第二話 復活するあの手。
ゼズが問題提議したのはここ最近頻度を増した赤潮についてのものだった。
「まだ漁業に影響はないが、暑くなってきたらかなり不味いぞ」
会議室の皆が苦い顔をした。
赤潮による漁業被害は誰もが頭を悩ませているのだ。
ソラは外に視線を投げる。
広がる街並みにはソラの大樹館を真似たように木造の家がちらほらと出来ている。
王国では珍しい木造建築はソラ自治区の個性となり始めていた。
生活は王国の平均に手が届こうかというレベルになり、これからもまだ成長が見込めるだろう。
だが、クラインセルト伯爵領は真逆、悪化の一途を辿っている。
ソラが裏から手を回してはいるが、悪化を食い止めるには力が及ばない。
子爵領へと流れ込む難民の数は増加の一途を辿っている。しかも、クラインセルト伯爵領では難民を止める手を打っていないのが調査の結果判明している。
この難民の食料が問題なのだ。
飼料が育たない子爵領で畜産は行っていない。同様に農業も盛んとは言えない。
更に、黒松林が広がる子爵領では松脂を特産品として事業を展開し始めている。作物の栽培までは土地と手が足りない。
必然的に輸入に頼ることとなるが、輸送力や資金にも限界がある。
難民を送り込んでの兵糧攻め。
難民を養えばソラの活動資金が削れていくとでも考えたのだろう。
豚領主ではない誰かの策略だろうが、着実にソラの活動を阻害する手腕である。
今は右肩上がりに人材の需要が増えているため難民に仕事を回していられるし、商品を作る手が増えるのは大歓迎だ。
だが、輸出した商品が必ず売れるわけではない。供給過多になれば価値は低下する。
人が増えても稼ぎが右肩上がりに増えたりはしない。
また、資金があっても食料品が確保できるかは別問題だ。
食料品は主にベルツェ侯爵領から輸入しているが、いくら王国有数の農業と林業を誇ってはいても供給量には限界がある。
そろそろ新しい輸入先を見つけるか、代替品の発明をしなければ、ソラ自治区で食料品の値上がりを招くだろう。
それはスタグフレーションと呼ばれる状況。
簡単に言えばお金がないのに物価が上がる状況だ。
子爵領に該当するクラインセルト領内の建て直しを図っている現在、経済が停滞するスタグフレーションに突入するのは何としてでも避けねばならない。
「豚親父め、本当に禄な事しないな」
舌打ちする気力も失せて、ソラは食料の確保について思案する。
そこにチャフが憮然として腕を組み、発言する。
「素直に我がトライネン家にあの木材の加工技術を渡せばいいだろう」
圧縮木材の輸出先はトライネン伯爵家が多くを占める。
建材としても使われるが、その強度と軽さに着目したトライネン伯爵は攻城兵器へ利用している。
圧縮木材の技術はトライネン家垂涎の的だ。食料品との交換でも互いに儲けがでる。
だが、
「俺個人の重要な資金源だ。誰にもくれてやる気はない」
ソラが要求を一蹴すると、チャフは腕組みを解く。
「なら、どうするんだ?」
ソラは瞑目して考えを巡らせていたが、二分ほどで何かを思いついたらしくゼズを振り返る。
「赤潮の発生場所は何処だ?」
「河口域だ。いつも通りだな」
淀みなくゼズが答えるとソラは一つ頷いてサニアに視線を移す。
「以前、アイスプラントの栽培を頼んだよな。データはあるか?」
「あるよ。海の上での栽培は成功してないけど」
「今回は成功する可能性が高いぞ」
「どういう事?」
サニアが首を傾げる。
ソラがにやりと笑う。
「赤潮が河口で発生しているという事は、河から餌が流れ込んでいるからだ。つまり、河でアイスプラントを育てれば赤潮の餌を横取りできる。ちなみに、餌はベルツェ侯爵領で火事によって燃えた木の灰だろう」
「雨で栄養塩が河へと洗い流されたわけ?」
話が科学分野に入った事をいち早く察して身を乗り出したリュリュをソラは苦笑しつつも手で制する。
「あぁ、後で詳しく教えるから落ち着け」
「ウチはもう退出していいか? 昨日作った新型船模型の検査が終わったままだから片付けてくる。木の灰と子爵領の模型も用意しておくからシミュレーションも頼むよ」
リュリュは無造作に赤毛混じりの金髪を背中に流して立ち上がる。
「新型船……あの高速船か、後できちんと報告書を出せよ」
「分かってる。それじゃ」
すっかり科学マニアになったリュリュが会議室を出て行った。
「サニア、河川の全域でアイスプラントの水耕栽培を行う。川底の土を浚って肥料として扱うが海水の遡上時間で塩分濃度が変わるだろうから俺がリュリュにデータ作成を頼んでおく、サニアはアイスプラントの栽培方法を分かり易く図入りで纏めてくれ」
それを見届けた後でコルがおずおずと手を挙げ、発言許可を求めた。
「僕からも、その、要望がありまして……。」
「何だ?」
「沿岸部に輸送される野菜に関して、苦情が来ていて、曰わく傷んでいて使えない物が多い、と」
ソラが思わずため息をつくとコルが「すいません」と謝った。素早く謝る中間管理職らしい態度にソラはまたため息を吐く。
「ゼズ、川船を使っての輸送でこれ以上の時間短縮は可能か?」
「限界だ。船そのものが早くなれば別だがな」
「そうか。参ったな」
呟いたソラは輸入する野菜が傷まないように冷蔵して運べないかと考え、ドライアイスを思い付く。
「魔法があれば可能か」
圧力をかける魔法ならば既に圧縮木材の製造に使っている。数値を弄れば流用できるだろう。
ソラはチラリとサニアを見る。
「仕事が増えてもサニアは文句を言わないと俺は信じている」
サニアが苦笑いした。
圧縮木材の製造はサニアとゴージュ達火炎隊が行っている。
しかし、加工に使う魔法陣は高等数学の結晶でありソラとサニア以外は扱えない。
悪用されると困るため、高等数学は一般に公開していないのだ。
必然的に高等数学により発展を遂げた魔法陣は禁書扱いにしている。
「必要な数値を教えて。それと禁書室の鍵を貸して」
サニアが立ち上がって手を出す。
「ありがとうサニア。大好きだ。耳を触らせてくれたら更に好きにな──」
「鍵ッ!」
「ちっ。ほらよ」
禁書室の鍵を受け取ったサニアはソラに向けて舌を出して嫌悪感を表すと会議室を出て行った。
数値さえ聞けば自ら魔法陣に手を加えて望む効果を得られる。すっかり魔法使いが板に付いたサニアである。
「他に要望はないか?」
ソラは残ったメンバーに訊ねるが、一斉に首を横に振った。
──ラゼット以外は。
「ラゼット、何かあるのか?」
ソラが不思議そうに問うと、彼女は実に深刻そうな顔で口を開いた。
「休暇が欲しいです」
「はい。解散しようか」
ソラが手を叩いて会議の終了を告げるとぞろぞろと立ち上がる。
しかし、なおも深刻そうな表情のラゼットに気付いたゼズが足を止めると全員がラゼットを振り返る。
「どうした。体調が悪いのか?」
流石に心配になったソラが問いかけるとラゼットはこくりと頷く。
そして、ラゼット以外に男しか残っていない会議室を短い言葉で混乱の坩堝に叩き落とす。
「……子供が出来たみたいです」
1月16日修正




