第十話 青が交わる
「昨日の今日で、我々を納得させるほどの計画を練ったことになる。そんな馬鹿な話があるものか!」
備蓄倉庫内の一角、机や椅子が運び込まれたそこでは、数人の男達が顔を突き合わせて、早朝に舞い込んできた知らせの審議に明け暮れていた。
火傷顔の兵士が持って来た知らせは、元町官吏の屋敷にて話し合いの場を持ちたいという、ソラの招待状だった。
「そもそも、ほんの子供ではないか。儂の娘の方が大きいくらいだぞ!」
「そう怒鳴るな。腐っても伯爵家だ。我々庶民とは教育の質が違う。それにトライネン伯爵家の跡継ぎ様までいらっしゃると聞く、おおかたそちらの仕事だろうよ」
「だからと言って、まだ一日経っていないぞ? 商会の業突張り共が薪の値上げを算段してるとの噂もある。実際、どこの商会も手紙を持った小僧が出たり入ったりだ。それも計算に入っているとは思えんぞ!?」
紛糾する場に昨日、ソラと直接会話をした代表の男は苦い顔をした。
今すぐ怒鳴りつけて場を静めたい所だが、出来ない。
自警団の長が官吏と共に逃げ出してしまったため、立場が弱いのだ。
男が代表に収まっているのも備蓄倉庫へ真っ先に駆けつけたからであり、町の有力者達が抜け駆けを互いに牽制しているため、代表の変更を言い出さないからだ。
時刻はすでに昼食時である。
薪不足が発覚した昨日の晩から二食続けて冷たい食事だった反動か、皆が熱くなっている。
これはまだ当分結論が出ないだろう。
言葉を交わした感触からして、結論が遅れた事を子爵が怒るとは、代表の男も思わない。
だが、薪不足は早急に解決すべき問題なのも事実。
こうしている間にも後手に回ったまま、事態は進んでいるのだ。
せめて一言くらい何か言ってやろうかと、代表の男も頭に血が昇ってきた時、唐突に水を差す者がやってきた。
「──おぉ、やってるな」
猫の睨み合いに割って入るような気軽さで、場違いに明るい子供の声が、倉庫内に反響した。
この倉庫にやって来るような子供は一人しかいない。
「クラインセルト子爵!?」
誰かがその名を叫ぶと共に慌てて椅子から立ち上がり、直立する。
「冗談きついって……」
代表の男が思わず呟いた。
この倉庫はソラ達にとって言わば敵地のど真ん中である。下手に入れば袋叩きに遭いかねない。
だというのに倉庫内を興味深そうに見回すソラは、護衛をたった一人伴っているだけだったのだ。
「話し合いが長引くだろうとは予想していたが、まさか昼過ぎになるとは思わなかった。あぁ、別にどうこう言うつもりはないぞ? 食事に満足できないと怒りっぽくなるもんな」
一人納得顔で可愛らしく何度も頷くソラ。
喧嘩腰でやりあっていた町の有力者達は、ばつが悪そうに視線を逃がす。
意表を突く登場から相手側の弱点をつつき、あっという間に自分のペースに持っていったソラに、代表の男の頬が引きつった。
敵に回したくないと心の底から思う。
「さて、そんなお前達に差し入れがあるんだ。倉庫の前に用意してあるから、付いて来い」
有力者達の返事も聞かず、ソラはさっさと倉庫を出て行った。
子爵が直接出向いて来てまで誘ったのだ。無視しようなどと言う者はいない。
そもそもが雰囲気に呑まれていて、誰も外に出ることに違和感がなかった。
代表の男を先頭に倉庫を出てみると、信じられない光景が展開されていた。
金属製の箱とその中に吊された鍋の中で、見慣れた魚が煮られている。その装置が五つ、一定の距離ごとに置かれていた。
そこには──
「浮浪者が何でこんなに……」
代表の男は装置を囲むみすぼらしい人々を見回した。
五つの装置に十人前後の浮浪者が集まり、皿を手渡されている。
彼らを火炎隊や自警団が誘導しつつ、五つの装置に人数を配分していた。
料理人のコルを始め、ラゼットやサニア、リュリュが装置に吊された鍋の面倒を見ている。一つだけ火傷顔の男が担当し、やたらと楽しそうに魚をぶつ切りにしていた。
「これは一体……?」
「──俺の着任祝いに炊き出し中だ」
倉庫の壁に背中を預けていたソラが、成功した悪戯を誇るように笑う。
何故、自分の着任祝いに炊き出しを行うのか、町の有力者達には意味不明である。
ソラの目的は人気取りだが、無邪気な笑みを向けられては問いつめる事など出来ようはずがない。
ソラは小さな手を伸ばし、指先で装置を示す。
「あれはソーラークッカーと言う。ちょっとした加熱装置で、薪の類を使わずに鍋を熱することが出来る。太陽が出てさえいれば、一年を通して使えるぞ」
ソーラークッカーとは、金属板を用いて太陽の光を反射させ、物を熱する加熱装置である。
コの字形に設置された金属板が、太陽光を反射して焦点を結び、そこに置かれた鍋を加熱する。
原理としては、虫メガネで黒い紙を燃やすのと同じものだ。
加熱には時間が掛かってしまうが、一切の燃料が必要ない。
「少なくとも、食事に掛かる薪はあれで大分削減出来るだろう。もっと言えば、ソーラークッカーで湯を沸かして湯たんぽを作るって事も出来る」
ソーラークッカーに必要な青銅板は、チャフを通じてトライネン伯爵領から輸入する見込みだ。
ソラの説明に解ったような、解らないような、微妙な顔を浮かべる町の有力者達。
ただ一つ解っているのは、常識外れの方法で薪不足が解決されてしまったという事だ。
薪を値上げした所で客がソーラークッカーに奪われてしまうのだから、商会も諦めるしかない。
「因みに、ソーラークッカーは自警団管轄の元で町の各所に配置してもらう。製造費は俺が出すから、使用料を取るなんてセコい真似はすんなよ?」
ソラに笑いかけられた代表の男は、言葉の内容に耳を疑った。
「使用料を取らないんですか?」
「取らないさ。薪不足を招いたのはこちらの不手際が原因だ。それにかこつけて商売を始めるような面の皮の厚さを、俺はあの豚親父から受け継いでないからな」
有力者達はソラの発言に対する反応に困りながら、代表の男に視線を送る。
代表の男は面倒なバトンを押し付けられて眉を寄せながらも、ソラに歩み寄る。
「薪不足の解消に目途が立った事は素直に喜ばしい。備蓄倉庫も即刻、明け渡しましょう」
深々と頭を下げる代表の男に、ソラは苦笑する。
「頭を上げろ。食事が不味くなるだろうが」
ソラの照れ隠しを聞き、鍋に集まっていた浮浪者の中から笑い声がこぼれた。
代表の男も堪えきれずに苦笑して、手を差し出す。
「思えば、大変な事をしておりました。クラインセルト子爵に言い忘れていたことがあります」
少々の時間を下さいという代表の男に、ソラは怪訝な顔するが、許可を出す。
代表の男は有力者達と何やら耳打ちした。
すると手分けして自警団員へと伝達し、団員達は浮浪者達や事態を見守りに来ていた町の住民へと伝えていく。
耳打ちされた者は不安そうな顔から一転して、楽しげな顔をした。
何が起こるのかと首を傾げるソラの前に、準備を整えたらしい代表の男がやって来る。
ぎこちないながらも気障な礼をして、代表の男は町の人々と声を合わせ、その言葉を口にした。
「──海と空の青が交わる港町クロスポートにようこそ!」




