第十二話 司教に素敵なカクテルを。
「正面から沢山、右から二人!」
追っ手の足音を聞きつけたサニアが全員に警告する。
街に入った途端にこれである。ガイストの準備の良さには呆れるばかりだ。
リュリュがラゼットを見る。逃走中はラゼットの指示に従うと事前に決めてある。
「正面を走り抜けましょう」
コルが小さな悲鳴を上げ、サニアがもう一度、正面からの追っ手が多い事を伝える。
「大丈夫。その集団を抜けた方が安全になるそうだから」
誰がそんな事を言ったのかと問う面々にラゼットは領主館を指差した。
視線を向けてみると、領主館の窓の一つがチカチカと輝く。
ソラが館から街を見下ろし、ラゼットへ鏡の反射で合図を送っているのだ。
光があれば館に向けて走り、なければ現場で判断する。二択しかない単純な合図だが、読み間違えは少ない。
「でも、サニアの耳で人数が分からないなら、少なくともウチらより多い」
言外に追っ手に突っ込むのは無謀だとリュリュが指摘する。
ラゼットはガラス瓶の栓である木の皮に火打ち石で素早く着火する。その横でコルも同様の作業をするが、こちらは少々、腰が引けていた。
「出来るだけ派手にやれ、とソラ様にも言われているの。怪我人を出しても構わないそうよ」
火打ち石をポケットに仕舞ながらラゼットが正面を睨みつける。道の向こうから走ってくる七人ほどの男達に鋭い視線を突き刺すラゼットの雰囲気にコルが涙目になった。彼も準備したが、心情的にはこのガラス瓶を使いたくない。しかし、ラゼットが本気で使用を決めた以上、コルは従うしかない。
「ラゼット姉、なんか怒ってる?」
「教会に恨みができてね」
唇の端だけつり上げた笑いでラゼットは答え、全員に何があっても足を止めないよう指示した。
「子供を捕まえろ!」
「道をふさぐ必要はねぇ、ここで捕まえちまえッ!」
口々に怒鳴り合う男達に向かって走りながら、ラゼットとコルはガラス瓶を投擲した。
「下手だなぁッ!」
「かすりもしねぇぞ」
道の先に落ちていくガラス瓶を見て男達が揶揄する。その間も速度は緩めない。先頭を行く男のすぐ前にガラス瓶が落ちた瞬間、ガラスが割れると共にそれは起こった。
周囲に飛散するガラス片とそれを追いかけてまき散らされる火炎、一瞬にして地面が燃えるその光景に先頭の男は巻き込まれた。飛び散った火炎が足に舞い移り、絶叫を上げ足を抱えて男は転げ回る。それを見た男達も腰を抜かし、地面に尻をつけて呆然としている。
そんな男達の間をリュリュとコルはすり抜け、ラゼットとサニアは呆けている男の頭をすれ違いざまに蹴り飛ばし踏みつける。
ラゼット達が走り去った後には目の前で起きたことに理解が及ばずに呆然とする男達と未だ地面を舐めて燃える火炎が残された。
そんな風景を肩越しに確かめたリュリュは前に視線を戻す。
「今のって魔法?」
ガラス瓶には火が着いていたとはいえ地面が突然燃え上がり、広がる現象はそれ以外に考えられなかった。
魔法は詠唱を行うか複雑な陣を描かなければ発動しないのを知識として知っていたが、ガラス瓶にそれはない。
しいて上げるなら、ガラス瓶の栓である木の皮に魔法陣が書かれていた可能性だろうか。
「誰でもそう思うでしょうね。けど、違う」
リュリュの予想を否定し、ラゼットはその手に持つガラス瓶を軽く振った。
「この中に物凄くきついお酒が入ってるの。これに引火させたのよ」
ガラス瓶の中に入っているのは蒸留した酒、つまりはアルコールであり、引火性が高い。
ガラス瓶の栓である木の皮から高濃度のアルコールに引火し、飛び散ったアルコールが更に火を引き寄せる。
ラゼットとコルが投げたガラス瓶、火炎瓶の概要である。
冬戦争の際、ソ連に対してフィンランドが使ったのと同種の物で、ソ連外相モロトフ氏に捧げるカクテル、通称モロトフカクテルと皮肉を込めて呼ばれる物だ。ソラは今回、二等司教ガイスト氏に捧げるカクテル、ガイストカクテルと呼んでいた。
「まだ同じ方法をコルと合わせて六回やれるのよ」
それを聞いてサニアが迷惑そうな顔をする。気化したアルコールの匂いがキツいのだ。
追っ手が集まりませんようにと願いながら、サニアは近付いてくる怒声にどんよりとしたため息を吐き出した。
ラゼット達とは別の道を通って領主館に向かっていたガイストとシャリナは耳を疑った。
追っていたメイド達が魔法を使ったとの知らせを受けたのだ。
「そんな……。」
シャリナが泣きそうな顔をする。
魔法使いが相手ではガイストが譲歩するはずがない。サニアとリュリュの扱いも悪くなる。
「……妙だ。あまりにも妙だ」
ガイストが不機嫌さよりも困惑を含んだ声で妙だと繰り返す。
魔法を使うにしろ、後で言い訳が出来る程度に隠れて使うと予想していたのだ。これ程に派手で強力な魔法を使えば目撃者も出てくる。言い訳は不可能だ。
「あのメイドはもっと思慮深い女だと思っていたが……。」
所詮は神に背く魔法使いかと、ガイストは些細な違和感を胸の内に押し込む。
どの道、やることは変わらない。
「領主館の周囲に集まれ。使用人である以上、館を長くは留守にできないはずだ。子供と引き離せば捕まえるのも楽になる」
火の海を作る魔法使いが相手では集めた手駒もあまり役には立たない。
この状況では拠点である領主館に手駒を集中させ、相手の勝利条件を達成させない事に注力すべき。
「──そう、判断するよな」
領主館の一室から眼下に広がる街を望み、ソラは不適に笑っていた。ガイストの考えをソラは正確に見抜いていた。
館の周囲にガイストが手駒である教会の信者を集める事も、ラゼットを魔法使いだと勘違いさせる事も全てソラの計算の内だ。
「馬鹿が。歩を並べて足止め出来ると思ってるのか」
教会の信者を歩と表しながら、この場にいないガイストを鼻で笑う。
「そんな緩手を打つから入玉されるのさ」
ソラは手鏡を使ってラゼットに突撃命令を送ると部屋を後にした。
「さぁ、詰めるか」




