第三話 ポーンは正面の駒を取れない。
「ところで、ここは元伯爵領。教会の影響が根強い地域だ」
ソラが話の切り口を変える。
村長がさり気なく使者の太ももをつついた。
気を付けた方が良いという合図である。
お節介とは分かっていても、ソラにしてやられた先達として、せめてもの忠告だった。
ソラは視界に村長の動きを捉えていたが、咎めはしない。
最初から、強引に話を進めるつもりなのだから。
「魔法使い派であるベルツェ侯爵領の職人が安全に過ごせる場所を作らないといけない。職人を押しつけて、まとめ役も無しって事はないんだろう?」
使者は話がなにやらおかしな方向へ流されている事を感じ取り、慌てて口を挟む。
「それは組合を作る、という意味でしょうか?」
組合、つまり組織力で教会に対抗する案だ。
ソラは首を振って却下する。
「後ろ盾がないと、組織を作っても教会には対抗できないな」
「クラインセルト子爵は後ろ盾をしてくれないのでしょうか?」
眉を顰めて使者は訊ねる。語調には職人を受け入れるだけで後は放置する気かと、批判的な響きが含まれていた。
ソラは肩をすくめる。
「もちろん、協力する。だが、如何せん、人手不足だからな。必要な時に、俺の手が空いているとは限らない」
ソラは無念そうな表情を作る。
ソラの後ろでは、ラゼットが苦笑しそうになっている口元を片手で隠した。
「そこで俺に一つ、ベルツェ侯爵へ提案があるんだ」
ソラの無念そうな表情が一転して、落書きを両親に披露する子供のような明るい笑顔に変わる。
ツェンドが反射的に身を硬くした。ソラが無茶苦茶な“おねだり”をする気だと悟ったのだ。
ソラは一瞬の目配せだけでツェンドに意志を伝える。
曰わく、巻き込まれたくなければ大人しくしていろ、と。
ソラは邪魔者を牽制し終え、口を開く。
「何人か官吏を借してくれ」
「……は?」
使者が口を開けたまま訊ね返す。
しかし、仕事熱心な彼の頭脳は、ソラの提案が叶った場合の未来を計算し始めた。
町一つを職人に貸し与え、そこの官吏をベルツェ侯爵領から招く。
官吏は子爵領主のソラとベルツェ侯爵の後ろ盾を得た事になり、教会も迂闊なことが出来ない。
「……しかし、それは子爵領の一部の統治権をベルツェ侯爵へ移譲する様なものではありませんか?」
「もちろん、町官吏はチャフにやってもらう。ベルツェ侯爵領から招いた官吏に取り仕切らせつつ、子爵領の相談役、チャフが監督するんだ」
チャフが町官吏となり顔役を務める。彼は子爵領の相談役であり、子爵領の首脳陣という立場だ。
子爵領の人間が上司であれば、統治権の移譲は起こらない。
ベルツェ侯爵領から招いた官吏が実務を請け負うこの計画。一見、人材を引き抜かれるベルツェ侯爵が丸損しているように思える。
しかし、職人は復興支援の名目で一時的に派遣するだけ。
ベルツェ侯爵は、職人と同時に派遣していた官吏を自由に呼び戻すことが出来る。
そして、魔法使い派ベルツェ侯爵は復興支援の名目でチャフと関わり、中立派トライネン伯爵家に直通パイプを作ることが出来る。
通信技術が未発達なこの世界、顔見知りは情報を円滑に伝えるために重要だ。
その人物が身分を偽っていないか、一目で判断できるのだから。
同じ理由で、トライネン伯爵家としても損はない。
チャフ個人を見ても、実務能力のある官吏との交流がスキルアップに役立つだろう。
使者はうつむいて考えながら、ソラを盗み見た。
「──俺の利益が何か分からないって顔だな」
「見透かされましたか。是非、お教え頂けませんか?」
ソラは乗り出した身体を椅子に戻して微笑んだ。
「人の縁は財産だろ?」
こんな時だけ子供っぽく首を傾げて、はぐらかすのだから手に負えない。
喰えない相手だと、使者は苦笑した。
各々の拠点に帰る使者達を見送った後、ソラは早足で執務室へ戻る。
ゴージュ達の訓練に付き合ったため、朝の分の書類仕事が終わっていないのだ。
ソラはラゼットを伴って二階の廊下を歩く。
「それにしても、念願の官吏を手に入れる機会が、向こうから転がり込んで来るとは」
ソラは機嫌良く呟いた。
子爵領の官吏は腐敗している。
クラインセルト伯爵が任命した人材をそのまま使っているからだ。
不正の方法は予想を付けてある。証拠集めも順調に進んでいる。
だが、ソラの家臣の中に官吏を務められる人材が一人も居ない。
腐敗していようと、不正がはびこっていようと、ある程度は仕事もしている。いないよりはマシだった。
しかし、ベルツェ侯爵領から官吏を招く事で人材育成が可能となる。
今後を考えれば多大な成果。
ソラは見返りを要求されないように、使者の質問の答えをはぐらかしたのだ。
彼にとって、人材は何にも代え難い財産なのだから。
「後は薫製の運搬で河川の交通量が増え、渋滞が問題になるな。積載量を増しつつ、大型化はしない方向で新型船を開発しないと」
「リュリュが喜びそうですね」
「まったくだな」
ラゼットと二人で笑っていると、ソラの耳に喧嘩腰の話し声が聞こえてきた。
「……なんだ?」
ソラは声が聞こえてきた方向に顔を向ける。
窓から裏庭を見下ろすと、チャフと護衛のフェリクスが相対していた。チャフは木剣を構えているが、フェリクスは素手である。
フェリクスは両手をだらりと下げた気だるそうな体勢で、口を開く。
「話になんねぇんですよ。フェイントを目線で語ってりゃあ世話ねぇや」
チャフが木剣で切りかかるが、フェリクスは涼しい顔でことごとく避けていく。
実力差を存分に見せつけておいて、フェリクスは踏み出し過ぎたチャフの右足を踏みつけ、動きを封じた。
次の瞬間にはチャフの手首は掴まれ完全に動きが封じられる。
この時点で勝負は決していた。
しかし、フェリクスはチャフの顔面に容赦のない裏拳を叩きつけ、勢いのままに振り抜いた。
チャフの上半身が仰け反り、木剣が手放される。
地面に木剣が落ちる音と同時にフェリクスが怒鳴る。
「剣を手放すな!」
フェリクスは鞭のような回し蹴りをチャフの胴体に見舞う。
体をくの字に曲げて息を止められたチャフが、地面に膝を突いた。
フェリクスは冷ややかにチャフを見て、踵を返す。途中で、二階の窓から見下ろすソラに気付き、苦い顔をした。
ソラは一連の流れを見届けると、無言で執務室へと歩き出した。
「……あの喧嘩を止めなくて良かったんですか?」
ラゼットが不思議そうに問いかける。
ソラはフェリクスそっくりの苦い顔を浮かべた。
「あれは喧嘩ではないからな。荒っぽいが、トライネン伯爵家らしいとも言える」
ラゼットが首を傾げた。
ソラは言いにくそうに緩々と口を開く。
「最近のチャフは自信をなくしていただろ」
ソラとの決闘に負けたチャフは相談役という立場を押しつけられた。その時点で、プライドを砕かれていた。
寄る辺となる自信は幻と消え、子爵領に来てからは、どう見ても子供であるソラより能力が低い事実を延々と突きつけられる。
それでも、子爵領の相談役に相応しい振る舞いを周囲に強要されるのだ。
どれほどの苦痛か。本人にしか分からないだろう。
ソラは苦虫を噛み潰したような顔で、執務室の扉を開ける。
「フェリクスは、チャフを立ち直らせるための目標になるつもりだ。そのために悪役を買って出ている」
ソラを見て苦い顔の一つもしたくなるだろう。
ラゼットは執務室の扉は閉めながら、考えを口にする。
「ソラ様が目標になるのは無理なんですか?」
ソラは力なく首を振る。
「俺に先を行かれるチャフの気持ちを考えろ。……更に落ち込むぞ」
中身はともかく、外見は八歳の子供だ。色々と規格外とは言え、チャフが割り切れるとは思えなかった。
──ちくしょう。子爵領の復興で頭が一杯だった。
ソラは執務机に座って、ため息を吐き出す。
「何か良い手はないものか……」
「恋でもすればいいと思いますよ」
「あの堅物が、恋? あり得ないだろ」
ソラが肩を竦める。
ラゼットは何も言わなかった。
ただ、曖昧に微笑むだけだった。




