第十話 とある少女が見た舞台裏
王都の一角に、魔法使い達の居住区、通称、魔窟がある。
魔法使いには偏屈な者が多いと言われ、一般人は教会信者でなくても近寄らない地区だ。
規則的に並べられた石畳の道。
左右に並ぶ家にはコンパスで描いたような真円の窓や、多数の三角形で意匠が施された複雑な木窓がある。
時折、軒先に吊られている木の板には、虫食い算や証明できていない公式が書き込まれている。解法やヒントを募っているのだ。
数字と数式に溢れた地区、興味がない者達には不気味に映る要因だが、知識がある者達はつい吸い込まれてしまう。
時折、お互いに顔も知らない通りすがりの魔法使いが、次々に分かる範囲を書き込み、数学を発展させていく。
リレーのような協力が常に行われるこの地区は、出自に関わらず知識ある者を歓迎していた。
一つの数式が完成すると、誰も祝いの言葉を口にしないのに、どこか浮かれたような、そわそわした落ち着きなさが魔窟を包み込む。
そんな奇妙に薄い関係と一体感が、サニアは大好きだった。
サニアは一軒の民家前で足を止める。
例によって軒先に吊られている木の板には、数式ではなく図が書き込まれていた。
「……月までの距離と月曲面の数値化?」
何に使うのだろうかと、サニアは首を傾げる。
気を取り直して、玄関扉をノックする。
「師匠様、いる?」
返事がないのはいつもの事だ。
サニアは玄関扉を“わざと音が出るように”引き開ける。
「──あたいは給仕じゃないと言ってんだろがッ!」
民家の中から声が響き、木ベラが飛んでくる。
予想していたサニアは、回転しながら飛んでくる木ベラを両手で挟むようにして、受け止めた。
家の中に居た人物は、サニアを見て眼を白黒させる。
黒みの強い茶髪を後ろで短い尻尾のようにした若い女だ。
「……サニアじゃん。どうした? 親愛なる貴族様々に愛想尽かして、王都に戻ったか? ちょうど人手が欲しかったんだよ。歓迎する。歓迎するから、一つ向こうの通りで料理屋やってるシミッタレ爺の白髪頭を叩いて来い。武器はいま渡した木ベラだ。シミッタレ爺の白髪を真っ赤に染めて若々しくしてやれ!」
さぁ、行け、と女は白い右腕を床に対して水平に挙げる。
指差された方向に、件の料理屋があるのだろう。
サニアは溜め息を吐いて家に入る。
「師匠、今度は料理屋に呼ばれたの?」
師匠と呼ばれた女は、忌々しそうに料理屋の方角を睨む。
「人手不足って言いやがるから、手伝ってやったら調子に乗りやがって、あんの爺ぃ……!」
親指の爪をかじりながら、師匠はイライラを吐き出した。
彼女は人からの願いを必ず一度は叶える事を信条にしている。
魔法使いの心証を少しでも良くするためらしいが、王都の住人には便利屋のように認識されていた。
この手のトラブルも度々発生するため、その度にサニアが愚痴を聞くのだ。
今日もまた、再会したばかりだというのに、サニアは師匠の愚痴を聞くことになった。
時折、相槌を打つなどして、師匠のストレス発散に付き合う事にも慣れていた。
ソラへは「師匠に挨拶」と伝えてあるが、挨拶というよりはカウンセリングの域だ。
「……まったく、右も左も自己中の馬鹿しかいない」
ひとしきり、愚痴って気が晴れた師匠は、気持ち良さそうに胸を反らした。
「やっぱ、サニアが居ると良いわぁ。こんなにすっきりした気分は三年振りだと思うよ。もう結婚しちゃわない? 同性とか、獣人とか、あたいはどうでもいいし、結構お似合いっしょ」
「毎日愚痴を聞くのはちょっと……」
サニアは苦笑して首を振った。
師匠は「貴族様から寝取りたい」などと駄々をこねている。
話題を変えてしまおうと考えたサニアは、外で見かけた木の板を思い出した。
「月が何とかって言う軒先の問題、あんなの調べてどうするの?」
ふてくされて子供っぽく頬を膨らませていた師匠は、そっぽを向いた。
「教えない。そもそも、月が球体だって信じない奴もいるし、説明が面倒くさい」
完全にふてくされている。
サニアは困ったように笑う。
「あぁ、そうだ」
ふと、師匠は何かを思い出した様子で手を打った。
「あたいは来年からしばらく王国を出て、悪さをする。しばらくは弟子だって知られんじゃないよ?」
「……えっと?」
唐突に忠告を受けたサニアは首を傾げた。
全く意味が分からない。
「何するつもりなの……?」
「新ジユズ国で見付かった遺跡に忍び込んでくる。もちろん、密入国で」
大胆に犯罪予告してキラリと白い歯を見せる師匠に、サニアは白い目を向けた。
なんでも、遺跡の壁には古代語が書かれている可能性が高いとの事で、詠唱魔法の研究材料になるそうだ。
リュリュといい、師匠といい、研究者という人種は何故こうも目的に直進する考えなしなのか。
サニアは長い長い溜め息を吐いた。
「……気を付けてね」
どうせ、止めても聞かない。
サニアは諦観して、見送りの言葉だけを口にした。
連絡先を教えて、サニアは師匠の家を後にする。
宿に戻る途中、見覚えのある顔を空き地に見つけて、立ち止まった。
素早く周りを見渡して、近くにあった木の板の前に立ち、問題を解いている振りをする。
「なんで、フェリクス達がこんな所に……?」
空き地にいた人物は、フェリクスを始めとしたチャフの護衛達だった。
木剣での試合形式や鍛錬用に重くした鉄剣での素振り、筋トレなど、訓練を行っているように見える。
サニアが聞いた経緯では、フェリクス達が訓練をサボっていた事を発端にして、チャフとフェリクスの試合が始まったはずである。
むろん、フェリクスの思惑も大体想像が付いていた。
「もしかして、今までもずっと訓練は続けてたって事?」
サニアは獣の耳をそばだて、空き地の様子を探る。
私語は聞こえない。一心に訓練に打ち込んでいる様子だった。
サニアは本日何度目かも分からない溜め息を吐く。
「男って不器用だなぁ」
含蓄ある言葉を胸に刻み、獣人の少女は静かに立ち去る。
少なくとも、自分には関係ない事だと、サニアは思っていた。
宿で活火山に連れられたチャフが、頭を下げる姿を見るまでは──
男の口は飾りじゃないのかと、サニアは真剣に悩むのだった。




