第四話 ある日の昼のデザート
見上げれば、蒼天高々と鷹が舞っていた。
欠伸交じりに、ソラは机に頬杖を突き、休日の緩い空気を楽しんでいた。
王太子のソラ伯爵領訪問が決まり、今頃コルは厨房で大忙しだろう。
ベルツェ侯爵に出した手紙の返事が来るまで作業に取り掛かれないソラは暇を持て余し、餌を探して外壁をよじ登ってきた蟻の探索行を観察する。
どうやら、無駄足を悟ったらしい蟻が窓から外へと出立した。
ソラは蟻の後ろ姿を見送り、椅子から立ち上がった。
――仮面が蒸すなぁ。
ここ最近、めきめきと強くなってきた太陽光を煩わしく思いながら、ソラは窓の外、海の方角を見る。
ひと泳ぎできればいいのだが、仮面をつけたまま海水浴というのも無粋な話だ。
ささやかな涼を取るために吊り下げた風鈴は無風の中で役目を果たせぬ事を悔やむように、無音を保っている。
――長雨が原因だよな。湿度が高すぎる。
手を団扇代わりにパタパタと仰いでいたソラは、ふと思いついて部屋を出た。
ベルツェ侯爵の元にソラからの手紙が届いた。
十日前から二日おきに降る雨が、今日も窓を激しく叩く。
ベルツェ侯爵は雨によって端が濡れた手紙の封を切る。
どうやら、領主としての公的な立場ではなく友人として寄越した手紙であるらしく、文体はいささか砕けたものだった。
「また妙なものを欲しがる」
ソラ伯爵領では育てる農家が皆無な麦に加え、夏の果実の注文と聞けば、ベルツェ侯爵が、妙な、と枕詞をつけるには値しない。
ベルツェ侯爵はパチパチと窓を叩いては弾ける雨粒を振り仰ぐ。
「この長雨を読んでいたのか」
鬱陶しくまとわりつく湿気を運ぶ雨が手紙を出す友人の呼び水となったのなら、邪険にするのも可哀想だ。
ベルツェ侯爵は傍らに控えていた執事に声をかける。
「ソラ殿が夏の長雨と手を取り合うそうだ。芽が出た麦と果物が欲しい、と」
収穫前の小麦は雨の影響で穂に付いたまま芽を出す事がある。
ベルツェ侯爵領を出発した麦芽はクロスポートで待つソラのもとに届いた頃には程よい状態となっていた。
「ビールも作っているだけあって、勘付いたな」
ソラは麦芽の状態から判断して、すぐに乾燥作業に移った。
興味津々なリュリュが研究室から顔を出したかと思うと、外履きに履き替えてやってくる。
ちょうど良いところに、とソラはリュリュに声をかけた。
「遠心分離機を使うから、実験の途中なら終わらせてくれ」
リュリュが実験室の窓を振り返る。
先日導入されたばかりの遠心分離機はサニアが二日ほど頭を抱えて描き上げた魔法陣で動く装置だ。
世界中を見回しても大樹館の一台しか存在しない貴重品であり、リュリュの宝物の一つである。
しかし、ソラとリュリュ以外に価値を見出す者などいない。
「いまは使うような実験してないけど、何するの?」
「暑気払いと試作品作り」
短く答えて、ソラは火炎隊と共に果物を運び出す。
首を傾げながら、リュリュはソラの後を追う。
ジュースでも作るつもりなのか、ソラは火炎隊に命じて果物を磨り潰し始めた。
調理場から持ってきたらしい大鍋が磨り潰された果物や果汁で満たされていく。
ソラは大鍋から掬い取った果汁を慎重に測り、遠心分離機の容器に小分けしていった。
「分離してきてくれ。上澄みも沈殿物も使うから、どっちも別の鍋に入れておいてくれよ」
貸した鍋の様子を見に来たコルを捕まえて、ソラはリュリュの補佐をするよう言い渡した。
果物の磨り潰しを終えたソラは次の工程に移るべく、火炎隊に休憩を言い渡して乾燥させていた麦芽の様子を見に行く。
そこではサニアが乾燥中の麦芽を眺めてため息をついていた。
ソラの足音に気付いて振り返ったサニアは、乾燥中の麦芽を指さす。
「ビールでも作るの?」
「大麦がないからな。白ビールなら作れるが、今回の用途は別だ」
呼びに行く手間が省けた、とソラはサニアに恒温槽を六十度に設定するよう頼んでおく。
「ゼズに見つかるとドライフルーツとか入れられちゃうよ?」
「だから、白ビールじゃないって。完成したら食べさせてやるから、手伝ってくれ」
「はいはい」
背中を向け手を振って、サニアは恒温槽の準備をしに出て行った。
乾燥させた麦芽を集めて粉砕し、ソラは小麦粉と水を入れた鍋に投入する。
蓋をしたソラは恒温槽に鍋を置いて、サニアと共にリュリュの実験室に向かう。
実験室では遠心分離器の作動音が響いていた。
リュリュの縄張りともいえる実験室は居心地が悪いらしく、オドオドしているコルにソラは次の指示を出す。
「分離した沈殿物は冷やして、上澄みは煮詰めてくれ」
――今日のところはこれで終わりか。
作業が一段落ついたソラは、リュリュと交代で遠心分離機を作動させて朝を待った。
朝日が昇る頃には遠心分離が終了し、ソラは仕事を始めていた。
期日が短い案件もなく、のんびりとしたものだ。
昼前にあらかたが片付き、ソラは昼休憩を使って恒温槽を見に行く。
「活性が高かったみたいだな」
恒温槽の中に置かれた鍋にはとろみがある琥珀色の液体が入っていた。
麦芽糖、つまり水あめである。
さらに発酵させればビールを作れるその水あめが入った鍋を持ち上げて、ソラは小指をつけて味見する。
甘さは穏やかで口当たりもまろやかだ。
及第点をつけて、ソラは水あめを調理場へ持っていく。
昼食を作り終えて洗い物をしていたコルに水あめを預け、ソラは寒天を取り出した。
「煮詰めた果汁と分離した果肉を出してくれ」
おもちゃを要求する子供のような声で、ソラはコルに指示した。
「手伝ってくれたみんなのデザートを作ろう」




