第十七話 動き出す周囲
子爵になれば親の領地の一部を与えられる。つまり、子爵になったソラへはクラインセルト伯爵領の一部が子爵領として与えられる。
だが、名目上のものだ。
経験のない者が好き勝手しないように親が監督し教えるからこそ、子爵領は親の領地を与えられるのだ。子爵になったからといって領地を自由には出来ない。
しかし、ソラの要求はこの制限を取り払う。
他家の人間であるチャフを相談役として招くことで、豚領主からの干渉に対する防波堤とする。
顧問ではなく相談役であるため主権は子爵領の主であるソラが持ち、最終決定権もソラに帰属する。
領地経営はソラの考えで行われ、親である豚領主が口を挟んでもチャフを理由にして無視するのだ。
たとえお飾りの相談役でもチャフはトライネン伯爵家の人間であり、彼の頭越しに領地経営を進めるのは相談役であるチャフはもちろんトライネン伯爵家の顔に泥を塗る行為。決闘に勝ったソラはチャフに対して優位に立つが、豚領主はその立場にはない。
ソラの要求は頭の回る者が見れば一つの事実を浮き彫りにしている。
それはクラインセルト親子の不仲である。
仲が良いのなら領地経営について親の監督を嫌う事はないのだ。
ベルツェ侯爵はそこまで理解した上で眉根を寄せた。
ソラの要求を誰も撤回させられない。つまり、必ず叶う要求だ。
クラインセルト伯爵領にソラによる自治区が出来た事になる。
その影響は大きい。
ソラの政治的な立ち位置は誰も知らない。彼はコウモリのように派閥を行き来していた。相談役のチャフも中立派貴族だ。
そして、ソラが決闘で見せた火炎瓶と木剣。どちらも見た事のない代物であり、欲しがる者は多い。
ソラを自派に取り込もうと手段を講じるだろう。その中にはあまり誉められない手口も含まれる。
ベルツェ侯爵はシラカバの取引という生命線をソラに握られている。いざという時には力になる必要があった。
──いや、照れ隠しの言い訳だな。どの道、私はソラ殿を助けるだろう。
ベルツェ侯爵にとってソラは唯一の理解者だ。そして、逆もまた然り。ソラのやろうとしている事も分かってしまう。
ベルツェ侯爵自身が襲爵してから全精力を込めてきた事、領地の再生。ベルツェ侯爵も苦戦したが、ソラの領地はさらに困難を極めるだろう。
先達として力になるのは当然だった。
国王が苦々しい思いを抱えたままソラの要求を叶えるようチャフに命じて、トライネン伯爵とベルツェ侯爵を呼び、その場を去った。
それはソラ・クラインセルト子爵領、つまりは自治区成立の瞬間。
そして、ソラがクラインセルト伯爵領の乗っ取りを開始した瞬間でもあった。
ソラは立ち上がり、チャフを促して歩き出す。
「やる事は多い。過労死するなよ、相談役」
「何が何やら、さっぱり分からない」
チャフは状況の変化についていけず額に手を当てて嘆息した。
ソラは笑顔で豚領主に手を振る。勝利宣言であり宣戦布告だと気付いた者は少ない。豚領主も理解出来なかった一人だ。
「チャフ、難しく考える必要はない」
ソラは和やかな笑みをチャフに向けた。
「俺に手を貸せばそれでいい」
和やかだった笑顔をイタズラっぽいそれに変えながら、ソラは続けた。
「これは王命だからな」
ソラとチャフがゴージュ達や近衛隊の見舞いに向かった頃、国王は王宮へと走る馬車の中でベルツェ侯爵、トライネン伯爵の両名と顔を合わせていた。
「ベルツェ、あれは何のつもりだ。どこからが貴様の策だ」
国王が不機嫌さを隠そうともせず問いつめる。
ベルツェ侯爵は困り顔で一切関与していないと説明した。
「では、あの小狸が一から万事整えたとでも言うのか? 馬鹿も休み休み言え」
「陛下、クラインセルト伯爵とソラ殿は別物です。勝者の権限の内容を考えれば対立しているのも分かるはずです」
「それでは、対立は誰が仕組んだ?」
「分かりません」
国王は胡散臭そうにベルツェ侯爵を睨む。
冷や汗を流すベルツェ侯爵を意外にもトライネン伯爵が救った。
「陛下、ベルツェ侯爵が黒幕ならばもっと器用に立ち回ります。それに、勝者の権限で見せた頭の回転はソラ・クラインセルト自身の物、あれを御せる人物などそうはいない。容疑者に目を光らせておけば事足りましょう。目下の懸念は決闘で見せた二つの武器の製造方法を不届き者が知った場合です」
トライネン伯爵の論に一理ありと国王は渋々矛を収めた。
「ベルツェ、お前からソラ・クラインセルトに釘を差しておけ。トライネン、倅に命じて製造方法を調べさせよ」
「かしこまりました」
ベルツェ侯爵とトライネン伯爵が揃って応じると国王は溜め息を吐き出した。
「まったく、有能な家臣は多いに越したことはないが、過ぎたるは及ばざるが如しだな」
「過ぎたる有能さだとは思いますが、及ばざる者ならば兵は命を懸けませんぞ」
トライネン伯爵がソラを擁護したことに国王が驚く。
「トライネン、まさかお前までクラインセルトの肩を持つのか?」
「クラインセルト伯爵とソラ・クラインセルトは別物、これは間違いありません。あれは次代を担うに足る器、手放してはなりません」
トライネン伯爵は淡々と述べる。厳つい顔のままなのは彼自身割り切れていないからだろう。息子と同じであまり柔軟な思考を持っていないのだ。
そんな男も一目置かざるを得ない程にあの決闘は衝撃的だった。
「……その言、胸に留めよう」
国王は静かに返した。
同時刻、王都の大教会では決闘の勝敗と共にソラの要求内容が知らされ、教会の最高権者である教主レウル、それに次ぐ権力を持つ教主付き、枢機卿を務める教会派貴族と教会派の重鎮、四人が協議を行っていた。
「以上が今回の騒動とその顛末です」
深刻な顔で四人が唸る。
クラインセルト伯爵領の乗っ取りがソラの狙いだと全員が理解している。
「非常に不味いな」
枢機卿が感想を口にした。
「海塩、松脂、魚介類、それら特産物も痛いが何より」
「──土地だな。川が張り巡らされたあの土地、海があるという一点だけでも失うには惜しい」
教会派の重鎮が引き継いで腕を組み、唸る。
「後一息でクラインセルト伯爵は傀儡と化したものを、あの小狸め。台無しにしおって」
「七歳と聞きますが、それほどの傑物なのですか?」
教主付きに重鎮が頷く。
「賢しいガキだが、後ろには気狂いベルツェがいる。一筋縄ではいかん」
「暗殺は可能ですか?」
教主付きが問うと重鎮と枢機卿は揃って首を横に振る。
「トライネンの息子が人質だ。下手に手を出せば貫陣のトライネンが敵に回る」
ここまで見透かしていたなら大した者だと重鎮達は思う。
打つ手なしで固まりかけた総意を教主が打ち破ったのはその時だった。
「ソラ・クラインセルトはまだ七歳だそうですね?」
それ自体が輝いているのではないかと思わせる金髪を掻き上げて、教主が問う。
人を惹きつけるその姿、その声は代々の教主に受け継がれてきたカリスマだ。神話に聞く殺しの魔法使いに神罰を与えた英雄の血がその体に流れる証。
「七歳ならば伯爵位を受けるまでまだ時間もある。ソラ・クラインセルトは伯爵位を継ぐには不適格となれば良いのですよ。その方法は幾らでもある。例えば──」
教主は金色の前髪を指先で弄びながら薄い唇で言葉を紡ぐ。
それは、単純な一手。正当であるが故に強力な定石だった。




