたかな。食事室には、まだ来てないよね?」
俺は皆と食べる朝餉が楽しみなのだとあっさり認める。
ナタラは、またカラカラと笑い、
「とっくにいらっしゃってますわ」
「え……早すぎない? いつもそんなに早くないと思うのだけど」
ナタラは首を傾げて俺を覗き込む。
「みなさま、夕餉がお済みになりますと早々に床にお就きになります。ぐっすりとお休みになられて、朝はもうそれはそれは早起きなんですよ」
それは農婦二人の影響か? …あり得る。健康には良いし、夜遊びなんて出来ない環境だし、丁度良いかもしれないが、それなら、朝はもっと早く食べないと、お腹が空いてしまうだろうに。
「ナタラ、みなさんには私に構わず好きな時に食事をするよう言ってもらえないかしら? 会食の時は先に知らせるからと」
勝手に食っていい。俺に気を使わなくていい。
「姫様、ご自分の主張を通されるのもよろしいですが、お嬢様方の身にもなってあげてください」
「そう、ね。どんなことを言っても気は使うわね。どうしましょう」
「どうもしなくてよろしいのです。今まで通り、起きてお腹が空いたら食事室へ」
「でも、それでは、時間が合わないときに困るでしょう」
ナタラはゆっくりと首を振った。
「お嬢様方は、朝も昼も晩も、姫様の不規則な食事時間に合わせられるよう早くから食事室にいらっしゃるのです。待って、姫様が来られないようでしたら食事を始めます。これは妾妃の正しき有り様ともいえます」
何を言いだすんだ。後宮にいるからって妾妃ではないんだ。誰がそんなことをしろと言った。俺は適当に食事室に顔を出して、みんなが居れば一緒に食べて、マナーを教えて、それが…楽しいばっかりだったのに。
「いったい誰がそんなことを命じたの?」
ナタラはまた首を振った。
「誰も命じておりません。お嬢様方がそうしているだけのことです」
「では、食事は自由にしてもらうように、私が言います」
「それはご命令でしょうか?」
「違う。命令とか違うから。そういうのじゃない。命令なんかしたくない、だから…」
俺が言えば、自由にしろと命令することになるのか。真逆だけど、命令は命令なんだな。
「では、今まで通りです。参りましょう。姫様のお腹が鳴きそうです」
「……」
「姫様が楽しいと思われているのと同様に、そうすることでお嬢様方も楽しいのではないでしょうか」
そしてナタラは、さも楽しげに笑った。
食事室の扉は常に開放してある。女性は賑やかだ。いつもなにがしかを喋っている。こうして廊下を歩いていると、そんな話し声が……聞こえない。
ナタラと目を合わせる。おかしい、と。いくらなんでも静まり返り過ぎだ。今日に限ってみんなが居ない? そうならそうでいいんだ。けど、俺は駆け出していた。
「みんなっ、何かあったの…です…かな?」
あは、と言いそうになったがやめた。一斉に礼を取る女の子達に微笑んでみせ、姿勢を整え、今更ながらしずしずと進み出る。
「失礼いたしました。殿下。ご機嫌うるわしゅう」
かどうかは知らん。顔なんか見てない。さっさと頭を低くして、とりあえず言葉を待つ。その隙に辺りを目だけで見回す。
可哀想に。みんな小さくなってる。特にアジョア、肩を窄めるな。それただの猫背だから。
彼女らは王太子には最低限の挨拶はしただろうと思う。万が一の対処は教えてある。難題があれば、俺に伝えるの一点張りでいいとも言ってある。
それにしても、こいつだ、こいつ。来るときは先に言えとあれほど(文で)念押しをしたのに。おまえの後宮であっても勝手に入るな。おまえの妃はミーシャ一人だと。もちろん柔らかく書いたぞ。そのために王宮にある正妃の部屋も食事室もティーサロンも明け渡したんだ。にも係わらず後宮一番の部屋を手放さない。仕方ないから、女の子達がそこに足を踏み入れないよう、ミーシャの部屋から2つこちらの部屋前で簡易の間仕切りを設け、鍵も向こう側から掛けられるようにした。結果、後宮の計三部屋をミーシャに与えたも同然だ。向こう側ならどれほどいちゃついてもいいように、きっちり陣地分けをしたんだ。
それなのに、こいつ。
俺の頭の頂点から湯気が出ていたらいいのに。
「部屋がわからなかったのでな」
俺の部屋? それで、ここで待っていたと? おまえが来る理由にはなってないだろ。侍女を寄越せばいい。
「御用ならば、わたくしが参ります。白玉の間も稀には使われたいことでしょう」
王宮の端にある滅多に使われない賓客サロンで会いましょう、と言ってやった。あの部屋、白玉とは名ばかりで、暗くて狭い。置いた書類が三日でカビた。あそこでお茶とか絶対ない。手に持つ前に菓子がカビそうだ。だから使われてないらしいが。だから俺がちょっと使わせてもらったんだが。三日で懲りたのは前述の理由だ。
王太子、早くなんか言え。
と思っていたら足音がする。今日は走ってないんだな。王太子はミーシャを待っていたのか? なぜいつもいつもこうなんだ。どうせ来るなら、一緒に連れて来いってば。いや、もう連れて来なくていい。俺が白玉の間へ行く。そこで待ってろ。
ミーシャの入場に合わせて、俺の可愛い羊さん達がまた一斉に礼を取る。ミーシャは一瞬目を見張り驚いた様子だったが、すぐに気を取り直したようで、優雅に女の子達を一瞥すると、その鼻先を掠めて歩き、王太子の真横に立った。
俺は、腰低く顔伏せたまま。きょろきょろし過ぎで目玉が痛い。
「今から食事か?」
俺に言った? ミーシャにか?
「セイダロンの姫」
俺か。そんなの聞かなくたってわかるだろうが!
「はい」
「みなと食すのか?」
「はい」
「朝餉はいつもこの時間か?」
「はい」
「後宮の料理人は何名か?」
「は……」
「知らぬのか?」
「はい」
「私も知らぬ」
「…はい?」
「美味か?」
「はい」
いつまで続くんだ、これ。あと三回やったら、『いえ』バージョンにするからな。
「殿下」
ミーシャ、止めてくれたのは有り難いが、しなだれるな。女の子達の教育に悪い。俺はキッと面を上げた。離れろ、との意思を込めた、つもりだったのに。
「私もここで頂こう」
そんな返事は期待してないんだよ。なぜここ? なぜ今? なぜ笑ってるんだ?
「よいか。姫よ」
俺が断れるわけないだろうが。知ってて聞くなよ。厨房だって無理だとは言えない。王太子用の食事は王宮の厨房から運ぶだけだし。
「…はい」
もう用はないな。女の子達のフォローをしなくては。
場を辞そうとしたら、
「姫。本日、都へ降りるそうだな」
「はい」
セーヤに護衛を頼んだから、王太子にも伝わったか。
俺の行動を王太子に報告する義務はない。公務以外は話さないと本人が言ったんだ。
拡大解釈とは言わせない。今話してるこれはなんなんだと思わないでも無いが。
「先程から、はい、しか言っておらぬな。他に言いようはないのか」
それで事足りるからだろうが。でも、それならお言葉に甘えて、
「殿下。失礼ながら、朝餉も教育の場になります。殿下がご同室されましても、お構いできません。お許しくださいませ」
「よい。許す。普段通りにせよ」
「ありがとうございます」
よし、無礼講だ。そしてわざわざ同室と言ったんだぞ。同席じゃないんだぞ、と。
さささっと女の子達の側に寄る。だから、アジョア、猫背はよせ。ぽっちゃりを気にしていることは知っているが、そんなことをしても小さく見えない。俺はまんまが可愛いと思うがなあ。堂々とニコニコしてたらもっと可愛いのに。
このコ達は、ヘタをすると平民の、庶民の普通の食事のマナーもわからなかったりする。農村出の姉妹は基本が手掴みだ。だから平民式と貴族式、二通り教えることにしたんだ。平民出の騎士方と結婚するかもしれないし、また、招かれた先が爵位持ちかもしれない。できるにこしたことはない。
「本日の朝餉は、普通に」
平民式だぞと宣言。それをナタラが厨房へ伝えに行く。途端にみなの顔が綻ぶ。ただでさえ王太子の前だ(離れてるけど)。格式張った作法なんかやらせたら味もわからなくなるだろう。俺の主義は、おいしいものを美味しく食べればそれでよし、だ。
「みなさん、昨日は何をしていましたか? 私は相変わらず書類とにらめっこでしたが」
話題もフランクに振ってやる。
「ああの、姫様、みんなで、相談したんですけどっ」
「なんでしょう?」
そんなに慌てて喋らなくてもいい。だからゆっくり答える。
「ひめさまのことっ、このまま、よんでそれであんまり」
「何をいってるのぉ! わかんないわ」
「口より手が動いてる」
「もう少し落ち着きなさいってば」
一斉に喋りだした。いつものことだ。賑やかでいい。
「キアロ、わたくしを呼ぶのがどうしたのです?」
方向性を決めてやる。俺だって女の会話にはまだついていけないんだよ。みんな早口だし。
あ、キアロが黙った。なぜだ。誰か代わりに言え。いや、ルゥルゥ、おまえはいい。何か言う度に泣くから。
察したサファーウィが凛とした声で言った。
「姫様をひめさまと呼ぶのではなく、主様とお呼びしたいのです。いいでしょうか?」
うっわ。ぬしってなに。でも、このコ達も困ってたんだろうな。姫と妃殿下どっちかなと。
王太子の侍従は俺の事を妃殿下と呼ぶ。よくはわからないが、王太子の立場をこれ以上悪くしたくないのだと思う。俺の従者は活用形はいろいろあれど姫で統一されている。
そこで入宮保証の説明にあった後宮主になるわけだ。雇い主だし、まあ、妥当か。
「いいですよ。少し照れくさいですが」
きゃあ、と歓声があがった。口々に「ほらね」とか「ぬしさまっていいよね」とかきゃいきゃいはしゃいでいる。
その間、王太子とミーシャがどうしていたかは、背中越しだから知らん。二人の声も、こっちが煩さすぎなので全く聞こえなかった。
ただ、この日、夕餉の時にも王太子は現れたらしいから、そう気分を害したわけでもないだろう。
アンバラとゼノビアの姉妹は、夕餉までに後宮に戻ったが、俺は諸事情により間に合わなかった。
次の日の朝餉にも、間に合わなかった……。




