第九話 みみっちい奴
「多分、徹夜になるが、コルが夜食を作ってるから、心配しなくて良いぞ」
資材を運搬してきた船から、青銅板を選んで元町官吏の屋敷に運び込んだソラは、腕まくりして作業の開始を告げた。
月明かりは弱い。しかし、暗いはずの庭は、光が満ちていた。
王都からの道中でソラが改良した魔法陣が、明かりを提供しているのだ。
作業するには困らない明るさである。
教会派であるクラインセルト伯爵領から、子爵領は分離して間もない。
教会の影響で、魔法に対する風当たりが強い土地である。
そのため、町からは少々離れたこの屋敷を作業場所に選んだのだ。
ゆくゆくは領民の意識改革も必要だが、今は目の前のことに集中しようと、ソラは庭のメンバーを見回す。
リュリュとラゼットに加え、ゴージュを含む火炎隊士が三名、ソラも合わせて計六名が作業を行うメンバーだ。ちなみに、残りの火炎隊士は周囲の警戒や備蓄倉庫の見張りに着いている。
「作業を始める前に聞きたい……サニアがいないのは何故だ?」
ソラはすっと目を細めて、ラゼットを見る。
眠たそうに目を擦りながら、彼女は屋敷を指差した。
「コルの手伝いに出ています。この人数の夜食を一人で作る事は難しいですから」
「正直に言え。逃がしたな?」
「本人の希望を叶えただけですよ」
そらっとぼけるラゼット。
舌打ちしたソラはリュリュを指差す。
「サニアと交代し──」
「却下。適材適所の観点となによりウチの研究のために、その命令は聞き入れられないね」
梃子でも動く気はないとばかりに腕を組んで、リュリュは首を振った。
ソラはゴージュ達に視線を向けるが、彼らは護衛である。力仕事も担当するため、外せない。
膨れっ面でいじけながら、ソラはゴージュ達に青銅板を持って来させた。
「作業そのものは簡単だ。まず、この青銅板を磨き上げる。鏡くらいに出来れば上出来だな」
ゴージュ達が馬に与えるわら束と共にワインを渡されて微妙な顔をする。
ゴージュ達はこのワインが上質な物だと知っていた。
ソラも承知の上で、無慈悲な命令を下す。
「このワインを掛けつつやれば曇りも取れる。隠れて飲むなよ」
断ることを許さない笑顔を向けられたゴージュ達は、わら束を手にし、青銅板を一心不乱に磨き始めた。
ワインにはクエン酸が含まれている。
年度によって含有量は様々だが、レモンなどの果実が手に入らないため、ソラは妥協したのだ。
ソラは木の枠に粘土をはめ込んだ簡易ボードに、石で文字を書き込み始めた。
「これから作る物を説明する。興味のある奴は作業しながら聞け。リュリュ、手を挙げる必要はないぞ」
爛々と輝く瞳で食い入るように見つめてくる赤毛混じりの金髪美人に残念な感想を抱きつつ、ソラはボードに書いた名前を読み上げた。
お気に入りの玩具を紹介するように、ソラは口上を続けていく。
屋敷の二階からソラ達の様子を見下ろしながら、チャフはため息を吐いた。
彼も薪不足を解消するべく考えを巡らせたが、結局は何も思いつかなかった。
決闘で負け、政治駆け引きにはついてもいけず、今まさに知恵ですら差を見せつけられている。
──オレの方が歳が上だというのに、クラインセルト子爵に何一つ及ばないのか。
ソラの一手、その説明がチャフの所まで聞こえてくる。
とても簡単な理屈だ。装置にも何ら難しい仕掛けがない。時間を掛ければ町の子供にだって作ることが出来る。
「──つまり、薪がないなら太陽を使えばいいじゃない、って事だ」
一連の説明をまとめるソラの声が耳朶を打つ。
チャフは窓の横の壁にもたれて、まぶたを閉ざした。
「……あんな奴に勝てるわけがない」
割れた木窓から庭に灯された魔法の光が差し込んでくる。
割れた木が生み出す歪な影が、心に忍び寄るようだった。
「……トライネン様?」
不意に聞こえた少女の声に、チャフは顔を向ける。
そこには熊耳の少女が夜食の乗ったお盆を持って、立っていた。
「獣人か、二階に何の用だ?」
不機嫌な声を出した自分に驚き、その直後に後悔する。
──これでは単なる八つ当たりだ。
昼間に彼女が見せた表情の変化には、チャフも気付いていた。
しかもこの場は二人切りだ。彼女が落ち込んだ時に慰める者がいない。
不味い事になったと弱るチャフは、彼女の表情を盗み見て、驚きに瞳を瞬かせた。
少女は、サニアは肩を竦めて苦笑していたのだ。
「夜食を作ったのはコルさんだから、安心して食べてね」
苦笑したまま告げて、夜食の乗ったお盆を置いたサニアは、廊下を戻ろうとする。
「待て、その……」
止めたはいいものの、なんと言ったものかと、チャフは口籠もる。
もし空元気だったならば、自分の言葉がきっかけで防波堤が決壊するかもしれないのだ。
続ける言葉を思いつけないチャフへと、サニアはゆっくり振り返る。
「トライネン様、一つ勘違いしてるようだから言っておくけど、私はあなたに嫌われてもどうとも思わないよ」
「……なに?」
いきなりの「眼中にありません」発言にチャフは己の耳を疑った。
サニアはそれにも苦笑して、庭を望む窓に視線を向ける。
「私、元は浮浪児なの、知ってた?」
「浮浪児? 何を馬鹿なことを」
「ちなみにリュリュも浮浪児」
窓から指差して軽い口調で語るサニアに、チャフは唖然としていた。
嘘を吐いているようには見えないが、到底信じられない。
浮浪児がどうやって貴族であるソラ・クラインセルトと交流を持てるというのか。
そればかりか、庭で今まさに、ソラの説明を聞いては的確に質問を浴びせる知的な娘までもが浮浪児だったとは、想像の埒外だ。
チャフを混乱の渦を叩き込んでおきながら、サニアは穏やかな笑顔で庭を眺めている。
「浮浪児だった私達を救い上げたのはソラ様だよ。凄く感謝してる。でも……」
サニアはチャフを見て、困ったような顔を浮かべた。
「子爵様になったら、獣人の私の事で何か悪い噂をされたりするかもしれないって心配だった。それなのに、ソラ様は私との距離を変えないでくれる」
もう心配はいらないみたい、とサニアはソラ達がいる庭へ嬉しそうに光る瞳を向けた後、チャフに背を向ける。
「浮浪児だとか、獣人だとか、そんな“みみっちい事”にこだわらない貴族様なんてそうはいない。トライネン様とは違うって分かって、凄く安心した」
遠ざかるサニアの足音を聞きながら、チャフは床を見つめていた。
──貴族の考え方ではない。
しかし、それがソラへの人望を募らせているのも事実なのだ。
──能力も、人柄すらも劣っているのならオレは、どうすればいいんだ……。
暗い廊下で、チャフはいつまでも床を見つめ続けていた。




