第四話 ジョーカーは突然切られる。
祝賀会は主賓である王太子の登場で活気づいた。
王太子のそばには公爵家を始めとして有名貴族の子弟が数名で集まって会話に花を咲かせている。
有名とはいえ方向性が違うクラインセルト伯爵家のソラは蚊帳の外だったが、まるで気にする素振りはない。
会場である広間は中央に王太子や子弟が集まり、それを囲むように大人達が見守っている。その一角でベルツェ侯爵はソラの動きを目で追っていた。
ベルツェ侯爵には子がいない。甥が今年で二歳になったばかりで、祝賀会には連れてきていなかった。監督する必要のある子供がいないためにソラの様子を観察しているのだ。
「ベルツェ、何か面白いものでも見つけたか?」
何時の間にか隣に立っていた人物から声を掛けられて、ベルツェ侯爵は珍しく慌てた。
「陛下! いらっしゃるとは気付きませんでした。申し訳ありません」
「気にするな。それより、随分と熱心に見とったな。興味の対象は──チャフ・トライネンか?」
ベルツェ侯爵の視線を追った国王はソラが対象とは思わず、その後ろにいたチャフ・トライネンに目を付けた。
「あれは良い。実に良い将となるだろう。少々、生真面目過ぎるきらいはあるが、軍を預かる者の気質としては悪くない」
国王はチャフを買っているようだ。この評価は会場にいる貴族の共通認識でもある。
ベルツェ侯爵はそこで初めてチャフを見る。
「確かに軍閥からは慕われるでしょうな。しかし、情報戦には弱い。補佐する副官がいれば安定するかと思います」
ベルツェ侯爵の分析に国王は口端を上げた。
チャフの周囲にいる子弟は皆、先日の予行パーティーで意地悪貴族が流した偽情報に踊らされた者達だった。情報戦に弱いメンバーで構成された集団にいる事から推察したのだろう。
「流石だな。良く見ている。補佐する候補はいるか?」
「……思いつきませんな」
ベルツェ侯爵の返答に国王は目を細める。
「クラインセルトの倅を押すかと思ったがな」
ベルツェ侯爵とソラ・クラインセルトが対等関係になっている事は既に周知の事実だ。
子がいないベルツェ侯爵がソラを使っていると国王は睨んでの鎌掛けだった。
「ソラ・クラインセルトは副官で収めるには器が大き過ぎます」
「良くもぬけぬけと言いよるわ。あの脂豚の実子だろう。高が知れておる」
ベルツェ侯爵の正直な評価を真っ向から否定して、国王は肩を竦めた。
「お前はもっと人を見る男だと思ったが、操る人形が人の形をしとらんぞ」
ベルツェ侯爵に背を向け国王は言い捨て、去っていった。
国王の脂豚嫌いにも困ったものだと思いつつベルツェ侯爵は頬を掻く。続いて何かに気付いたらしく眉根を寄せた。
視線の先に据えたチャフ・トライネンの所属する集団の動きが妙だと感じたのだ。
集団は会場の一点に意識を集中させており、中でもチャフ・トライネンは敵意を膨らませている。敵意の先は子供達に隠れてよく見えない。
チャフの父であるトライネン伯爵に視線を転じると、厳つい顔をした武人はベルツェ侯爵と同じく眉根を寄せている。そのトライネン伯爵を引き留めるように教会派の貴族が代わる代わる話し掛けて動きを封じているようだ。
会場にいた他の貴族達もチャフ・トライネンの集団に注目し始めた。面白がるような気配を出している貴族もいる。
遅れて子弟にもチャフの敵意に気付く者が出てきた。巻き添えを食らうまいとしたか、次々に体を引いてチャフの視線を避ける子弟達により、一本の道のようなものが出来た。
チャフ・トライネン率いる集団が一本道に足を踏み出し道の先の少年を睨みつける。
水を打ったように会場が静まり、成り行きを見守った。
子弟の行動には基本的に不干渉がこのパーティーにおけるルールであるが故に、目的が分からないチャフの歩みを止める者はいない。
殴り合いの喧嘩でも始めれば即座に止めが入るだろうが、敵意をむき出しにしてはいてもチャフは理性を保っているのが分かるため、ベルツェ侯爵やトライネン伯爵も動けない。
「話は色々聞いた。単なる噂とは思えない」
チャフが道の先の少年を視線で射抜きながら言葉を紡ぐ。
彼の生真面目な顔は怒りを露わにしていた。
「民草を守るのが領主の役割だというのに王国の臣民を虐げる悪徳の子が殿下の祝賀会によくも顔を見せられたものだ」
迫力に気圧された子弟が数歩後退り、広くなった道幅いっぱいにチャフの集団は広がりながら少年との距離を詰めていく。
「民から搾り取った金で贅沢するその腐った性根を叩き直してやる。オレが勝ったら我がトライネン伯爵家が貴様の家の領地経営を監督する!」
余りに大きすぎる要求に貴族達がざわめく。
ベルツェ侯爵はこれから訪れるであろう展開をいち早く察して制止しようと動くが間に合わない。
ついに間近に立ったチャフは人差し指を少年に突きつけた。
「決闘しろッ!」
決闘を申し込まれた少年はそれまで微動だにしなかったが、ふと後ろを振り返って誰もいないことを確かめるとチャフに向き直り、微笑んだ。
「お断りします」
当たり前でしょう、とばかりに少年、ソラ・クラインセルトはあっさりと拒否した。
チャフのこめかみが痙攣する。
「貴族としてのプライドもないのか、ソラ・クラインセルトッ!」
チャフの当然といえる叱責もソラは微笑みだけで受け流す。駄々をこねる子供をあしらうような素振りだ。
「チャフさん、考えてもみて下さい。“貫陣”と呼ばれるトライネン伯爵の子息が俺のような五歳以上も年下の、体格がまるで違う子供を相手に決闘などしたら勝敗に関わらず“弱者虐め”と侮られますよ。あなた個人がそれに納得したとしても、王国随一の武人の息子が侮られる事が王国の為になると思いますか?」
理路整然とソラが言い返す。
反論が見つからずにチャフは苛立つが、ソラの論に理があった。
このまま事態は収束すると思われたが、チャフの取り巻きが口を挟む。
「ならば、対等の条件となるように互いに持ち寄った兵を指揮して戦えばいい。模造剣を使えば死者もでないだろ」
「“貫陣のトライネン”の誇る将兵ではチャフさんの実力ではなくトライネン伯爵の実力ですよ」
「それは、そうだが……。」
素早く言い返されて取り巻きは悔しさに歯噛みする。
ソラが何枚も上手だと貴族達は理解して、それぞれの反応をしめす。
ベルツェ侯爵はソラの口八丁に苦笑いと共に胸を撫で下ろした。シラカバの取り引きがあるためソラに監督がつくと困るのだ。
トライネン伯爵はそっと両の瞼を閉じて感情を隠した。クラインセルト伯爵は大嫌いだが、その息子のソラはベルツェ侯爵の傀儡だと彼は思っているため、ベルツェ侯爵と対立すると思いこれを避けたかった。
クラインセルト伯爵は怒りを込めてチャフ・トライネンを見ていた。領地経営を監督する等、早い話が植民地である。決闘に勝ったとしてもその要求はあまりにも大きい。バカにしているとしか思えなかった。
教会派の重鎮は嫌がらせが失敗したのを見ても気にせずにワインを煽った。
生真面目な子息を焚き付けてクラインセルト伯爵家に決闘を仕掛けさせる。本人同士による決闘ではなく将兵を用いての決闘を提案するよう事前に誘導もした。勝ったとしてもその要求が通らないのは間違いない。
だが、クラインセルト伯爵の持つ軍では貫陣のトライネンに惨敗を期すだろう。名誉はぼろぼろになる。あのクラインセルト伯爵がそれを分かっていて見逃せるはずがない。
教会派の重鎮は優れた将兵を貸し与える代わりに軽い要求を通すつもりだった。
貴族が皆興味を失いかけた時、最大のジョーカーを自覚もなしに切る者がいた。
「ソラ・クラインセルトにもチャフ・トライネンにも僕が将兵を貸せば解決だね」
柏手を打って決闘を行うための解決策を提案したのは本日の主賓、王太子。
彼は自身の発言がどれほどの重みを持つのか、まだ知らなかった。




