第十話 消える者達
午後になり、裁判所の様相を呈してきた式場にクラインセルト伯爵は現れた。
顔は青ざめており足取りはふらふらと落ち着かない。その手に見覚えのある羊皮紙を見つけたソラは計画の成功を確信した。
「父上、証拠書類とやらは上手く偽造できましたか?」
会心の笑みを浮かべるソラを視界に認めるや否や、クラインセルト伯爵は頭に血を昇らせて拳を握り締めた。
「ソラ、貴様ッ!」
今にも殴りかからんばかりの彼を近衛隊が即座に取り押さえた。
「陛下! これは陰謀でございます!!」
一転して泣きが入った伯爵の言葉には一切取り合わず、国王は近衛隊副長に目線で伯爵から書類を取り上げるよう命令する。
抵抗する伯爵から副長が無慈悲に書類を奪い取り、国王へと手渡した。
書類の隅々まで読んだ国王は伯爵に遠慮のない侮蔑の視線を向けた。
「どこにもソラ卿の署名や子爵印がないが、そもそもカビだらけではないか。十日前に交わした書類とはとても思えん。これが証拠か?」
国王が掲げる書類にはソラの関与を示す一切の証拠能力がなかった。
十日前、確かに書かれていたはずのソラの署名、子爵印は跡形もなく消え去っている。
教会派の重鎮やベルツェ侯爵などが国王から書類を見せられ、証人となる。
国王もベルツェ侯爵もソラの様子を伺うが、彼は跪いたまま俯いて表情を悟らせない。本人以外は知る由もないが、彼は腹の底で盛大に笑っていた。
彼がどんな仕掛けをしたにせよ、伯爵が持ってきた書類に証拠能力がないのは明白だ。
そうなると必然的にソラが提出した証拠、伯爵の署名と印が入った檄文が認められることになる。
クラインセルト伯爵家の反逆が証明された。
教会派の貴族が陰謀論を振りかざそうとしたが自派の重鎮がクラインセルト伯爵の証拠書類を否定してしまっている事と、反逆を捏造しても結局処刑されてしまうソラに利益が無い事などが理由で大きなことは言えなかった。
もとより、クラインセルト伯爵は他の貴族から大いに嫌われている。
なおかつ、伯爵の無実を苦労して証明しても教会が得をするだけで弁護人にはうま味がない。無実の証明に失敗すれば反逆者を庇った事になるため外聞が悪い。
火中の栗を拾う馬鹿は貴族にいなかった。
その代わりとばかり、形式的に伯爵の助命嘆願だけをして、教会への言い訳にする。
クラインセルト父子は沙汰が下るまで牢に繋がれる事となった。
隣の独房から聞こえる実父の呪詛を子守歌にソラは気分良く昼寝をする日々を送る。
隣の独房は阿鼻叫喚のるつぼだったが、ソラはお気に入りの音楽でも聞くように笑っていた。
国王からの沙汰が下りたのは五日目の朝だった。
「クラインセルト元伯爵は妻と共に公開処刑、クラインセルト元子爵もやはり処刑とする。弟のサロン・クラインセルトはベルツェ侯爵家預かりとする」
事実上のお家取り潰しだ。
この頃になると元伯爵も大人しくなっていた。ソラは酷くつまらなそうに暇を持て余している。
反逆の首謀者よりと告発者の刑が同等になったため苦言を呈する貴族もいたが、国王がその苦言を聞き入れる事はなかった。
問題が起こったのはクラインセルト領の方である。
子爵領は勿論の事、伯爵領でも抗議が起こっていた。伯爵領での抗議はとある小さな漁村が中心を担っていた。特産品であるオガライトの炭を潰れかけた村に配っていたその漁村の求心力を背景にした抗議活動は本来なら教会が叩き潰しただろう。
それが出来なかったのはソラからゴージュへと渡されたレウルの署名と教主印が記された書類が原因である。
ソラにより改竄された書類を渡され、ゴージュは白馬の激しい気性を前進させるだけで見事にいなし殆ど休みを挟まず駆け抜けて、川で待っていたゼズやコルと合流した。
リュリュが設計し、サニアが魔法陣を刻んで造った高速船に乗った三人は昼夜を問わず川を下り、クラインセルト伯爵領の間近でその船を破壊して証拠を隠滅すると、先に待っていた火炎隊と合流する。
「いざという時には儂ら火炎隊が囮になるから安心せい」
「無事に帰れたら俺の娘の頭を撫でる権利をやるぞ」
緊張でガチガチのコルの肩をゴージュが叩き、ゼズは軽口を叩く。
曖昧に頷くコルに火炎隊は仕方ないなと苦笑した。
世間話もそこそこに街へと移動を開始し、途中で出会った不運な領主軍を叩きのめしたり、やり過ごしたりしながら街に到着する。
街近くに建つ懐かしの猟師小屋でゼズと火炎隊はコルを待つ事になる。
一人、街へと送り出されたコルは顔を青ざめさせていたが、ソラからの言葉を思い出した。
曰わく、教会まで全速力で走れ。
コルは大きく深呼吸すると緊張のせいで狂った走り方を街の住人に披露しながら教会へと走り込む。
教主であるレウルがいない間、運営を任されていた一等司教はコルを胡散臭そうに一瞥したが、渡された書類を見て驚愕に目を見開いた。
「クラインセルト領の信者を一人残らず破門する? 何ですかこれはッ!」
一等司教は書類にあるレウルの署名と教主印を見る角度を変えながら何度も確認する。
「ど、どうやら、クラインセルト領の信者を人質に取られる可能性が高いそうで、緊急ですが一時的に破門する必要があるとの事です」
コルが全速力で走った反動で息を接ぎながら決められていた台詞を口にする。緊張で舌が若干もつれていたが、それも“緊急”の言葉を装飾する言外の証明となった。
一等司教はそれでも話の大きさに視線をさまよわせていたが、ふと一つの情報を思い出した。
ソラ子爵が有するかの有名な火炎隊が伯爵領内で領主軍を蹴散らしているという話だ。
虎の子である火炎隊だけをこの時期に送り込むなどまずあり得ないと一蹴していた一等司教だったが、状況が変わった。
「まさか、この書類が到着するのを防ごうと火炎隊が動いているのか……?」
その途端、手に持った書類がずしりと重みを増した気がした。そもそも、書かれているレウルの署名や教主印は本物である。
もう疑いようがない。
コルはそこでもう一つ駄目押しする。
「一刻も早くクラインセルト領内全域にこの指示を出して下さい。偽書が出回るより早く。そうしないと僕の苦労が水の泡です!」
教会にとっては報われない方が良いはずの彼の苦労を一等司教は書類を届けるために火炎隊に日夜追われながら駆けつけた苦労だと勘違いしてコルを労い、クラインセルト領内各地の教会へと即日指示を飛ばした。
その日、互助会の役割によって信者を集めていた教会はその信者を一方的に破門した。
苦しい生活の中でなんとか捻出した金を寄付していた信者達が裏切られた事に激怒したのも当然である。
変わらないどころか苦しさを増していく生活への不満、領主であるクラインセルト伯爵家や何もしない教会へと向いていく敵愾心をソラへと転化していた教会は、求心力の根幹である互助会としての役割を放棄したために溜まりに溜まった領民の怒りを正面からぶつけられた。
各地で教会狩りが始まり、教会関係者は時には乞食に身をやつして逃亡するしかなくなったのだ。
「──かくして、教会はクラインセルト伯爵領から瞬く間に勢力を一掃されました」
「私達の手番ですね」
計画の成功を聞いたラゼットはサニアとリュリュに号令をかける。
「クラインセルト伯爵領への緊急支援を開始します。サニアは経理、リュリュは物資の頒布計画を実行に移して。ソラ様が私達を子爵領に残したのはこの為です。子爵館の全財産を景気良く使い切ってやりなさい!」
「復興事業で弔い合戦だ!」
サニアの言葉に頷きながら女達は行動を始める。
教会がいなくなり、クラインセルト伯爵家が取り潰し確実となってからのクラインセルト領は無政府状態となる、はずだった。
それを間一髪で防いだのは、邪魔者がいなくなったと見るや子爵領から陸路、海路、河川路を使って送り込まれた大量の援助物資だった。
事前にウッドドーラ商会からソラが買い取った援助物資をラゼットが号令一下、効率的に搬送したのである。
他にも、伯爵領から無事に戻ったゼズによる子爵領の漁業関係者総動員の海上輸送、コルの指揮による宿屋と料理屋による炊き出しやゴージュ率いる火炎隊による治安維持活動、リュリュやサニアによる科学と魔法を用いた保存食の大量製造、それらを全て監督指揮して効率化を図っていくラゼットなど、ソラ家臣団は主不在にも関わらずその意図を汲んで猛烈な働き振りを見せた。
それは後に荒廃した領地への支援方法の模範となる程のものだった。
そして、クラインセルト領全体の混乱が収束すると共に忽然と姿を消す。
せめて一人でも召し抱えたいと貴族達が密偵を放ったがついに捕まらなかった。
その事実はソラ・クラインセルト以外に仕える気がないという意思表示であると誰もが悟った。
2月13日修正




