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詰みかけ転生領主の改革(旧:詰みかけ転生領主の奮闘記)  作者: 氷純
第一章 子爵領初年の薪不足

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第一話  脆弱で汚れた盤面。

 疲れた顔をした若い貴族を筆頭にあからさまに不機嫌な騎兵が五名、悪路を進む。その後ろには醜い火傷痕を晒しながらも溌剌とした屈強な男達。その男達の中心には馬車があり、集団を率いる若過ぎる子爵が乗っていた。

 ソラ・クラインセルトの一行である。

 つい数日前、決闘騒動にかこつけて子爵に叙されたソラと彼に引きずり込まれたチャフは、各々の部下を引き連れて王都を出発し、今ようやく子爵領に足を踏み入れた。

 王国の南部沿岸に領地を構えるクラインセルト領の内、東側一帯を子爵領として父である伯爵から分捕ったソラは上機嫌である。

 伯爵としても、息子を人質同然に取られたトライネン伯爵と直接領地を接するのが嫌だったのだろう。ソラの子爵領を緩衝地としたのだ。


「ここがクラインセルト領……。聞いてはいましたが、本当に貧相な植生ですな」


 火傷顔の男、ゴージュが辺りを見回しながら感想を口にした。

 目に付く樹木はクロマツと柏ばかりだ。その中にポツポツとミズナラの大木が頭を出している。

 たった三種類の樹木で構成される森をゴージュは不思議そうに観察する。


「塩害が酷くて下手に手を入れられないそうっすよ。潮風で髪がボサボサになりそうっす」

「剃っちまえ」

「化け物度合いが増すから不味いんす」

「案外、愛嬌があるかもしれんぞ?」


 ゴージュ達火炎隊がわいわいと馬鹿なやり取りをしているのを聞いて、チャフの部下達が舌打ちした。

 火炎隊とは別の方向で物騒な外見の男達である。

 実用的な鉄の防具を身に纏い、二メートル近い武骨な槍を抱えている。大岩を思わせる厳めしい顔には周囲を警戒する鷹のような鋭い目が宿っている。

 トライネン伯爵がチャフに付けた護衛であり、その腕前だけは折り紙付きだ。

 この護衛を目にした貴族達はトライネン伯爵がソラを信用していないと思っただろう。

 だが、実際は違う。

 チャフは誰にも聞かれないように小さく息を吐き出した。憂鬱な響きを残して冬の大気に溶けていく。

 王都出発の前夜を思い出したのだ。

 父であるトライネン伯爵に護衛の名前を聞かされた時、チャフは困惑を隠せなかった。

 彼の記憶が確かなら名を挙げられた五名はどれも素行の悪い連中である。

 もとより勇猛で鳴らすトライネン伯爵の領主軍には気性の荒い者が多いが、問題の彼らはその中にあって更に荒々しい者ばかりだ。なまじ腕が立つため注意をしても聞く耳を持たない彼らは厄介な兵である。

 厳格なトライネン伯爵の抱える兵士だけあって領民に危害を加えることこそ無いが、他領に連れて歩きたい面子ではない。


「──今回の決闘の敗因はチャフ、お前にある」


 トライネン伯爵は短く言い切った。

 兵の質に勝り、数に勝り、それでも負けたのは指揮官である自分の非だとチャフも頷いた。

 それを見て、トライネン伯爵は重々しく言葉を連ねた。


「指揮にも問題があった。だが、あの指揮でも負けることはなかったはずだ」

「──と、言いますと?」


 トライネン伯爵の言葉にチャフは疑問を返した。

 それに対してトライネン伯爵は護衛の名簿を放り渡し、背を向けた。


「それくらい自分で考えろ」


 チャフの中で疑問は膨れ上がるばかりだったが、王都を出発する彼を見送りに現れた近衛隊の言葉を聞いて疑問は解消された。

 心で負けていなければ、ソラとの間にあった火炎野原に立ち往生する事もなかったのだ。

 あの決闘の勝敗を分けたのは部下との信頼関係。この指揮官のためなら、この部下のためなら、命を賭けようという気概だった。

 トライネン伯爵が素行の悪い護衛を押しつけたのは、この者達に認められるような指揮官になれという意味なのだろう。

 裏を返せば、その試みが出来るほどチャフの身の安全が確保されている、とトライネン伯爵が考えている。その考えの根拠にはソラと火炎隊への信用が窺えた。

 ──つまり、父上はオレよりもソラ卿の方が能力が上だと判断している事に他ならない。

 王都を出発してからと言うもの、数え切れないくらいに何度もたどり着いた結論を振り払うようにチャフは頭を力なく振った。

 チャフは後ろを行く馬車を盗み見る。

 その中では数日前に子爵となったばかりのソラが熊の獣人と美人の少女二人に何かを教えている。

 時折漏れ聞こえてくる単語からして子爵領の地理を確認しているのだろう。チャフも事前に幾つかの街の名前を覚えている。

 あの二人に官吏の真似事でもさせるつもりかと考えてチャフは聞き流した。

 しばらく進むと周囲の森が変化を見せ始めた。構成している樹種がクロマツから柏へと移り変わり、人の手が入っているのが見て取れる。

 クラインセルト領の内陸で林業を営む数少ない村の一つだ。

 ソラが川船を使わずに陸路を進んでいたのもこの村を視察するためだった。

 人口二百に満たない村だが、子爵領建て直しの一手を担う重要な拠点だとチャフはソラから聞かされていた。

 ──それにしても、聞いていたよりもずっと酷い状態だ。

 チャフは足を踏み入れた村を見回して眉を寄せ、狂い回る冬風に混じる濃厚な死の気配に吐き気を覚えた。

 焦点の定まらない瞳をせわしなくさまよわせる老いた男が襤褸を巻いた体のあちこちを引っかきながら、うわ言を繰り返している。

 痩せて骨が浮いている野良犬がよだれを垂らしながら道を横切ったのを見送れば、その先にいた浮浪児が無感動にその野良犬を石で殴り殺し、路地裏に引き込んでいく。

 そんな浮浪児の行動を見た通りすがりの女は自衛用かも分からない厚刃の鉈をぶら下げている。

 チャフにはこの村の人々がただの獰猛な獣にしか見えなかった。

 人間を人間たらしめる秩序や正義感、道徳といったモノが欠け落ちているように思えてならなかった。


「──ようこそ、我がクラインセルト子爵領へ」


 不意に声を掛けられてチャフは振り返る。

 いつの間にか隣に馬車があった。

 御者台から姿を見せた小柄な少年が村の隅々にきつい視線を向けている。

 何一つ見落とさず忘れる事のないように、そんな強い決意が込められたその横顔にチャフは言葉を失っていた。


「チャフ、この景色をよく見とけ」


 ソラは尊大な態度で命じて、ニヤリと不敵に笑ってみせる。その後ろでも二人の少女が同じ笑みを浮かべていた。

 ソラは自信に満ち溢れた声で宣言する。


「三年だ。三年でこの景色を子爵領から消してやる!」


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