第十六話 目指す正義
「──隠れて訓練していただろう?」
チャフの言葉一つで、フェリクスの表情が歪む。
数ヶ月もの間、訓練を受けなかった者に体力勝負で負けるほど、チャフは半端な鍛え方をしていない。
ソラに負けた頃とは違い、成長期を迎えて体も出来上がってきている。
加えて、ソラの言葉だ。
馬鹿だ、馬鹿だと言われてきたが、流石に察しが付く。
チャフは込み上げてくる笑いを止めようとしなかった。
勝負の全てが茶番で、しかし掛け替えのない物だと気付いたのだ。
──オレはなんとも狭量だった。
込み上げる笑いに涙すら浮かべながら、チャフは自分を酷評する。
目に見えるものが悪ならば、全てを否定していた。
悪の裏に正義があると、想像出来なかった。
フェリクスはただ、チャフを前に向けようとしていただけなのに。
道を見失った時、悪になってでも前を見せてくれる者が、そばにいる。
なんと恵まれている事か。
しかし、チャフは行いの裏にある目標という名の忠義に、正義に気付いていなかった。
支えてくれる掛け替えのない部下が、見えていなかった。
人の上に立つ器量のない愚か者だ。
今までも、何度となく答えを示されていた。
ソラを勝利に導くために、命がけで火炎の原を駆け回ったゴージュ達。
未来を見据え、領民が飢えないように、悪と知りながらも官吏達を罠に掛けたラゼット達。
チャフに悪と断じられても、ソラは少しも揺らがなかった。
何故なら、ソラが抱く理想を目標とし、全力で支える者達がいる事を理解し、信頼しているから。
だから、ソラは先頭を切り、困難な道を行く旗印として真っ直ぐ突き進むのだ。
理想に続く最短の道を、後ろに続く者が不安を抱かないよう、自信を持って進むのだ。
それが人の上に立つ者の義務。
──そうだ。誰かと比べる事に意味はない。
目標に向かうのは、誰かではなく自分自身なのだから。
──だが、自分だけでは進めない。
だからこそ、支えてくれる部下がいる。
──部下のために、迷わない。
わき目も振らず、部下が全力を尽くせるように。
──見据えるべき目標を。
「実現したい理想を描く」
チャフは立ち上がり……前を向いた。
──オレはオレの正義を捨てよう。
一つの視点から見た正義は独りよがりだから。
チャフは青天を仰いだ。
──正義なんてあやふやな物に付き合わされて、飢えるのは嫌、か。
サニアの言葉が頭をよぎった。
チャフの正義と領民の幸福が一致するとは限らない。
領民が望む正義は、幸福をもたらしてくれる事だ。
──ならば、そうあろう。
「フェリクス、世話になった。もう、大丈夫だ」
チャフが自信を持って言い切ると、フェリクスは困ったような顔をした。
頭をポリポリと掻きつつ、馬場の片隅にある建物に目を向ける。
肩を竦めて、ばつが悪そうに笑い、建物の方へ呼びかけた。
「すまねぇ。全部バレた。てめぇら、出てこい!」
チャフが視線を向けると、何か光る物が建物の陰に引っ張り込まれた。
ソラが呆れたように呟く。
「……鏡だな」
「生娘の裸を盗み見るでもなし、妙な小細工をするもんじゃ」
シドルバー伯爵の呆れ声が追随する。
建物の陰から神妙な顔をして、チャフの護衛達が出てきた。
フェリクスを含めて五人全員が勢揃いした事になる。
チャフは苦笑した。
「なるほど、もしフェリクスが負けたら、次の誰かが後を引き継ぐ手はずだったのか」
「……マジで全部バレてら」
弱り顔で一人が呟いた。
呟き声には苦笑で答え、チャフは護衛達を整列させる。
「みんなにも心配をかけた」
護衛達の前に立ったチャフは、苦笑をかき消し、頭を下げた。
「これからもよろしく頼む」
下げられた頭を前に、護衛達が狼狽した。
「よして下さいよ。頭を下げるのはこっちなんですから!」
「それに、活火山が見てるんですよ!?」
直後、失言に気付いた護衛が慌てて口をつぐむ。
しかし、時すでに遅く、あだ名を呼ばれたシドルバー伯爵が眉を寄せた。
「なんじゃ? 儂が何か関係しとるか?」
護衛達の体が固まった。
フェリクス達は護衛である。
主であるチャフが頭を下げる相手ではないのだ。
この事態を招いた発端はチャフだが、それとメンツは別問題である。
となれば、活火山が「威厳を持たんか、この腑抜けが! 鍛え直してくれるッ!」などと言い出しかねない。
そして、フェリクス達も確実にとばっちりを受けるだろう。
見かねたソラが、笑顔を貼り付けて割って入る。
「チャフ、頭を下げるのも良いが、三本勝負の決着が先だ。このまま引き分けだと、収まりが着かないからな」
手早く話をすり替えたソラに、護衛達が感謝の目を向けた。
「そうだな。終わらせるか」
チャフがフェリクスを見た。
頷きあって木剣を構える。
双方とも、純粋な笑みが浮かんでいた。
ソラが片手を挙げ、宣言する。
「──三本目、始めッ!」
木剣の打ち合う音が高らかに天を突いた。




