第四話 大樹館
ミズナラの巨木が朝陽に照らされている。
薄い朝霧の中、立派な建築物が浮かび上がっていた。
王国では極めて珍しい木造の二階建ては、圧密木材の強度を商人や富裕層にアピールする目的を兼ねている。
これが後に敬愛を込めて大樹館と呼ばれる事になる、ソラ・クラインセルト子爵館だ。
今日はたったの一年で急造した大樹館の完成日である。
「領主として、一応の格好は付いたな」
ソラは満足そうに腰に手を当て、大樹館を見上げる。
領主の館は土地の顔であり、領主の顔だ。
いくら財政難であっても、領主館が貧相に寂れていると領民の購買意欲も下火になる。
土地を治める領主様があの様なら、自分達はもっと倹約しなければ、将来的に破産するのではないかと、領民は不安を覚えるものだ。
もっとも、クラインセルト伯爵がソラと同じように立派な領主館を建てたなら、領民の反応は違ったものになる。
すなわち──良いご身分だな、悪徳領主。首を洗って待っていろ!
ソラは子爵領成立から一年の間に、領民の税負担を減らした。
一方で、薫製木材や圧密木材の輸出貿易で稼いでいる。建築費用も貿易による利益から出ていた。
領民に恨まれないよう、神経質なまでに組み上げた状況だった。今なら、少々の贅沢が許されるくらいに領民からの信頼がある。
ソラに無駄金を使える程の余裕があれば、だが。
ちなみに、隣に建っている元町官吏の屋敷は、火炎隊の宿舎に転用される予定だ。
「かなり無理をさせましたが、何とか間に合いましたね」
ラゼットがソラの横に立ち、領主館を眺める。
庭には疲れきって寝転がっている大工達の姿がある。
建築技術について聞きに行こうとするリュリュをサニアが必死に止めていた。
「リュリュ、今は寝かせてあげなよ!」
「ウチが聞きに行くとなんか喜ぶから大丈夫」
「容姿を悪用しちゃ駄目だってば!」
サニア達のやり取りにソラは苦笑した。
放置しておくと、リュリュがサニアを振り切ってしまう。
ソラはサニア達に声を掛ける。
「まだ準備が残ってるぞ。内輪のパーティーではあるが、来賓の殆どは敵なんだ。舐められないように、飾りつけないとな」
ソラが大樹館の入り口を指差し、中へ入るよう命じた。
今夜、ソラは子爵領に居る九人の官吏を招いたパーティーを企画していた。
パーティーの話自体は、ソラが子爵領に到着してすぐに企画されてはいた。
企画者である官吏達は、ソラの叙爵祝いを名目に様子を見るつもりだったのだろう。
ソラがパーティーを一年も先延ばしにしたのは、まともな会場が用意できなかったためである。
元町官吏の屋敷をそのまま流用した場合、空き家に住み着いた貧乏子爵と嘲られる。
ただでさえ、八歳のソラは軽く見られているのだ。
腐敗した官吏の気を引き締めるためには、ソラに一定以上の才覚があるという事実を突きつけてやる必要があった。
出し抜こうとは思えない程の力量差を官吏達に見せなければならないのだ。
珍しい木造建築で、建材は最新かつ独自技術の圧密木材。
大樹館の威容は、官吏達の背筋に冷たい汗をかかせる事だろう。
「──それにしても、チャフはどこに行ったんだ?」
ソラが周囲を見回す。ラゼットも同じように辺りを見回している。
「いつものように、剣の訓練をしているのかもしれませんね」
「パーティーに出席してもらわないと、困るんだがな……」
最近のチャフは取り憑かれたように剣の訓練に勤しんでいる。
護衛のフェリクスに負け続けているからだろう。
ソラはしばし逡巡して、口を開く。
「チャフを呼んでくる。ラゼットは飾りつけを頼んだ」
「分かりました。では、ごゆっくり」
「さぼるなよ? ゴージュは一緒に来てくれ」
気の抜けた声で了解したラゼットの姿が玄関に吸い込まれていった。
「……よし、行ったな」
ラゼットが消えた事を確認し、ソラはニヤリと笑う。
怪訝な顔をするゴージュを後目に、ソラは職人の一人に近付いた。
「例の物は用意してあるのか?」
仰向けになって寝ている職人に、ソラが問いかける。
すると、どうした事か、疲労困ぱいで倒れていた職人達が次々に目覚め、上体を起こした。
彼らはキラリと輝く白い歯を見せる。
「もちろんですぜ、旦那!」
「この一件で子爵が大好きになりやした!」
「男として見習わせて頂きまさぁ!」
「因みに、設置はまだですぜ」
職人達は次々にまくし立て、ぐへへとだらしない笑みを浮かべた。
「愛すべき我が領民よ! 俺はお前達が誇らしいぞ!」
握り拳を天へ突き上げ、ソラは大げさに職人達を褒め称える。
「では、俺は行く。くれぐれも、悟られるなよ?」
職人達に念を押して、ソラはゴージュと共に歩きだした。
問いたそうな顔をしているゴージュには取り合わなかった。
元町官吏の屋敷の庭が、チャフの訓練場所だ。
ソラが屋敷の敷地に入ると、チャフが地面に膝を着いていた。
痛みを堪えるように右腕を抑えている。
隣にはフェリクスが立ち、チャフへ冷ややかな視線を注いでいた。
「──木剣まで用意して朝っぱらに呼び出したかと思えば、この程度とは……。舐めんじゃねぇですよ」
手に持っていた木剣を放り投げて、フェリクスはチャフを鼻で笑った。
チャフに手を差し伸べる事はもちろん無い。
これ見よがしに欠伸をしながら、フェリクスがゴージュの横を通り抜ける。
「おい、貴様──」
ゴージュがフェリクスの腕を掴もうと手を伸ばす。
しかし、ソラがゴージュの服を引き、止めた。
「放っておけ。これはチャフの戦いだ」
ソラの真剣な眼に押され、ゴージュは渋々、口を閉ざした。
ソラはチャフに歩み寄った。
チャフは歯を食いしばって痛みに耐えている。額には汗が浮いていた。
「腕を痛めたのか?」
ソラが屈んで問いかける。
チャフが目を見開いた。ソラがいる事に初めて気が付いたらしい。
「た、大した怪我ではない!」
チャフが慌てた様子で抗弁する。
ソラはチャフの声に嘘の響きを感じ取った。
「……試しに、握手してみろ」
ソラが右手を差し出す。
チャフは少し迷っていたが、強い瞳に見据えられ、仕方なくソラの手を握る。
「まるで力が入ってないな。ゴージュ、診てやってくれ」
ソラが首を振って、ゴージュに診察を命じる。
ゴージュはチャフが引っ込めようとした腕を逃さず、手首を掴んだ。
「骨は無事のようですが、念の為、一晩は固定して様子を見た方が良いでしょうな」
「待ってくれ。今晩はパーティーがある」
ゴージュの診察に対して、チャフが言い返す。
チャフは相談役の肩書きを持っている。パーティー中、官吏達と握手する機会も多いだろう。
逆の手でも出来ない事はないが、問題は握手が出来るか否かではない。
「チャフは欠席だ。今回のパーティーは官吏を脅す事が目的だからな」
相談役のチャフが怪我をした状態で会場に姿を見せれば、効果が半減してしまう。
怪我は失敗や不注意を連想させるからだ。
「固定しなければ、出席しても問題はないだろう」
チャフが決定に抗う。
しかし、ソラは冷静に反論する。
「握手を求められたら、どうするつもりだ?」
「それは……」
「力が上手く入らない以上、すぐに気取られる。大人しく寝ていろ」
チャフは反論しようにも言葉が見つからず、俯いた。
仕事にも支障をきたした自らが惨めに思えたのだ。
ソラはチャフの心の内を見抜いていたが、言葉は掛けない。
ソラが何を言おうと、チャフのプライドを抉るだけなのだから。
代わりに、ソラは迷いなく歩き出した。
──年齢を超越して、ライバルとして見れるように、手を打つか。
ソラは晴天を見上げながら、嘆息した。




