第四話 常道の怪物。
ベルツェ侯爵は王城のガラス窓から空を仰いだ。
「雨が降りそうだな」
重たい色をした厚い雲が地と空を分かつように垂れ込めている。
その雲はベルツェ侯爵に不吉な何かを連想させた。
「雨の臭いもします。侯爵がお帰りの際には降り出しているやもしれません」
案内役の近衛副長が応じた。
本来、貴族であろうと近衛副長が案内をする事はない。ベルツェ侯爵が不安に感じる原因の一つである。
──あまり知られたくない類の話か……。
ベルツェ侯爵はその内政手腕を評価されている。また、領地は農業が盛んでもあるため出兵時には兵糧の援助も行える。
王領の隣に領地を構えるベルツェ侯爵はなにかと使い勝手がよい人物だ。
「こちらです。……陛下は少々機嫌を悪くしていますのでお気を付け下さい」
知りたくもないことを聞かされてベルツェ侯爵は思わず眉間にしわを寄せた。
近衛副長が扉越しに来訪を告げ、入室の許可を取る。
「入れ」
短い返答、近衛副長が扉を開けてベルツェ侯爵に先を譲った。
「陛下、失礼します」
足を踏み入れた部屋にはあまり生活感がなかった。
コの字に並べられた三つの机に椅子が複数あるのみで、王城らしい高級な調度品も見当たらない。
部屋には国王と護衛の近衛隊長、十四になったばかりの王太子が居た。
──王太子も政務に関わるお年になられたか。
ベルツェ侯爵は感慨深く未だあどけなさの残る王太子を見つめた。
「ベルツェ、早く座れ」
国王に促されてベルツェ侯爵は椅子に腰を下ろした。いつの間にか扉は閉ざされている。
王太子が何か見覚えのある笑みを浮かべているのが見て取れた。
「ベルツェ、あの小狸からの報告書だ。読んでみろ」
投げやりに放られた文書にベルツェ侯爵は口端が変につり上がるのを自覚した。
形容ではなく恐る恐る報告書に目を通す。
子爵領の改革案と経過を報告したものであるらしい。
大型船舶の解禁や網漁の復活は分かる。宿料亭組合も人と食品の流れを管理するためと考えれば分かる。
裏を返せば、それ以外は意味が分からない。
「アイスプラントによる赤潮の予防?」
まとめられたデータを見ると施策以後、赤潮の発生と規模が減少している。
「──河で草を栽培して海で起きる赤潮を予防する。赤潮の“栄養”を奪い取る手法であるものの他領での実行性は薄い。それは“栄養の奪いすぎで発生する青潮”により漁業への被害が予想されるためである。クラインセルト領においては“海底から巻き上げられる栄養”で“生態系”の維持が充分可能と判断し──何の話だ」
知らない単語と事前知識のオンパレードである。
赤潮が栄養過多で発生するなど初耳で、青潮に至っては発生例が少ないためうまく想像が出来ない。何故か赤潮の栄養を草で奪える事が前提に語られている。クラインセルト領では海底から栄養が巻き上げられ、他領ではそれが起こらない理由も書かれていない。
行動した事は解っても、理由が解らない。
そして、ソラがそうと気付かずにこれを報告書として挙げたとは思えない。
「その顔を見るに、ベルツェでも解らないのだな……。」
国王が落胆の色を滲ませて言う。王太子の笑みが深まった。
「既に赤潮に悩む沿岸の貴族が河での栽培を準備している」
国王の言葉を聞き、ベルツェ侯爵はもう一度報告書を見る。
「他領での栽培では青潮が発生する原因になると報告書にはありますが?」
「理論立てて説明せねば納得せんのだ。魔法使い派の理屈馬鹿共が──ちっ」
苦々しい顔で舌打ちする国王にベルツェ侯爵は納得せざるを得ない。
成功事例がある、しかも成功させたのは十歳の新米子爵。ならば自分も出来るはず、そう考えるのは自然なことだ。
国王から止められても領内政治は領主の裁量に委ねられている。
そして、魔法使い派は理論を重視する者が多い。理屈やデータもなしに止められたところで疑心を抱くだけだ。
かくして、国王の忠告を聞いた素直な貴族だけが青潮の発生を免れるのだろう。
「説得するには説明が必要だ。説明するには理屈が必要だ。だが、理屈を知るのはソラ卿だけだ」
国王が額に手を当て、ため息を吐いた。隣で王太子が俯いて肩を震わせている。笑いを堪えているのだ。
ベルツェ侯爵は弱り顔で口を開く。
「理屈を教えて貰っても、出所が新米子爵である以上はプライドの高い貴族が聞く耳を持たない、と」
「そうだ。小狸もそれを見越していた。説明した後で奴は何を出してきたと思う? 各領の被害予想図だぞ? 今度はご丁寧に理屈と過去のデータを添えてな!」
国王がイライラと机を指で叩いた。
「ふっくく……。」
ついに堪えきれず王太子が吹き出した。
「あははっ! お腹痛い。何度思い出しても笑えてくる」
「……笑っていられるのも今の内だ。次の王はお前なのだからな」
国王が横目で睨むが王太子は腹を抑えて目尻には涙を浮かべている。
「話を戻すが、救済援助には食料品が必要になる。青潮が発生した各地で不漁となるそうでな。食料品の値上がりを防ぐためにもベルツェには備蓄を作ってもらいたい。輸送に関しては小狸が引き受けるそうだ。奴のことだから各領に売りつけて一儲けする腹積もりだろうがな」
種をまいたソラが後始末に人助けをしつつも金儲け、生かさず殺さずを体現するあざとくも鮮やかな商売にベルツェ侯爵は苦笑いする。
──結局はソラ卿の一人勝ちか。
「ベルツェなら商人に動きを悟られないよう備蓄できるだろう。小狸に踊らされるのは癪だが魔法使い派に恩を売りつける絶好の機会でもある。頼んだぞ」
「お任せ下さい」
ベルツェ侯爵が請け負うと国王はホッと息を吐いた。
魔法使い派の結束を強めるのは教会派の勢力を削ぐために必要だ。
この状況は国王にも機会を与えているのだ。
──ソラ卿ならここまで全て見通しているのだろうな。
ベルツェ侯爵は感心しながら救済援助計画の文書を読む。
「奴が伯爵位を継げば国の南部に憂いが無くなるのだろうな」
静かに呟かれた言葉は国王のものだ。
子爵領の復興はめざましい。溢れんばかりの難民を取り込んで仕事を与えるなど上手く捌いてもいる。
話題に登ったアイスプラントを含めて独自発展を続けている。
政治的にも教会派と対立してはいるが、街道整備の援助金を供出するなど国にとっても都合がよい。元国軍兵士である火炎隊を領主軍の要にしていることもあり、謀反の心配も少ない。
「教会の怪物に潰されぬと良いが」
「教主のレウルですか?」
国王の呟きに王太子が問い掛ける。
国王が頷くと王太子は机に頬杖を突いて疑問を呈する。
「そこまで手強いのですか?」
「教会は信者の保護を謳っている。数はそれだけで力になるからだ。しかも各地の教会を使えば情報操作も行える。その上、教主のレウルは使い古された手を堅実に積み上げて隙のない策を完成させる。何度煮え湯を飲まされたか……。」
国王が不機嫌に言う。
王太子が見ればベルツェ侯爵も嫌なものを思い出す顔をしていた。
王太子の視線に気付いたベルツェ侯爵は重たい口を開く。
「レウルは歴史を学んだ天才」
言葉を切ったベルツェ侯爵は貴族の間で囁かれるレウルのあだ名を口にする。
「──常道の怪物です」
1月30日修正




