136話「報復」
月明かりが煌々と照らす部屋に、微かな衣擦れの音が聞こえる。
そして、その発生源は私である。
「……」
一枚、また一枚と、陛下は慣れた手付きで私の衣服を剥ぎ取っていく。
ほぼ一糸纏わぬ姿にされた私は、広い寝台の上で思わず身動ぎする。
今日は珍しく部屋の明かりを落として行うと言うから、意外に思ったのだけど……今宵が満月だと気付いたのは、つい先ほどのこと。
「これはこれで、またいつもと違った趣があるな」
私を見下ろしながら、陛下は感嘆を込めて呟いた。
私は何も言わない、というより言えない。
王城へと帰還してからというもの、陛下と身体を重ねるのはほぼ毎夜のことである。
例外は、私がどうしても受け入れられない時ぐらいのもの。
とは言うものの、なかなか慣れるものではない。
……いや、正確には少し違うだろうか。
触れられる度、私の身体は心を置いてけぼりにしてすぐに順応する。
ほんの数ヶ月前まで、男を知らなかったのが嘘のようだと我ながら思う。
要するに、私自身もそういった行為への経験を積んではいるのだけど、驚くべきは陛下の順応の早さだ。
スタート地点は私と同じ筈なのに、早くも大きく差が空いてしまっている。
こうしている間も、何度も瞼の裏で閃光が奔った。
「陛下」
息も絶え絶えになりながら掠れた声でそう呼ぶと、僅かに首を傾げるのが見えた。私と違って余裕たっぷりといった様子だ。
愛おしそうに私を見下ろすその顔を、両手で挟み込む。
「美夜?」
「……陛下も早く脱いでしまわれては」
私の手に自分の手を重なる彼に、そう提案した。
自分だけが生まれたままの姿という状況は、何て言うか、どうにも居心地が悪い。
それに……。
「もう暫く、月明かりの下で乱れる美夜を見ていたい気持ちもあるが」
「それはそれでよろしいのですが」
面白がるように目を細める彼を、私は寝台へと引き込む。
そして、辿々しい手付きで衣服を剥がし始める。
「……今日は随分と積極的だな?」
「ええ。少々、まだ腹に据えかねていることがありまして」
若干驚きながら、それでもどこかからかう口調の彼にそう言った。
お互いに完全に衣服を脱ぎ去ると、私は陛下の身体へと腕を回し、何一つ纏わぬ肌を合わせる。
「肌に据えかねること?」
「……クラヴィス・クレイスの手記です」
相手の胸に顔を埋めたまま言うと、彼は合点がいった様子で「ああ」と呟いた。
実物を読んだわけではないにせよ、クラヴィスが普段から口にしていた妄想は彼も知るところだろう。
とすれば、内容についても想像するのは容易い筈だ。
「あの手記に、このような場面がありました。……アトロポス王女が、窮地に立たされて精神的な余裕を失った兄王を慰めるため、自らの身体を差し出すのです」
私が言うと、今度は苦笑交じりに「ああ……」と呟く声が聞こえた。
それから、くすりと笑みを零す。
「……それで? クラヴィスが想像した内容に妬いてしまったかな?」
「妬いたと言いますか……」
言いながら、陛下の背に回した手に力を入れる。
「彼女の不埒な妄想を不敬と思ったのです。こんな陛下を知っているのは私だけなのに、よくもまぁあんな厚かましい妄想を……」
思い出すだけで、改めて腹が立って仕方がない。
アトロポス王女が、クラヴィスの妄想の産物に過ぎない女が陛下と寝台に上がり裸で抱き合うなど、許される筈がない。
いや、そもそもそれ自体がクラヴィスの妄想なのだけど。
ムカムカと腹を立てる私の髪へと、陛下は口付けを落とした。
「それはあくまでクラヴィスが思い描く『エレフザード王』であって俺ではないから忘れて欲しい……と言いたいところだが……」
言葉を濁す陛下に、少しだけ首を傾げてみせる。
彼の口調には、どこか面白がるような響きがあった。
「いや、美夜が俺のことでこんなに拘ってくれるのが嬉しくもある」
「……」
何と言って良いかわからず、閉口してしまった。
陛下は、「とは言え」と続ける。
「もし仮に、俺に妹がいたとした場合、どんな窮地に立たされようとも慰めのために……いや、どんな理由であってもその身体を求めるようなことはしない。絶対に、だ」
口調こそ穏やかだったけれど、そこには断固とした意思が感じられた。
そうだ。
陛下が自分の妹に対して、そんなことをさせるわけがないのだ。
クラヴィスは、そんなごく当たり前のことさえ理解できないまま、陛下のことを好き勝手に解釈した。
「正確に言うと」
そう言いながら、陛下は私を抱き締めたまま身体の位置を変える。
覆い被さる体勢になると、少しだけ身体を離して私を見下ろす。
「血の繋がった妹であれ、他の女性であれ、美夜以外は誰も欲しくない」
目を見開き、暫し陛下を見つめ返した後ついっと視線を逸らす。
陛下の本心はわかりきっていたとは言え、面と向かって言われると、その、気恥ずかしさを禁じ得ない。
「……存じております、もちろん」
そう言って、相手の首に腕を回した。
それからというもの、再び穏やかな日々が戻って来た。
例の本を燃やしたこと、あるいはアスヴァレンがアトロポス王女の首根っこを押さえたことと関係しているのか、クラヴィスは文字通りの意味で完全な寝たきりになった。
謂わば、植物人間状態である。
辛うじて心臓はまだ動いているとは言え、意識が戻ることもなければ呼びかけにも一切反応しない、誰の声も届かない状態を果たして生きていると言えるのだろうか。
マティルダは侍女を辞めた。
王城の使用人でなくなった彼女は、本来ならばさっさと追い出されて然るべきだけど、陛下の温情でクラヴィスと共にまだ住まわせてもらっている。
そして私は今、クレイス母娘の元を訪れている最中である。
「マティルダ、クレイス様のご容態はいかが?」
「……変わりありません、王女殿下」
以前のような太々しさはすっかり影を潜め、覇気のない口調で答えるマティルダ。
彼女の弛んだ目の下には濃い隈が際立ち、初めて会った時よりも随分と老け込んだ印象だ。
「そう」
私は花のかんばせに笑みを浮かべながら、そうでしょうともと胸中で呟いた。
クラヴィスが目を覚ますことは二度とない。
クラヴィスは……あるいはクラヴィスを媒体とした何者かは、彼女自身の生命力を利用してあの空間を創造し、そこに陛下の魂の一部を閉じ込めた。
人間ごときの身でそんな大がかりな術を使えば、こうなることは必至である。
ざまぁみろ、と思わず汚い言葉を口にしたくなる。
「残念だわ。お義母様にも、私と陛下の結婚式を見届けていただきたかったのだけど」
殊更に「お義母様」を強調して言うと、マティルダが肩を震わせるのが見えた。
ふん、とせせら笑ってやる。
マティルダは以前、陛下がクラヴィスを想っているといった旨のことを私に話した。
おそらく彼女は、そうなることを狙っていたのだろう。
いつの日か、陛下が自分の娘を妃に迎え入れるだろうと。
そうはいくものか。
「ねぇ、マティルダ」
「……何でしょうか、王女殿下」
「お前、クラヴィス様にもしものことがあった時、行く当てはあるの?」
そんなもの、あるわけがない。
そうわかりきった上で尋ねると、案の定、マティルダは顔を曇らせた。
そんな彼女に、私はにこやかな笑みを浮かべたまま続ける。
「陛下は、ご自身の父上の代わりに責任を取るおつもりでクラヴィスをお迎えになったわ。クラヴィス様は陛下にとって継母、つまり家族も同然。だから、お前もいつまでもいてくれて構わないとお考えなの。私も賛成よ」
「……ありがとうございます。陛下の、そして王女殿下の温情に感謝いたします」
私の言葉の含みに気付いてか、マティルダは目を伏せてそう答えた。
散々馬鹿にして来た相手に情けをかけられ、居候として留まることを許される。
これは、なかなかに屈辱だろう。
しかもその相手は、マティルダから見れば雲の上の人になってしまった。
死ぬまでずっと、私を見くびったことを後悔すればいい。
心の底からそう思った。
「ああ、そうだわ」
私が言うと、マティルダはびくりと身を震わせた。
警戒心も露わに、おずおずと私を見る。
「私の部屋から最も近い書斎なのだけど、部屋の隅や本の間に埃が積もっていたわ。掃除しておいてもらえる?」
「か、畏まりました」
「一冊ずつ、表紙の埃を拭うことも忘れないのよ。それが終わったら、蔵書の一覧表も作成しておいて。作者ごと、ジャンルごとにわけてわかりやすくね。もちろん収納場所も一冊ずつ記載することを忘れずに。それが終わったら、全作者の出身と経歴を纏めておいて」
考えただけで膨大な作業量である。
案の定、マティルダは渋い顔をした。
私はすっと笑みを消し、真顔で彼女を見つめる。
「言っておくけれど、お前が今まで私に放った暴言の数々を許したわけではないのよ? お前、自分が誰に対してどれほどの無礼を働いたかわかっているわね?」
その言葉に、目に見えてわかるほどマティルダの顔から血の気が引く。
賓客扱いされている小娘だと思ったら、まさか女神の孫だとは想像もしなかったのだろう。
彼女の貧弱な想像力で、私の出自に気付けというのは酷な話だ。
それでも、私を一目見たならば、並ならぬ美しさと気品に額ずかずにはいられなかっただろうに。
そう、彼女に僅かでも良識があれば。
青ざめるマティルダに、私は輝かしい笑顔を向けてみせる。
「まぁ、この私にあれだけ偉そうな口を聞いたということは、相当に仕事ができるのでしょう? だからこそ、お前に任せるのよ。お願いね」
「……承知、いたしました」
項垂れるマティルダを見て気を良くした私は、上機嫌のまま部屋を後にする。
その時、何故か脳裏にアスヴァレンの呆れ顔が浮かんだ。
こんな時、彼ならやれやれと肩を竦めたかもしれない。




