第八話 アンパッサン
「鼻歌まで歌って、随分と上機嫌だな」
チャフは隣を歩く銀髪の娘に、呆れの視線を送った。
悩みを払拭するべく散歩に出た身としては、少々の悔しさを覚える。
「今日だけは、浮かれていても見過ごして欲しいです」
銀髪の娘は軽い足取りでステップを踏み、チャフの数歩前で綺麗に反転する。
勢いで帽子が落ち、銀髪が露わになった。鮮やかな赤で染められた腰帯が色付いた風のように舞う。
冬の凍り付いた道に、赤い葉を持つ銀の花が咲いた。
チャフは苦笑して落ちた帽子を拾った。
「今日だけもなにも、君とは初対面だ。……秘密の商談とやらが、よほど上手くいったのだな」
チャフは帽子についた土を払って、銀髪の娘に手渡した。
照れたように頬を染め、銀髪の娘は帽子を受け取る。
「はい! 計画にも参加してくれるそうで──」
言いかけて、銀髪の娘は片手で口を押さえた。
リスの様にキョロキョロと辺りを見回して、人影のない通りを確認する。
銀髪の娘の様子を見て、秘密事だと察したチャフは苦笑した。
「……今の話は、他言無用にした方が良いのか?」
「……申し訳ありません。浮かれ過ぎですね、私」
流石に反省したのだろう。銀髪の娘はしょんぼりとうなだれた。
チャフは苦笑を深めた。
銀髪の娘の肩を軽く叩き、励ます。
「そう落ち込むな。身につまされる」
「……身につまされる?」
銀髪の娘に復唱され、チャフは失言に気付いた。
苦い顔を背けるチャフを見て、銀髪の娘は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「他言無用にした方が良いのでしょうか?」
「……そうしてくれ」
銀髪の娘は愉快そうに喉の奥で笑った。
「秘密を握り合った者同士、仲良くしましょう」
銀髪の娘は唇に人差し指を当て、もう片方の手を差し出した。
怪我で力が入らない事を告げて、チャフは握手に応じる。
繋いだ手を固い約束の先駆けにした。
手を離しながらも、銀髪の娘は瞳にからかうような光を宿す。
「とはいえ、私の秘密は後二、三年しか効果がありません。その後は、私が一方的にあなたの秘密を握る事になりますね」
唇に当てていた人差し指でチャフを指し、ニヤリと笑ってみせる。
「それは怖いな」
あからさまな冗談なので、チャフは肩を竦めて見せた。
元々、気分転換に出てきたのだ。
鬱屈した気分が種の冗談に、乗ってみるのも一興だろう。
「そうでしょう、怖いでしょう」
銀髪の娘は真面目そうな顔を作って、しきりに頷く。
口元にはまだ笑みが残っていた。
「でも、大丈夫です。あなたの秘密が無くなれば、解決ですもの」
指示棒よろしく人差し指をくるくると回しながら、銀髪の娘は言葉を重ねる。
「私があなたの秘密を解決して差し上げましょう」
自信満々に薄い胸を叩いた銀髪の娘は、チャフにウインクした。
「……君が?」
戸惑ったチャフが半信半疑で問い返す。
銀髪の娘はこくりと頷いた。
「私はクラインセルト領を救う女ですもの。少年の悩みの一つや二つ、瞬く間に解決して見せましょう」
「クラインセルト領を救う?」
一商人にしてはスケールが大きい。
チャフが問い返すと、銀髪の娘は大きく頷いた。
「すぐには無理ですけどね」
前言を撤回する気はないようだ。
銀髪の娘が持つ自信に、チャフは興味を覚えた。
「クラインセルト領を救うと言うが、どの様な手段で救うのだ?」
「それは秘密です」
返って来た言葉の中身のなさに、チャフは苦笑した。
「そうか、秘密か……」
チャフは聞いて損した、と言わんばかりの態度だ。
銀髪の娘は不満そうに唇を尖らせる。
「信じてませんね?」
「変えようと言う気概は認めよう」
「上から目線ですね」
実際、チャフは子爵領において、ソラに次ぐ権力者である。
上から目線なのは当然だが、そんな事とは露知らず、銀髪の娘は悔しそうだ。
「あっと言わせてやりたいです」
銀髪の娘は頬に片手を当てて、考える素振りをした。
あーでもない、こーでもない、と独り言を呟く。
しばらくして、面を上げた銀髪の娘はチャフに挑戦的な瞳を向けた。
「……では、こうしましょう。今から、私が未来のクラインセルト領を描いて見せます。十年後、いえ、五年後には私の先見の明に恐れおののいて下さい。そして、人生相談をしなかった己の迂闊さを悔い改めて下さい」
随分と強い言葉が並ぶ。
チャフは苦笑しながらも、口を挟まずに聞いてやることにした。
夜の通りを歩きながら、銀髪の娘は語り出す。
「まず、クラインセルト領が抱える問題として領民の非生産性があります。奪う事、だまし取る事ばかりに精を出しています」
銀髪の娘が指摘する。
外からクラインセルト領にやって来たチャフも、気付いていた事だ。
官吏は富を収奪し、商人は買い叩く事に罪悪感を抱かない。
富を増やそうとせず、喰らい合う。あぶれた者は餓えて死ぬ。
クラインセルト領はそういう場所だ。
チャフは振り返り、真新しい領主館へと目を向けた。
──クラインセルト子爵も気付いているはずだが、改善策は講じていないな。
生産性を高めるには、領民の意識改革と技術力向上が必須だ。
財政難のソラには手が伸ばせない分野だった。
チャフは銀髪の娘に視線を戻す。
銀髪の娘は背中で手を組み、夜空を見上げながら歩いていた。
いつも変わらない表情を向ける月が、今夜も地上を見下ろしている。
「何処かの町で、生産性向上のために施設が造られます。伯爵領から子爵領へ流れ込む難民を施設に収容し、格安の労働力として、商会や職人の下に派遣する事が目的です」
銀髪の娘が語った施設は、職業訓練を根に据えた派遣会社だ。
──クラインセルト子爵を越える実績になりうる。
一瞬、目を見張ったチャフだが、次の瞬間には表情を曇らせた。
「確かに、実現すれば生産性の向上に役立つだろうが……」
──問題が有りすぎる。
第一に、技術が無く、職業意識も低い難民を、労働力として受け入れる相手が見つからない。
第二に、既存の職人ギルドの反発が懸念される。
更に、難民を養う資金の捻出だ。人数にもよるが、かなりの金額になるだろう。
──クラインセルト子爵がやらないだけはある。所詮は手に負えない夢物語だな。
チャフがため息混じりに、指摘しようと口を開きかけた。
しかし、銀髪の娘は肩越しに振り返って口元だけで笑ってみせる。
「──あなたが危惧している事は全て解決します」
開きかけたチャフの口が動きを止める。
銀髪の娘は小さく笑い声をこぼした。
「素敵な間抜け面ですね」
「おい……解決します、とはどういう意味だ?」
聞き捨てならない言葉に、チャフは問う。
銀髪の娘は笑った。
「もうすぐ、場は整います。後は運命の糸を用いて、動かすだけ。素敵な人形劇の始まり、始まり」
微笑を湛えて、銀髪の娘はチャフへ手を伸ばした。
「どうせなら、あなたも劇に参加しますか?」




