第九話 襲撃と間者
村の警戒態勢は何時だって万全を期していた。
しかし、内部から手引きされればかくも脆い。
日没間近に村を囲んだ領主軍は総数二十名ほど、いずれも馬に乗っていた。日が沈むのを待っていたのは船で逃げられないようにするためだ。
サニアの耳が領主軍の接近に気付いた頃には手遅れだった。
村は包囲され、ガイストと名乗る二等司教が降伏を促すと、彼が紛れ込ませた間者が進み出て隣に並んだ。
それを見てサニアが叫ぶ。
「シャリナ、何してるの!?」
「──みんな、降伏して。教会に寝返れば領主軍も手を出せないよ」
シャリナは沈痛な眼差しでサニアを見たが、質問に答えずに仲間達を説得した。
村の子供達が五人、示し合わせたように一斉にガイストの後ろへ並ぶ。それを見て不利を悟った三人の子供が続き、たったの二人が抵抗の意志を見せた。
「サニア、こっちに来て」
ガイストの横に並んだシャリナがサニアを手招く。
サニアは海に面した岩場からシャリナを見据えていた。
凹凸の激しい岩場を馬で駆けるのは難しく、領主軍でも捕らえにくい。弓で射殺す準備は整っているが、逃散を避けるため村からの心象を悪くするのは避けろと命じられている。仕方なく教会に説得を任せているが領主軍はそれに不満を隠せない。
殺気立った領主軍にガイスト側の子供達は怯えているが、サニアとその隣の少女は毅然としていた。
「教会に寝返るなんて絶対に嫌。去年、薪を奪ったのは教会だって忘れたの?」
敵意を込めてガイストを睨む。それを彼は平然と受け流した。
シャリナがサニアの視線を遮るようにガイストの前に立つ。
「それは信者さん達が凍えないように薪が必要だったからなの。私達も教会を信じて神様に祈ればあんな事はもう起きない」
教会は悪くないと言うシャリナだが、その言葉が持つむなしさに気付かず彼女は説得を続ける。
「それに、ソラ様は領主様の子供だよ? 領主様がいなければ私達はあんな生活しないで済んだ。領主様のせいでいろんな人が死んだ。ソラ様はその領主様の子供だよ? 許せるの!?」
言葉を繋げる内に貧困で死んでいった友人の顔が思い浮かぶ。知らず、シャリナは声を荒げていた。
ガイストがシャリナの肩に手を置いて落ち着かせる。シャリナが落ち着いたのを見計らって、彼は領主軍を振り返った。
「申し訳ない。先ほどの発言は忘れて頂きたい」
豚領主を含め貴族への批判は即座に首が飛んでもおかしくない。反乱を企てていると取られかねないからだ。
幸いにして領主軍は金を掴ませるなり商売女を抱かせるなりすれば口を閉ざしてくれる。
幾らかの賄賂で手を打って、ガイストはシャリナを見た。
「あの獣人の子はどうやら救えないね」
「ま、待って下さい! サニアは悪い子じゃないんです。きっと分かってくれます」
顔を青くしたシャリナが必死で弁護する。
サニアは教会の信者ではない。つまり、ガイストにとっては取るに足らない存在だ。邪魔になるならばあっさりと見捨てて領主軍に任せてしまうだろう。
「あまり時間がない。堕落しきった者には何を言っても無駄だ。諦めなさい」
ガイストはきっぱりと決定を伝える。
考え直して欲しいと懇願するシャリナを無視して、ガイストはサニアの隣に立つ少女に目を向ける。
「リュリュといったかな。君も教会に敵対するのかい?」
今年、十三歳となったリュリュは子供たちの中でも年長の部類だ。あまり容姿に気を使わないのか、赤毛混じりの金髪を無造作に後ろに流している。
他者を引っ張るカリスマ性はないが物事を見る際の視野が広く、冷静な意見を言う娘だとガイストはシャリナからの話で推測していた。
もっとも、年齢相応の視野しか持たない子供達にはあまり理解を得られないので彼女の発言力は低く、教会に抵抗すべきだと子供達を逆に説得しても無駄に終わるだろう。
「敵対はしない」
少年を思わせるハスキーな声でリュリュは周囲の予想を裏切る発言をした。サニアが隣で驚きの声を上げる。
「敵対はしないけど、ウチはソラ様の味方」
リュリュの言葉に子供達はため息を吐く。日和見かよ、とぼやく声も聞こえた。
しかし、ガイストはリュリュに対する評価を大幅に上げていた。
教会に敵対すると宣言していたならば、たとえこの場で取り逃がしても危険人物として追うことが出来るばかりか教会との無用な衝突を避ける領主の保護を受けるのも難しかったのだ。
リュリュはそこまで考えたわけではない。教会との完全な敵対がソラの不利になると思っての発言であった。
少々惜しい人材だと感じはしたが、ガイストは交渉の余地無しと見切りをつける。
「やれやれ、頑固な子だ。軍の皆さん、どうぞ、後はお好きになさって下さい」
ガイストが子供達を連れて退避しようとした時、突然ひとりの男が海から岩場に上がってきた。
思わぬ場所から登場した男にギョッとしたリュリュだが、それがゼズだと気付いて胸をなで下ろす。サニアは波をかき分けて泳ぐ水音を聞き取っていたので驚かない。
「あぁ、これは何事だ?」
ゼズがサニア達に背を向け、海水で濡れた頭を掻きつつ周囲を見回した。ガイストの側に子供達が居るのを不思議がっている。
領主軍が近づいていると知らされたゼズは武器代わりに漁で使う銛を取ってくるため村の外れに行っていた。そのため、子供達が教会に寝返った事を知らない。
リュリュが端的に流れを説明するとゼズは顔を顰めた。
「ゼズさん、ですね?」
ガイストが笑顔で確認する。真っ暗な水底から引き上げたような薄ら寒い笑顔だった。
「無駄な抵抗をしないで下さい。子供の前で大人がみっともないところを見せてはいけない」
ゼズの右隣に控えていたサニアが彼の服を握る。
ゼズは安心させるために笑い返し、ガイストに視線を移した。
「確かに、人の信頼を裏切るみっともなさは子供に見せられんな」
言い返したゼズにガイストが眉をひそめる。
「教会に協力する事がどれほど素晴らしいか、分かりませんか?」
「生憎と、惚れた女と夢物語に弱いもんでな。教会の理想とやらに手を貸す気は起きん」
「堕落していますね。あなたも人間ではありませんか」
ガイストは不愉快そうに顔を背けた。
既に日は没し、周囲には暗闇が手を伸ばし始めている。波音は微か、潮は村の様子に怯えて引いていく。
完成間近の桟橋には船があるが、海に逃げるのは難しい。仮に船を出しても暗闇に呑まれ、方向も分からぬまま岩礁に叩きつけられるのがオチだ。
一か八か、領主軍を相手に足止めし、他を逃がす役割が必要だろう。
ゼズはそれが己の役割だと腹を括った。
「リュリュもサニアも上手く逃げろよ。逃げ切ればラゼットかソラ様が手を打つだろう」
リュリュが頷く。一緒に逃げると思っていたサニアが疑問を抱くが、リュリュに頭を押さえられて口を開けなかった。
「それじゃあね、ゼズ」
「おう。ラゼットみたいな良い女になれよ」
気負いなく短い別れを告げて、リュリュはサニアの手を強く引っ張って走り出した。
領主軍が馬から降りて武器を片手に岩場に駆ける。酷く悪い足場だが、流石は治安の悪いクラインセルト領の軍というべきか、経験だけは豊富だ。互いの邪魔にならない距離を上手く取っている。
絶望的な力量差と人数差だが、ゼズは銛を構えて迎え撃つ。
──いざとなれば海に飛び込むか。百に一つは助かる。生き残ったら、いくらあいつでも見直すだろう。
そんな淡い期待を抱きながら、ゼズはうっすらと笑みを浮かべた。
12月14日修正




