第四話 二等司教の提案。
「教会にて二等司教を務めているガイストです。今年の夏はお会いできずに申し訳ありませんでした」
男は名乗り、如才なく一礼して微笑んだ。
応接間にはガイストの他に領主とラゼットがいる。革張りのソファに座る二人をラゼットは壁際に立って眺めていた。
窓際に置かれた観葉植物が陽光に葉を輝かせる清涼な空間も、領主が居るだけで台無しだった。
領主の目が届かない背後にうまく陣取ったラゼットだが、客人であるガイストがいるため肩の力を抜くことが出来ない。
ガイストはラゼットをチラリと見て、笑みを深くする。目の細さも唇の弧も眉の角度も計算された、清廉潔白に見える笑顔。
女性ならつい嬉しくなってしまうその笑顔を向けられ、ラゼットは驚いたように片手で口元を隠し──欠伸をかみ殺した。
ソラの愛想笑いを見慣れているため一瞬にしてガイストの微笑が作り物だと見破ったのだ。
豚領主は尊大な態度でソファに座っている。
「一日目くらいはゆっくりしたかったのだがな。貴様から会いに来るのだ、くだらん用件ではあるまい。早く話を始めろ」
苛々した口調で領主が急かす。そんな様子にもガイストは表情を一切変えないまま、手元の鞄からある物を取り出した。
ラゼットはもちろん、街の住人がもはや見慣れたそれはオガライトだ。しかし、領主は怪しい代物を見たように眉根を寄せる。普段は王都にいる彼にとって見覚えのない物だからだ。
「なんだそれは。枕か?」
「いえ、これはオガライトという薪です」
嫌みにならない程度の苦笑を添えて、ガイストが領主の言葉を訂正する。
その苦笑すらも演技だとラゼット以外に気付く者はいない。
「燃やしても煙が少ないため煙突掃除の頻度も少なくなります。売り出せばパン屋や湯屋がこぞって欲しがるでしょう」
儲け話の匂いを嗅ぎ取った領主が身を乗り出す。反対にラゼットは素知らぬ顔でガイストの視界の端に消えようとした。
「このオガライトは少量しか出回っておりません。ラゼットさん、理由は知っているかい?」
器用に口調を切り替えてガイストが名前を呼ぶとラゼットに視線が集まった。
わざわざ話題を振らないでもらいたいと思いつつ、ラゼットは適当な言葉を紡ぐ。
「貴重品だからでしょう」
「貴重品なら通常の薪より割高になるはずです。しかし、実際はほぼ同じ価格で売られている。別の理由があるのですよ」
笑顔の中で細めた目に小馬鹿にするような光を宿すガイスト。
ラゼットはその光を不快に感じる事もなく、真っ向から愛想笑いで迎え討った。
「私のような寒村出の無知な娘を捕まえて、二等司教様は意地悪がお好きなんですね」
「おっと、これは失礼」
ガイストは困った振りで苦笑する。
領主が苛々とソファを人差し指で叩く音を聞き、ガイストは追撃を諦めた。
「実はこのオガライトはある村が開発し、製法を秘匿したまま売っています」
ガイストがオガライトを領主に手渡し、説明を始める。
領主は渡されたオガライトを調べもせずに机に置いた。
「それで?」
利益を得られるならオガライトがどんな物でも構わないといった領主の態度にガイストは口端を上げる。
自らが利益を得るためならば何でもする権力者、領主はまさにガイストが求めていた人材だ。
「オガライトの商品価値から考えても、生産量を増大させて各地の教会で売り出せば利益が見込めます。そこで御相談なのですが、件の村を我ら教会が管理したいのです」
「ふざけるな!」
領主の一喝に応接間の壁が振動する。
領主が怒るのも当然だろう。村一つとは言え統治権を寄越せと言ったのだ。
「クラインセルト家がなければ教会派は塩の確保にも困るのだろう? 貴様ら教会がどうしてもと言うから塩の関税を撤廃してやったのを忘れて、まだ儂の利益をかすめ取る気かッ?」
領主の怒りにガイストが慌てた様子で待ったをかける。
「申し訳ありません。言葉足らずで誤解を招いたようです。村そのものではなく、村人によるオガライトの生産を教会で管理したいのです」
一度言葉を区切ったガイストはコップの水を飲み干して続ける。
「私共は教義にもある通り魔法を認めるわけにはいきませんし、魔法技術で作られた物も認められません。各地の教会で販売するのですから生産時に魔法が使われてはいけません。その監視を兼ねているのです」
分かって頂きたいとガイストが立ち上がって頭を下げた。
真摯な態度に見えるがその実、したたかだ。
領主とガイストが交渉しているのはオガライトの利権に関するもの。
現状は村が製法を秘匿し販売利益を独占している。
領主はクラインセルト領を管理しており、領内にある村も本来はその管理下に入る。
つまり、村の所有権者はクラインセルト家なのだ。オガライトの生産や販売もクラインセルト家が独断で行えるだけの権利がある。
ガイストの提案はオガライト生産と販売の権利を教会に渡してほしいと言うもの。しかし、見返りを提示していない。
下手に出つつも弱みを見せない交渉だ。
ガイストが下げた頭の旋毛を見ていたラゼットはいつ見返りを提示するのかと見守る事にする。
後でソラに報告するためでもあるが、この一年で子供たちに親しみも感じていた。何か危険があるなら素早く対処したい。
「貴様らの要求は分かった。だが、叶えてやる謂われはない。交渉の体を取るからには代わりの利益を用意しているのだろう? 早く出せ」
領主がつまらなそうに鼻を鳴らしてラゼットを振り返る。
「おい、紅茶を用意させろ。長くなりそうだ」
命令に従ってラゼットが退出する。
廊下に控えていたメイドに紅茶を用意するように伝える。
王都からやって来た領主付きのメイドだが、前回の帰郷時とは別人である事は追及しないでおいた。危険な海には手を突き入れないに限る。
部屋に戻ると領主が眉根を寄せ、ガイストはにこやかに笑みを浮かべていた。
「生産をクラインセルト伯爵が、販売を教会がそれぞれ行う形ではどうでしょうか。販売は教会に独占させて頂きたい。通常の薪価格の半分で教会が仕入れます」
「待て、儂に何の得もないではないか」
ガイストが矢継ぎ早に告げた条件に対して領主が待ったをかける。
「得ならばあります。各地の教会が協力しますので本来は伯爵が手を出せないお隣のベルツェ侯爵領などでも販売が可能です。必然的に広域での販売となり、全体の売り上げも増えることでしょう」
ガイストが言う通り、他領での販売はクラインセルト家には難しい。
しかも、オガライトを教会が仕入れる以上、他領への輸送費は教会が持つ。
「うむ。オガライトの生産に幾ら経費が必要か分からんのでな。卸値は確約できん」
領主が顎を撫でながら言う。彼からしてみれば降って湧いた儲け話だが、得られる最大の利益を出そうとしているのがその表情から読み取れた。
ソラと子供たちの努力の結晶をかすめ取ろうと画策する領主とガイスト。
ラゼットはその二人を冷ややかに見ていた。この部屋から抜け出したら真っ先に村へ知らせを送ろうと考えるラゼットは自分がこの場に居る理由を失念している。
「それでは伯爵、オガライトについては村を手中に収めてから値を決めましょう」
ガイストが差し出した手を領主が握る。交渉が一段落ついた証だ。
「ところで、そちらのメイド、ラゼットさんですが──」
ガイストが領主から視線を外し、ラゼットを見る。
優しそうに細められたガイストの眼に獲物を絡めとる蜘蛛を思わせる光を見たラゼットの背筋に悪寒が走る。
「数日教会で身柄を預からせていただきたい」




