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獅子王陛下の幼妻  作者: 小鳥遊彩
第六章
135/138

134話「母親として誇りに思うわ」

 目覚めぬアスヴァレンを残して彼の部屋を出た私は、気付けば母の部屋の前まで来ていた。

 部屋に戻るつもりが、殆ど無意識的の内に足が向いてしまったらしい。

 そんな自分に困惑しつつ、一瞬の逡巡の後に踵を返すことにした。

 今、母と顔を合わせていったいどうしようと言うのか。

 ところが唐突に扉が開き、大いに驚いた。


「あら、美夜ちゃん」


 顔を覗かせた母は、私とは対照的に全く動じた様子もない。


「……どうも」

「どうしたの? 随分と浮かない顔ね」

「通り掛かっただけです。では、私は失礼いたします」

「あらあら、相変わらず素っ気ないわねぇ。そんなことじゃエルくんに嫌われちゃうわよ?」


 そう言ってくすくす笑う母に、僅かに眉根を寄せてみせる。

 大きなお世話です、という意思表示だけどわざわざ口に出す気にもなれない。

 立ち去ろうとする私に、母はお構いなしに声をかける。


「ねぇ、せっかくだから寄って行ってよ。美夜ちゃんだって、私に会いたかったのよね?」

「私は別に……」

「いいからいいから、美味しいお菓子もあるのよ」


 お菓子に吊られた、というわけではない。

 アスヴァレンじゃあるまいし。


 不意に、死んだように眠ったままの彼のことを思い出して胸の痛みを覚えてしまう。

 断るのも億劫で、そのまま母の部屋に上がることにした。

 部屋の中を見た瞬間、私はぎょっとした。

 何と、部屋には先客がいた。

 その先客……軍服を着崩すこともなく、きっちりと着込んだ壮年の男は、私も見覚えのある顔だ。


「……レイドリック!」


 一拍遅れてその名を思い出すと同時に口に出した。

 吐き捨てるような響きになってしまうのも無理からぬ話だ。

 何しろ、私はこちらの世界に来た直後にこの男に殺されそうになったのだから。


 母とお茶の最中だったらしく、瀟洒な白い椅子に大柄な身体を乗せていたレイドリックは、カップを持ったまま一瞬だけ決まり悪そうな表情を浮かべた。

 すぐにカップを置くと、見た目に似付かわしくない優雅な所作で立ち上がって頭を下げた。


「これはこれは王女殿下。お邪魔しております」

「お前、どうしてここにいるの? 職務はどうしたのよ?」

「もう、美夜ちゃんったら。そんな怖い顔しないの。すぐに喧嘩腰になる女の子はモテないわよ?」

「今は非番となっております」

「そうよ~。私たち、お友達なの。レイくんとは、よくこうしてお茶をいただきながらお話しているのよ」


 私はレイドリックから目を離さぬまま、口を噤んだ。

 見れば、部屋の中には侍女が待機している。

 つまり、少なくとも二人きりではない。


 それに、私は前にレイドリックから形式上の謝罪を一応は受け取った。許す許さないは別として。

 レイドリックが母と一緒にお茶を飲んでいる、この状況に対して言いたいことがないでもないけれど、それが口に出すべきことなのかと言うと躊躇してしまう。

 レイドリックのことは気に入らないとは言え、母が彼と親しくしようと私が口出しすることではない。


「そうですか。では、先客がいるのならやはり私はこれで……」


 私の言葉を遮って母が言った。


「レイくん、今から娘と親子水入らずで過ごしたいの。今日のところはお開きでもいいかしら?」

「はっ、畏まりました」


 私の戸惑いなど余所に、勝手に話が進んで行く。

 レイドリックは速やかに退室し、侍女はテーブルの上を手際良く片付けて新しくティーポットを運んで来る。

 そして私は今、半ば諦観しながら椅子に座っている。テーブルを挟んだ目の前には、何やらご機嫌な母の姿。


「……この短期間で、随分とお友達がたくさんできたようですね」

「ええ。皆、かっこ良くて優しい人ばっかりよ。持つべきものはイケメンのお友達よね。お金持ちだったらなお良し」


 お友達、と口にしながら私の脳裏を過るのは寝台の上で睦み合う母とベレス王の姿だ。

 貴女がお友達と呼ぶ彼らは、本当に文字通りのお友達なのですか?

 そんな含みを持たせて言ったのだけど、母は気付いているのかいないのか、屈託なく笑っている。

 イケメンとか金持ちというのは、所謂「お友達」に求める条件としては……いや、もういいか。

 私は私、母は母なのだから、勝手にすればいい。


 それから私たちは、他愛もない会話を楽しんだ。

 正確には、母が喋りたいことを喋り私は聞き手に回った。

 そうしている内に、私はどうしてここにいるのだろうかとふと疑問に思った。

 自分がどうしたいのか、どこに向かいたいのか……あるいはどうするべきなのか、まるでわからない。


 ……いや。どうして母を訪れようと思ったのかはわかっている。アスヴァレンのことを伝えに、だ。

 不意に、母は喋るのを止めた。

 彼女を見れば、私に視線を向けながら首を傾げている。


「やっぱり元気がないみたいね、美夜ちゃん」

「それは……」


 何かを言いかけて口籠もってしまう。


「あ、わかった。アスくんのことかしら?」

「……ご存知なのですか? アスヴァレンが一昨日から目を覚まさないことを。そして、もう二度と目を覚まさないかもしれないことを」

「えっ? へぇー、そうなんだ。じゃあ、もうアスくんとお話もできないの?」


 母の物言いに思わず面食らう。


「ご存知ではなかったのですか。では、どうしてアスヴァレンのことで私が落ち込んでいると思ったのですか?」

「だって、近い内にこうなる予感はしていたもの」

「予感……」


 困惑を覚えつつ母の言葉を反芻するも、やはりよくわからない。


「そう、予感よ。さっきだってそろそろ美夜ちゃんが訪れる気がしたら、その通りになったの」

「はぁ」


 と、曖昧に頷いた。

 確かに、母は昔からおっとりしているようで妙に鋭いところがある人だった。

 母親とはそういうものなのだろうか。


「まぁ、全く根拠がないわけでもないのよ。美夜ちゃんがまだお腹にいた頃に、この世界で恐ろしいことが起きた話は前にしたわね?」

「ええ。もっとも、それはテオセベイアとアークヴィオン……つまり私の祖父母が招いたことでしたが」

「それからもう二百年も経ったのですってね。でも、まだその影響は続いているみたいね。そこに、エルくんが転生。更に、同じ時代に美夜ちゃんとアルくんの帰還でしょ? アスくんが何もしないわけがないわ。だって、あの子は昔からエルくんのことが大好きだもの」


 昔から、と言ってもアスヴァレンが初めに慕ったのは陛下の前世だ。

 そんなことを思ったけれど、口には出さずにおいた。

 母は言葉を続ける。


「アスくんは、今度こそ絶対にエルくんの幸せを守るわ」


 私は返す言葉を見つけることができず、カップに視線を落としたまま沈黙する。

 ややあってから顔を上げて母を覗うと、お菓子を食べて「あら美味しい」とご機嫌な様子で頬に手を添えている姿が見えた。


 私は口を開きかけて、やっぱり止めた。

 アスヴァレンの置かれた状態を知っても、全く意に介した様子のない母を見ていると、それ以上何かを言うのは憚れた。

 そんな私の内心を見透かしたように母が言った。


「私はそんなアスくんを、母親として誇りに思うわ」

「誇りに……ですか」

「そうよ~。だって、一番大好きな人の幸せを守るって選択をしたのよ? その決意を誉めてあげたいじゃない?」


 それを聞いて思わずはっとした。

 以前、アスヴァレンが私に言った「愛する人の望みと命、どっちを選ぶ?」という言葉が脳裏に蘇った。


「私は、どうすれば良いのでしょうか」


 気付けばそんなことを口にしていた。

 子供じみた泣き言だと自覚しつつも、そう言わずにはいられなかった。


「アスヴァレンは陛下の……私たちの幸せを守るために自分を犠牲にしました。今、私は何をすべきなのでしょうか」


 母はすぐには答えなかった。

 私を見つめて、何度か目を瞬かせた後にゆっくりと言葉を紡ぐ。


「……今まで通り、でいいんじゃないかしら?」

「今まで通り……?」

「ええ、いつもだってアスくんが守りたかったのは、エルくんの幸せでしょう? そして、そこには美夜ちゃんが必要不可欠だもの。だから、貴女たちが幸せでいてくれるならアスくんだって本望よね」 

「それは……」


 私は何かを言いかけて、けれども明確な言葉を構築することができず、結局「そうですね」と呟いた。

 母の言葉に完全に納得したわけじゃないけれど、そこには確かに説得力があった。

 アスヴァレンは陛下の無事と幸せだけを願った。

 陛下にかけられた呪いを解くために私を利用しようとしたけれど、それが彼の本意でないと知った時は自責の念を覚えていた。

 自分が身代わりになる方法を見つけたなら、それを実行しないわけがない。

 アスヴァレンがしたことは、あくまで呪いの効力を食い止めることであって根本的な解決ではないけれど、それでも陛下が天寿を全うする間は安泰だ。




 私は母にご馳走様と伝えて、今度こそ自室に向かった。

 慣れた部屋に着いてからも、様々な思考が脳裏を駆け巡る。

 とは言え、明確な考えが浮かぶわけではなく、空回りするばかりだ。

 綺麗に整えられた寝台へと身体を投げ出す。


 母の言う通り、アスヴァレンの犠牲で得た平穏を……長い目で見れば束の間とは言え、私たちの一生としては十分なのだから、享受して過ごせば良いのだろう。

 実際、アスヴァレン自身もそれを望んでいる筈だ。


「でも……」


 思わずそう口に出すと共に、視線を部屋の隅へと向ける。

 そこに置かれた白いチェストの上に鎮座するのは、あの兎のぬいぐるみ。

 テオセベイアの魂の一部を宿していたぬいぐるみも、今では文字通り物言わぬ無機物だ。


 私は姫神テオセベイアの神性を受け継ぐ唯一無二の存在。

 そして世界最高峰の巫祈術の使い手。

 そんな私にできること、いや、私にしかできないことがあるのではないか?

 アスヴァレンにも、アルヴィースにも成し遂げられない何かが。


 その時、「夢」で見た沼地の記憶が鮮明に蘇る。

 鎧を纏ったゾンビに追いかけられ、カボチャ頭の化け物に首を絞められた……。

 それら全ての記憶が生々しく感じられるのは、あれがただの夢ではないからだ。

 もう一度あの場所に戻る、そう考えるとぞっとするどころではない。

 では、どうすれば……。


 そんなことを考えている内に、いつしか眠りの淵へと落ちていた。


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