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獅子王陛下の幼妻  作者: 小鳥遊彩
第六章
136/138

135話「彼の言う通りなのかもしれない」

 我へと返った時、私は自分の置かれている状況が全くわからなかった。


 裸足のまま地面の上に立っていて、冷たく泥濘んだ感触が直に伝わってくる。

 森、と呼ぶべきなのだろうか。

 周囲の樹は、長年に渡って止まない雨に晒され続けたせいか腐って奇妙なオブジェのような様相だ。

 今も陰鬱な雨がしとしとと降り注ぎ、私の髪を、肌を濡らす。


 間違いない、ここはあの沼地だ。例の「夢」で見た場所。

 クラヴィス・クレイスが生み出した空間の一部。

 そう気付いた瞬間、ぞくりと肌が粟立つのを感じた。

 この空間のどこかに、まだ陛下の魂が囚われている。

 そして、アスヴァレンもそこに……。


 そう考えかけた時、空気を切り裂く音が聞こえたかと思うと、私の首に鎖が巻き付いた。

 同時に、頭上から耳障りな甲高い笑い声が聞こえる。


「く、うっ……!」


 間違いない、あのカボチャ頭だ。

 しかも、笑い声は一体だけではないらしく、そこら中からいくつも響き始めた。

 腐敗した樹木から、何体ものカボチャ頭が地面へと降り立つ。


「キェキェキェキェキェ!」


 猿の鳴き声にも似た笑い声を立てながら、彼らは私へと近付いて来る。

 各々、その手にナイフや鋸を持っている。

 何をする気か察して藻掻いたけれど、首に巻き付いた鎖は私をより一層のこと強く締め上げる。

 足裏が僅かに地面から離れ、それに伴って呼吸が苦しくなる。


 駄目だ、このままでは……。

 恐怖と息苦しさに苛まれる中、唐突に一際甲高い声が響いた。

 それに伴うように、果実を地面に叩き付けるような音も聞こえた。

 鎖が緩み、ようやく私は息苦しさから解放される。


 呼吸を貪りながら周囲を見渡せば、紫色の水溜まりの中に砕けたカボチャが散乱している。

 どうやら、あのカボチャ頭の怪物の残骸と体液のようだ。

 誰かが、私を縛していたカボチャ頭を攻撃したということだろうか。


「え……?」

「君、こんなところで何してるんだい?」


 心の底から呆れたような声は、すぐ近くから聞こえた。

 弾かれたように振り返るも、誰の姿もない。


「アスヴァレン!」

「邪魔だからもう帰って。君って本当、面倒事を増やすしか能がないよね」

「待って、アスヴァレン……」


 声を限りに叫ぼうとしたけれど、まるで虚空に吸い込まれるように掻き消えてしまう。

 同時に、目に見えない繭のようなものが自分を包み込むのを感じる。

 私という存在が、この「世界」から切り離されているのだ。


「もうここには来るんじゃないよ。エルの側にいてあげなよ」


 最後にそう聞こえた気がした。






「う……」


 次に目を開けた時、私は見慣れた部屋にいた。

 意識を手放す直前と同様に、寝台の上に身体を横たえている。

 もぞもぞと半身を起こすと、窓から茜色の陽が差し込むのが見えた。

 どうやらもう夕刻のようだ。


「……」


 殆ど無意識の内に嘆息して、それから床へと降り立った。

 先ほど見た「夢」のことは鮮明に覚えている。

 いや、正確には夢であって夢ではないのだ。

 あの場所は深淵の一角であり、クラヴィスの妄想が生み出した異空間。

 そして、陛下の魂の一部が囚われている場所。


 部屋の中を歩き回ると、足裏にはしっかりとした床の感触が伝わって来る。

 私が今いるのは自室、安全な場所。

 ようやく現実感を取り戻した気がする。

 二度と行きたくないと心から思った場所に、再び降り立つことになってしまった。

 意識だけとは言え、どうやって辿り着いたのかさすがに二度目ともなれば段々わかって来た。


 やはりと言うか、アスヴァレンは……彼の意識は、あの場所に在った。

 おそらくは、今にも消え入りそうなアトロポスに代わって自分が陛下の魂を守り続けるつもりなのだろう。

 アスヴァレン、と声に出して呟いた時、扉が開く気配を感じた。

 我に返って振り返れば、そこには陛下の姿があった。

 途端に、言い様のない安堵感が胸に広がる。


「すまない、すぐに戻ると言ったのに遅くなってしまった」

「陛下」


 私の側まで歩み寄った陛下へと、半ば崩れるようにもたれ掛かる。

 その胸にそっと額を押し付けると、確かな鼓動が感じられた。


「美夜?」

「少し……」


 何かを言いかけて、そこで言葉を切る。

 数拍置いてから「疲れました」と続ける。

 陛下の手が、背中へと添えられる。


「……そうか。色々あったからな。無理もない」


 陛下はそう言って、私を伴ったままソファへと腰を下ろす。

 それから暫くの間、言葉を交わすこともなくただ寄り添って過ごした。

 すぐ側にある温もりが心地良く、心の澱を溶かしてくれるような気がした。

 そうしている内に、ここに至るまでの様々な記憶が蘇って来る。


 ……今まで認めたくはなかったけれど、正直言って碌な人生ではなかった。

 伯父夫婦に引き取られてからというもの、高圧的な伯父、それに品性や教養というものが全くない俗物である倫香とその子供たちに囲まれ、揶揄される毎日を送っていた。

 当然ながら、私にとって家庭とは安息の場とは程遠いものだった。


 学校とて同じである。

 容姿に恵まれた私は、それだけで幼い頃から「出る杭」だった。

 当時の私は自分の立ち位置を理解できず、毎日のように同級生や時には上級生から、嫌味や嘲笑を浴びせられ小突き回されていた。

 物静かな性格も、彼女らを調子付かせたのだろう。


 男子からは、一度も話したこともない相手も含め、ほぼ全員から目の敵にされていた。

 今思えば、彼らは私への興味・関心を子供特有の歪んだ方法でしか表現できなかったのだと思う。

 ところが、中学校生活の後半に差し掛かった頃から、彼らは突如として態度を変えた。

 それまで私のことを呼び捨て、あるいは下品なあだ名で呼んでいた男子が猫なで声で「皇さん」と呼ぶようになり、何かと理由を付けては私にアプローチした。


 私はそんな彼らを心から嫌悪した。

 道を歩けばおかしな男が寄って来る、電話を取れば何らかの手段で私のことを調べた男からのお友達になりましょうコール。

 十年近く、そんな毎日を送っていたのだ。

 陛下と出会うまで、ずっと。


「美夜?」


 陛下が再び私の名を呼ぶ。

 どうやら、気付かぬ内に彼の服を強く掴み、肩を震わせていたようだ。


「……」


 私は顔を伏せたまま、陛下の胸に頭を擦り寄せる。

 深く呼吸をすると、陛下の匂いが鼻孔を擽るのを感じた。

 前々から思っていたことだけど、陛下はいい匂いがする。

 どんな匂いか、と問われれば言語化するのが難しいものの、初夏の陽射しを受けた万緑のような、大自然の中で深呼吸した時に仄かに感じる風の匂いとでも言うべきだろうか。


 これまで私は人間の臭いというのが嫌いだった。

 いや、今でもそれは変わらない。皮膚から発生する酸味と油分の入り交じったような、鼻につんとくる臭い、あれが本当に嫌いだ。

 香水や制汗剤で隠そうとしても隠しきれない、本能的な嫌悪感を抱かせるあの臭い。


「陛下は……」


 私は殆ど無意識に口を開いていた。

 何を言うか考えていたわけではないものの、続く言葉はすぐに浮かんだ。


「私の幸せそのものです」


 彼はすぐには何も言わなかったけれど、柔らな笑う気配があった。

 私の髪を撫で、「そうか」と呟く。


「……良かった。美夜も同じ気持ちだと知れて、安心した」


 そうして、私たちは暫くの間、静かに流れる時間を堪能した。

 とは言え、いつまでもそのままというわけにもいかない。

 時間が経過すれば当然のように生理的欲求を覚えるわけで、つまり空腹感という問題が生じた。

 陛下が侍女たちに指示した後、待つこと暫し。湯気の立つ料理が運ばれて来た。

 私室にて夕食を食べながら、陛下がふとこんなことを言った。


「これは、美夜が前に『茶碗蒸し』に似ているな」


 彼が差しているのは、所謂プティングと呼ばれる料理だ。

 と言っても甘いものではなく、季節の野菜とベーコンとを卵液に絡めて蒸したもので、味付けには塩とチーズを用いている。


「そうですね、作り方としては似通っていると思います」

「これも美味いが、俺は美夜が作ってくれたもののほうが好きだな」


 陛下にそう言われ、私はすぐに気をよくする。


「では、またお作りいたしましょうか。もし差し支えなければ、明日、お昼に差し入れとしてでも」

「ああ、それは助かる」


 この私室に隣接した場所に、私専用の小規模ながら使いやすい厨房がある。

 これは最近設置されたもので、アルヴィースが設計してくれた。

 ブラギルフィアの技術を基礎に、現代日本のシステムキッチンの要素を取り入れている。

 アスヴァレンは、初めこそ「なんでこんなものが必要なんだい? 台所仕事は侍女に任せておけばいいじゃないか」と呆れていたけれど、陛下が私の作った料理を好むと知った途端、手の平を返して協力的な態度を見せた。


 全く、アスヴァレンはいつもそうだ。

 兄のことを思い出して胸の痛みを覚えたものの、努めて表に出さないようにする。


「やはり日本とブラギルフィアでは日常的に使う調味料も調理法も大きく異なりますが、工夫次第で日本にいた時のような味付けも可能です」


 そう。

 さすがにだしの素や醤油、味噌と言った調味料こそないけれど、それらの原材料に近いものは手に入る。

 私の知識と知恵、それに長年培った料理スキルがあれば十分に再現というわけだ。

 あの家で、毎日家事や炊事をやらされる日々は苦悩と不満の連続だったけれど……帳尻は合った、と考えることにしよう。 


 日本で過ごしている間に、陛下は和食を好むことを知った。

 私が作るものは何でも好んで食べてくれたけれど、中でも筑前煮や茶碗蒸し、おひたしや胡麻和えと言った素朴な味付けを好む。

 陛下に喜んでもらえるなら、料理スキルを身に着けておいた甲斐もあったというものだ。


 こうして陛下と食卓を囲み、他愛ない会話に興じていると日本で過ごした日々のことを思い出す。

 あの時は「期限付き」であることが前提だったけれど、今は違う。

 何より、互いの想いが通じ合った。


 こんな穏やかで幸せな日常がこれからもずっと続いていくのだ。

 ここに来るまで、陛下と出会うまで、苦悩と受難に満ちた人生だったけれど、そんな日々の中で刻まれた傷も徐々に癒えていくだろう。

 そう、陛下と一緒なら。


(もうここには来るんじゃないよ。エルの側にいてあげなよ)


 先ほど聞いたアスヴァレンの言葉が脳裏に蘇る。

 ……やはり、彼の言う通りなのかもしれない。


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