第二話 逃げ出す人々。
林業を営む村からさらに南下し、一行は海に面した町に到着した。
いくつかの船が漁を終えて戻って来る時間帯でもあり、水揚げされる魚の対応に追われて町の住民が慌ただしく動いていた。
そんな町を横切って、ソラは先行させていたラゼット、ゼズの二人と合流した。
「資材を積んだ船は夕方に到着するって話だ」
ゼズの報告にソラは頷いた。
金属や石材を復興資材として少量づつ買い付けているのだ。大規模に購入し活用するにはまだ資金や人手が足りないため、安い内にこつこつとため込むつもりである。
「建物は確保できたのか?」
ソラが御者台にあぐらをかいてラゼットに訊く。
ソラはこの港町に拠点を構えるつもりでいる。
そのため、領主館が完成するまでの間に事務所として使う建物の手配をラゼットに命じていた。
ラゼットは困り顔をしつつ首を縦に振った。
「建物は町の隅にある家を借りられました。ただ……」
「ソラ様、どうにも心証が良くないらしいぞ」
言葉を濁すラゼットの後をゼズが口にした。
チャフが咎めるような視線をソラに向ける。お前のせいだと言いたげだ。
ソラは「やっぱりそうだよな」と苦笑しながら、ひとまず案内を頼んだ。
ラゼット達に先導されて到着したのは、小屋を三つ並べたような建物だった。
壁には穴が開き、窓木は腐り落ちている。中を覗いてみれば、床はむき出しの地面。放置されて長いこと経っているのは明白だ。
どう好意的に受け取っても歓迎されていない。
何より、ソラ達は二十五人に馬まで連れた大所帯だ。この建物では小さすぎる。
──後でこの町の官吏を絞めてやらないとな。
王国では、街や比較的に人口の多い町に領主が任命した官吏を置く。
クラインセルト子爵領に置ける街は東部にあるグラントイース、北部のグランスーノの二つがある。町はここを含めて八つに官吏が置かれている。
官吏は担当地区の徴税や海岸、森林の管理と運営、小さなもめ事の処理を行う。
クラインセルト領の場合、実際に仕事をしているかと聞かれれば、ほぼ間違いなく否である。平常通りに腐っているはずだ。
それはこの廃屋もどきをソラに押しつけてきたことからも伺える。完全に舐められているのだ。
どちらが上か体に教え込んでやると腹黒い笑みを隠して決意するソラは建物の利用方法を考える。
「……馬を野ざらしってのは不味いよな」
ソラは計八頭の馬を見回して呟いた。内六頭はチャフと護衛が乗って来た馬だ。
もちろん、王国有数の騎兵隊を誇るトライネン家の長子がそれを許すはずもなく、敵意の込められた瞳で睨まれて、ソラは両手を挙げて降参した。
決闘騒動の再来はごめん蒙るところだ。
もとより、馬は繊細な動物である。
高価でもあり、専門の訓練を受けた優秀な軍用馬ともなれば、ソラに補填できるはずもない。
「仕方がないな。事務所は青空の下で露天として、しばらくは宿に泊まるか」
ソラが決定するとチャフがそれに異を唱える。
「ソラ卿、暗殺も警戒すべきだ。クラインセルト伯爵や教会と敵対しているのだからな」
「ゴージュ達もいるし、食事はコルが用意する。問題はないだろう。宿の主に迷惑をかけるのは心苦しいが」
ソラが視線を投げると気弱なコックは肩を跳ねさせる。チャフが不安そうな顔をした。
しかし、他に手がないのも事実だ。仕方なく、一行は宿に向かう。
ソラが目を付けた宿は治安の悪いクラインセルト領で護衛を雇うような行商人が利用するだけあって、なかなか大きな建物だった。
ソラ達が店の前で止まったために血相を変えて宿の主が飛び出てくる。
「しばらく泊めてもらいたい」
チャフが馬上からそう言い放つと宿の主は冷や汗を流しながら視線をさまよわせる。
なんとかして断る理由を探しているのだろう。
クラインセルト家の者が泊まっていると知れ渡れば、因縁を付けられたくない行商人達は避けてしまう。
馬車からこっそりと様子を伺っていたソラに気付かなかったのが宿の主の敗因だった。
静かに馬車から降りたソラは何食わぬ顔をして宿の主に歩み寄る。
「おじさん、トイレ貸して」
「えっ?」
宿の主は焦った顔でチャフから視線を外し、ソラを見て困惑した。
「トイレ貸して」
旅装束のまま、にっこりと微笑んだソラを出稼ぎの村人が連れてきた子供か何かだと考えたのだろう、宿の主は乱暴な手つきだけで勝手にするよう促した。今は目の前の一行をどうにかするのに精一杯で、見知らぬ子供の面倒など見ていられないからだ。
ラゼット達も心得たものでずっと他人の振りをしていたが、ソラが宿に入ったのを見届けて動き出す。
「ソラ様を一人にしておけません。ゴージュ、着いていて下さい」
ラゼットがソラの入っていった宿の入り口を示すに至り、宿の主がはっとして後ろを振り返る。
「まさか、今のが……?」
「ソラ様も中に入ってしまいましたから、宿はここで決まりですね」
「え? ちょっと──」
「さっきの建物に馬と馬車を置いてきて」
ラゼットは宿の主が返答する前にてきぱきと動き出す。
後には店の前でうなだれた宿の主の姿が残された。
クラインセルト伯爵家の跡継ぎが泊まると聞いて、宿に予約を入れていた行商人は我先に逃げ出した。
二階の客室から見下ろしているソラが、蜘蛛の子散らすとはこの事かと納得していると、部屋にサニアとゼズが入ってきた。
「近所の宿に事情を話して行商人達の宿代を肩代わりしてきたよ」
サニアが報告し、お釣りだと言って財布をソラに差し出した。
「ご苦労。少しは好感度が上がると良いが、余り期待はできないな」
忌々しそうに宿を一睨みして背を向ける行商人を見下ろし、ソラは苦笑した。
宿を遠巻きにして噂話をしているらしい者や弁明しようとする宿の主と関わらないよう逃げていく者。路地の陰には人相の悪い男が見え隠れしている。突然やって来た子爵を監視しているのだろう。
気を取り直して部屋の中に視線を向ける。
ラゼット達の他にチャフも含めて、クラインセルト子爵領の運営陣が揃っている。部屋の人口密度はかなり高い。
「さて、みんな揃ったところで、この町の官吏を脅かしに行くか。ラゼット、案内を頼む」
この町と周辺の政務を行っている官吏の名前を記憶の底から引っ張り上げ、ソラは立ち上がろうとする。
だが、欠伸混じりのラゼットの言葉に出鼻を挫かれた。
「──官吏は逃げ出した後ですよ」




