第三話 伸ばされる魔の手。
会議室にいた男達の頭は真っ白になった。
誰の、と聞けばゼズの、と答えがくる。
「まぁ、そうだよな」
「それしかないな」
ソラとチャフが顔を見合わせて緊張感のない台詞を交わし、事態の把握を図る。
「……どうする?」
「オレに聞くな」
ソラが首を傾げるとチャフが首を巡らしてゴージュを見る。ゴージュはコルを見て、コルはゼズを見た。
「ゼズさんも父親になるんですね。なんか感慨深いなぁ」
コルがゼズの肩を叩いて会議室を後にする。
「男子なら儂が訓練してやるからな」
ゴージュがゼズに笑いかけて会議室を後にする。
「頑張れよ、未来のお父さん」
チャフがゼズの胸を小突いて会議室を後にする。
「……俺は医者を手配しないといけないな」
そう言って会議室を出ようとしたソラをゼズが捕まえる。
「逃げるな」
「うるせぇ。俺は十歳だぞ? 男女の機微も知らないし、この状況で俺が居るのは野暮ってもんだ。離せ」
「どんな顔すればいいのか分からんのだ」
「笑えばいいと思うぞ。あばよ」
ソラは器用にゼズの手から逃れ、会議室を走り去った。
その後、ゼズはあたふたしながらラゼットを寝室へ運び、ソラが呼んだ医者の診断をそわそわと落ち着かない様子で待ち、懐妊の知らせを聞いてばたばたと街へ走り去り、大樹館に帰ってきた頃にはお守りだの赤ん坊の肌着だのをごろごろ買ってきた。
そして、気が早いとラゼットに叱られていた。
嬉しい騒動に大樹館がわき返っている頃、街の教会で一等司教のガイストは手紙をしたためていた。
部屋の窓や扉は堅く閉ざされ、華やかな発展に比例して増した街の喧騒を拒んでいる。
魔法による物はもちろん、蝋燭の明かりもない薄暗い部屋で書き終えた手紙を流し読む。
二等司教から昇進し一等司教となっても、ガイストはクラインセルト領から逃れられなかった。
子爵に叙爵されたソラの監視役として子爵領に派遣されてしまったのだ。
ガイストに首輪が着けられているなど教会は思いもしない。
ガイストには教会の計画が筒抜けだが、堅く口を閉ざしてソラに悟られないようにしていた。
互助会に成り下がった子爵領の教会に不満はあるが、それを理由に教会を裏切れる程ガイストにとっての教義は軽くない。
手紙を丸めて蜜蝋で封をする。教会特注の押し印は杖をくわえた鳥の紋様。
──これを見るのも最後か。
ガイストは押し印を見つめていたが、ふと思いついて適当な紙に蝋を垂らし、封をする。
そうしていると部屋の扉がノックされ、勝ち気な印象を受ける少女が鞄を片手に顔を出した。
「準備は終わったよ」
「シャリナ、本当に付いてくる気ですか?」
ガイストが困った風に苦笑して問うと、シャリナは頬を膨らませる。
抱えた鞄を鼓のように叩いて示しながら彼女は口を開いた。
「一人で旅の用意も出来ないでしょ。船だって誰が操舵すると思ってるの? 海の藻屑になって魚に食べられて暖かい家庭の食卓に乗りたいなら止めないけどさ」
早口にまくし立てて鞄を見せつける。
自分の役割は換えが利かないのだと誇示するその様子には遠慮など見られない。
ガイストは苦笑を深める。
出会った頃の大人しさやよそよそしさはどこへやら、反抗期と思春期が同時にやってきたような変わりようだ。
ふと思えば、ソラに首輪を着けられてから落ち目が続いたにも関わらず一等司教となれたのも、シャリナが率先して働いてくれたからだろう。
クラインセルト領の女は強い。ソラの相談役が同じような事を言っていたが、大いに共感を覚えるガイストだった。
「分かった。では共に行こう」
「それでいいの。まったく、何でいきなり布教の旅なんて考えついたんだか」
──最後に残った味方くらい守らなければ、司教になった意味はない。
思いを口に出さずガイストは手紙を机に置いたままシャリナの肩を押して部屋を出る。
廊下から部屋を振り返り、ガイストは暗い未来を見抜くために目を細める。
「……教主様、賢明なご判断を」
呟いてガイストは歩き出した。
それから十数日が経った頃、王都の大教会の一室で教主、レウルが手紙を読み終えて背もたれに体を預けた。
教主付きが断りを入れて手紙を受け取る。その内容が不快だったか、眉根を寄せて鼻で笑う。
「ソラ・クラインセルト子爵領の発展は目覚ましく、その技術力は他領を遙かに凌駕し、それらをもたらした子爵は領民に慕われている。計画が成った後、反乱を抑えながらこの領を統治出来る者は存在しないだろう。子爵領は高空を目指し羽ばたく鷹に似て、誰にも捕らえることは叶わない──ガイストめ。随分と誇張しているな」
手紙を机に置いて、教主付きは不愉快気にそう吐き捨てた。
手紙の内容を要約すれば、無駄なことは止めろと言っている事になる。
さぞかし気分を悪くしたのではとレウルを見ると、輝く金髪が小刻みに揺れている。
笑っていると気付くまで数秒を要した。
「教主様、如何なされました?」
「いや。ガイスト君はソラ・クラインセルト子爵の能力をかなり高く見積もっているのに、結局は計画が成功すると考えてるのが面白くてね」
言われてみれば確かに、計画が成った後の懸念しか書かれていない。
「それに、有能な部下の置きみやげだ。有り難く、忠告を聞こうじゃないか」
楽しそうにそう言って、レウルは忍び笑う。
教主付きは恭しく一礼する。
「ご希望に沿う人材を揃えて見せましょう」
「いや、それは必要ないよ。僕が直接行けば済む話だ」
「──っ!? お待ち下さい。教主様が自ら出向かれるには及びません。それに王都はどうするのですか?」
教主付きが慌てて説得するが、レウルは首を横に振る。
「王都ではもう何も望めないよ。それに、計画が成功すれば僕が住む事になる土地だ。早いか遅いかの違いだよ」
「それは、そうですが……。」
教主付きは考えを巡らせて説得の言葉を探すが、教主に勝てるはずもない。
最終的に折れたのは教主付きだった。
早くも疲れた顔で天井を仰ぐ彼にレウルは窓から空を指さし笑いかける。
「ほら、今日の空はいつになく高く澄み渡っているよ。まるで──」
言葉を区切ってレウルはくすりと笑う。
「手が届きそうだろう?」




