第十話 信の輪を持つ。
ラゼットから連絡を受けたサニア達はすぐに密会場所へと向かった。
ソラに指定された居酒屋は髭を蓄えた老人がニコニコ顔で営業する王都の隠れた名店だった。
リュリュはソラから渡された樹木の性質についての教科書を読みふけっているし、ゼズは楽しげに店主の息子と酒を飲んでいる。
サニアは王都で接触した魔法使いから教えられた簡単な魔法を試していた。
半径三十センチメートル程の魔法陣を起動すると蝋燭より弱々しい明かりが灯る。せいぜい十分しか持たない上に五時間の休憩を入れないと再利用出来ない魔法陣であり、実用性は皆無だ。
弟子入りするわけでもない小娘に教えるには丁度良い代物である。
サニアは魔法陣の起動を確かめてガッツポーズした。
魔法陣は図形が歪んだり、計算が間違っていたりすると発動しない。サニアは四日間この魔法陣を正確に書くことを目標にして今日ようやく成功を収めた。
描くのに使った炭で黒く染まった指先を見つめれば感慨もひとしおである。
教科書から顔を上げたリュリュが魔法陣の中央に浮かぶ光の玉を指差した。
「その魔法、改良して一晩保つように出来る?」
「無理だよ。教えてくれた魔法使いも三十分が限界だったらしいよ」
ちなみに改良版は秘術とのことで教えてもらえなかった。
「そっか。使えないな」
バッサリと切り捨てるリュリュにサニアは唇を尖らせた。
サニアが反論する前に店の戸口を潜り抜けてソラとラゼット、コルが顔を出した。後ろには護衛代わりのゴージュがいる。
「みんな揃ってるか」
ソラがゼズ達を確認して同じ席に着く。隣にラゼットが座り、ゴージュがソラの後ろに控えた。
「どえらい美人が居ますな」
ゴージュのガラガラ声にサニアとゼズが険しい顔を向ける。リュリュは完全に無視していた。
「ソラ様、そっちの、人、でいいのかな……誰?」
サニアに人間である事すら疑われてゴージュが赤髪を掻く。
「王都警備隊士の一人で今回の決闘における俺の仲間だ。魔法をある程度使える。教会と通じていないのは調べがついている」
「仲間……ならいいや」
ソラの言葉一つでサニアは簡単に納得する。
あっさりと受け入れられた事にゴージュは驚き、サニアが熊の獣人だと聞いて更に驚いた。
「ソラ殿は獣人に偏見がないのですかな?」
「そんなみみっちい事どうでもいいってさ」
思い出し笑いしながらサニアがソラの口調を真似た。
「ソラ殿らしいですな」
同じく笑いながらゴージュが応じた。
「それで、急な召集の目的は何?」
リュリュが教科書を閉じたのを合図に全員がソラを見る。
ソラはリュリュの教科書を借り受けて、あるページを開きテーブルの中央に置いた。
「呼び出した目的だが、決闘に使う武器を製造するためだ」
おもむろに切り出したソラに全員が頷く。
武器を製造すると簡単に言い、しかも周りが違和感なく先を促す状況にゴージュが首を傾げているが、誰も気に止めていない。
「武器のコンセプトは軽量であり、取り回しに優れていて、ゴージュ達が扱い慣れた長剣である事。また、強度は実用に耐えるものでなければならない。そして、一番重要なのは相手が俺達を侮るようにする事だ」
「ソラ様を侮らせる?」
リュリュが疑問を挟む。わざわざ相手の士気を上げる必要が分からないと言いたげだ。
「チャフは兎も角、近衛隊士の士気は上がらない。むしろ、下がる」
ソラがくすくすと忍び笑った。
近衛隊はただでさえソラを軽視している。警備隊士であるゴージュ達は実力が下で武器も貧弱なら、近衛隊はやる気がなくなる。
同時に彼らは思うだろう。
「くだらないからさっさと終わらせよう。この程度の相手に手間取ったならトライネン家から呆れられる、ってな」
七歳のソラは勿論、ゴージュ達も持久力ではチャフ側に劣るため、勝負に時間はかけられない。如何に短期決戦へともっていくかが勝負に影響するのだ。
「だから挑発するってわけだ」
ゼズが膝を打つ。あんたも欲しいかとゴージュに酒を進めるがラゼットに頭を叩かれて手を引っ込めた。
「そこで、俺は武器として木剣に鉄刃を仕込んで使うことにした」
ソラが両手を木板に見立てて食器のナイフを挟んで見せる。
重量がおおよそ七分の一と、かなりの重量軽減が見込めるこの方法には欠点がある。訓練で木剣を使った経験のあるゴージュがその欠点を突いた。
「それで鉄剣と打ち合ったら五合と保ちませんな」
「普通の木材なら、な」
ソラがテーブル中央の教科書を指先で叩く。
「リュリュ、木の物理的な構造を言ってみろ」
「液体の入った細胞と呼ばれる小部屋が細胞壁で仕切られて層を成しており、細胞の中には──」
「そこまででいい。……とてつもない理解力だな」
褒めているのか判断しかねる言葉を零してソラは一つ咳払いする。
「さて、木はリュリュが言った通りの構造をしている。簡単に言えば大量の空箱が積まれているようなものだ。だから、潰す」
ソラが花のつぼみのように手を組み合わせ、続いて隙間なく合わせた。
「同じ体積なら、空箱の山と隙間なく潰れた箱の山はどちらが丈夫か、すぐに分かると思う。同様に、木を押し潰して強度を上げる。更に表面を焼き固める」
ソラが語ったのは圧縮成形と呼ばれる加工法である。
木材そのものを圧縮し密度を高める方法で、柔らかな樹種であってもこの方法を行うことで用途が広がる。近年、プラスチックの代替素材を木材で作れる技術として注目され始めている。
ヘルメットや家電製品に使用されるプラスチックと同等の強度を獲得しつつ、木としての香りや柔軟性を特性として持ち、圧縮によって組織が詰まるため狂いが少なくなる。
「問題は熱と圧力が確保出来ないことだったんだが、魔法を使えば解決する。ラゼット、例の魔法陣をサニアに渡せ」
ソラが改良を施したペーパーウェイトや煮炊きに使う魔法陣をサニアに見せる。
もう別物にしか見えないその魔法陣に、サニアは案の定怪訝な顔をした。
ソラが気を利かせて元の魔法陣を隣に並べるが混乱が深まるだけだった。
「この魔法陣を使えば圧縮成形に必要な圧力と熱を安定的に確保できる。ただし、必要な効果を得るためにはこれを直径五十メートルの魔法陣に書き直す必要が出てくる」
ソラの数学知識ではここまで縮めるのが限界だった。この世界で同じ効果の魔法陣を描こうとすれば半径数百メートルが必要になるので充分な簡略化が済んでいるのだが、秘密裏に使用するのが難しい大きさなのは変わらない。
「そこで、サニア達は一度王都から出てこの魔法陣を描き、送られた角材を半分以下に縮めて欲しい。出来るか?」
ソラが真剣な顔で訊ねる。
サニア達は顔を見合わせて難しい顔をして見せるが、すぐに堪えきれなくなって吹き出した。
「ソラ様が考えて、出来ると思ったなら出来る」
リュリュがテーブルに肘を突いて、言葉に信頼を載せる。
「それに出来ないとソラ様が困るんでしょ」
だから、やるよ。そうサニアは言って、ソラからの信用を違えないと胸を張る。
「ソラ様の夢物語に付き合うことにしてんだから、手を貸すに決まってるだろ」
ゼズが信義を持って請け負い、笑みを浮かべながら酒をあおる。
「よし、なら任せた」
ソラが拳を掲げるとリュリュ、サニア、ゼズが揃って続く。苦笑混じりにラゼットが後を追い、完全に出遅れたコルが手を開いたまま掲げて形が違うことに気が付き慌てる。
ソラに寄せられる信望を眩しげにゴージュは見つめた。自分達もあの輪に加わりたいものだと憧れる。
ソラが見つめていることに気が付いたのは胸一杯に羨望が膨れ上がった時だった。
「な、なんですかな?」
急いで取り繕ったため早口になってしまうがソラは気にした様子もなく口を開く。
「ゴージュもやれよ、このポーズ──って何泣いてんだよ、お前ッ!?」
いきなり男泣きを始めたゴージュに動揺するソラ達だった。




