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獅子王陛下の幼妻  作者: 小鳥遊彩
第六章
132/138

131話「彼女が消えた後の日常」

 初夏の陽射しが燦々と降り注ぐ中、私は日除け付きの椅子に座っていた。

 視線の先には、愛馬を常歩で進める陛下と彼の前に座るアトルシャン殿下の姿がある。

 そして、私の傍らにはシルウェステルとマティアスが控えている。


 ここはブラギルフィア王城の庭。

 私の部屋に隣接した中庭の比にならない広さがあり、馬を走らせるにも十分だ。

 やがて陛下は、一定の距離まで進んだところで引き返し、こちらへと進ませる。それと同時に、アトルシャン殿下の無邪気な笑い声も聞こえて来る。


「お帰りなさいませ」


 私が立ち上がると、マティアスはさっと日傘を差してくれる。

 うん、実に良くできた従者である。

 殿下を抱き上げようかと思ったけれど、その役目はシルウェステルに任せることにした。

 彼に抱き上げられた殿下に、花のような笑顔を向ける。


「殿下、初めての乗馬は如何でしたか?」

「とても楽しくて、ワクワクした! 馬というのは、話に聞いていた通りとても賢い。父の意図を汲むばかりか、僕の言葉も理解してくれた」

「まぁ」


 私は微笑みながらも、若干の困惑を覚える。

 ブラギルフィアに帰還してから、陛下の希望もあってアトルシャン殿下と何度か顔を合わせたものの、年齢にそぐわぬ物言いにはまだ慣れない。

 もうすぐ四歳の誕生日を迎えるというこの王子と初めて会った時、事前に聞いていた年齢より遙かに大人びた印象を受けたものだ。

 陛下にその旨を伝えたところ、彼は不思議そうに首を傾げていた。


 どうやら、神域の落とし子というのは極めて早熟らしい。

 生まれたての赤ん坊でさえ、生きようと思えば一人で生きられるというから驚きだ。

 陛下曰く、「いくら幼子とは言え、男子たる者、必要以上に他人の手を煩わせるわけにはいかない」と当然のように言った。

 馬から降りた陛下は、息子の頭を撫でながら目を細める。


「いい子だ、アトルシャン。その様子なら、もう一人で乗る練習を始めても問題なさそうだ」


 年齢という数字で考えれば「まだ早い」と思ってしまうけれど、おそらく陛下の判断が正しいのだろう。

 殿下は、父の言葉にぱっと顔を輝かせる。笑うとえくぼができて、とてもかわいらしい。

 子供に対してこんな感情を持つなど、初めてのことだ。

 早速自ら馬を駆ってみたい、アトルシャンの申し出にシルウェステルは厩舎から別の馬を用意した。

 驚いたことに、殿下は早くも乗りこなしてみせた。

 これには、シルウェステルもマティアスも目を丸くして嘆息した。


「さすがはアトルシャン殿下ですね。こんなにも早く馬術を習得されるとは」

「陛下のような乗り手になられる日も近いでしょうね」


 二人の賞賛を受けた殿下は、「いや」と首を左右に振る。


「馬というのはとても賢い生き物だ。こちらの意図をよく理解してくれる」


 その言葉に、私は内心で呻いてしまう。

 私も馬術を学び始めてはいるのだけど、その、何というか……首尾は上々、とは言い難い。

 指示を伝えるのが難しく、先日などは私を乗せたまま急に走り出して、あの時は肝を冷やした。


「アトルシャンの言う通りだが、こればかりは向き不向きもある」


 私の内心を読んだかのようなタイミングで、陛下が言った。

 いや、実際そうなのだと思う。

 ここにアルヴァレンがいれば、何かしら混ぜっ返す発言をしたに違いない。

 あの日……例の本を燃やした日から、既に半月が経とうとしている。

 その間、アトロポス王女を見かけることはなくなり、また、おかしな現象も止んだ。


 本を燃やした影響か、アスヴァレンはそれから数日間は体調が優れない様子だったけれど、徐々に快復しつつあるみたい。

 本がなくなったことについて、クラヴィスから何か言ってくるのではないかと思ったけれど、今のところ特に何もない。

 それどころか、クラヴィスの病状はますます悪化し、今はもう完全に寝たきり状態で、マティルダと主治医以外は部屋にも入れないと言う。

 誰も口にこそ出さないものの、死へのカウントダウンが始まったと思っているだろう。




 とにかく、アトロポスがいなくなったお陰でやっと陛下と過ごせるようになった。

 その夜、寝室にて陛下は私に見せたいものがあると言った。

 長椅子に座り待つこと暫し、戻って来た時にはその手に小さな箱を持っていた。

 彼は私の傍に跪き、箱を開けた。中身は指輪で、私は思わず目を見開いた。


「! 陛下、これは……」


 私の手を取ると、彼はそっと指に嵌めさせてくれた。

 指輪は二つあって、一つは薬指に、もう一つは小指にである。

 薬指の指輪は薄紅色の石を一つ嵌めたデザインで、小指の指輪は緑色をした小さな石を複数組み合わせたデザインだ。

 こうして嵌めると、まるで花と葉のようにも見える。

 石はいずれも透明感があるのにしっかりした発色を持ち、一目で相当に高価なものだとわかる。


「まぁ……とても綺麗」

「気に入ってもらえただろうか?」

「はい、とても。あの、ありがとうございます」


 私は居住まいを正して答えた。

 指輪を贈る、という意味がわからないほど子供でもない。

 これはつまり……。

 ところが陛下は、軽く笑ってこう言った。


「ああ、それは良かった。正式な婚約指輪ももちろん用意するが、こういう装飾品はいくらあっても困らない筈だ」

「え?」

「ん?」

「あの、これは、婚約指輪ではない……ということでしょうか?」


 きょとんとした表情を浮かべた陛下だったけど、すぐに首を左右に振る。


「いや、これは普段使いにと思ってな。婚約指輪については、今、原石を選定してもらっているところだ」

「原石を?」


 驚いて聞き返した。


「ああ。既に鉱山主に話を取り付けてある。最高のものを選んで欲しいと」


 私はすぐに言葉を発することができなかった。

 そんな私を見て、何やら誤解をしたらしく陛下は申し訳なさそうに苦笑した。


「待たせてしまってすまない。思えば、もっと早くに行動に移すべきだった」


 私を元の世界に帰す気でいた頃のことを言っているのだと、すぐにわかった。

 あの件については完全に許したわけではないものの、首を左右に振る。


「いえ、そうではないのです。何というか、陛下にそこまでしていただけるのが嬉しくて……そう、感動したのです」

「ん? ああ、そういうことだったのか」


 陛下は少し照れたように言って、私の隣へと腰を下ろす。

 それから私の手を握り、じっと目を見つめる。


「……長らく、美夜に何の贈り物もせずにいたことについて改めて謝らせて欲しい」

「……いえ」


 私は躊躇いがちに言った。

 こちらの世界に移転してからというもの、陛下は衣食住の世話を全てしてくれた。

 もちろん、そのことへの感謝はある。


 けれども、やはり私とて女性なのだから、想い人からの「贈り物」が欲しいという思いもある。

 ブラギルフィアへと戻ってからというもの、日常(祭事も含めて、だ)で必要になるドレスや宝飾品などはいくつも仕立ててもらったけれど、陛下直々に何かを贈られるのはこれが実は初めてだ。


「これだけは言っておきたいのだが、これまで美夜に何も贈らなかったのは、何も経費削減のためではない」

「ええ、存じております」


 と、頷いてみせる。


「私をこちらに繋ぎ止めようとしているようだから……とか、そういう理由でしょうか?」

「概ね合っている」


 私が言うと、陛下は苦笑を浮かべた。

 この際だからと、私からも気に掛かっていたことを尋ねることにした。


「私たちが日本に転移したあの日、そう、ラーメンを食べに入った時のことですが、陛下は『見返してやれた』と仰いましたね? あれはどういう意味だったのですか?」


 その時はわからなかったものの、後になってから一つ思い当たることがあった。

 それでも、本人から直接聞きたい。

 陛下は決まり悪そうにしつつも、嘆息混じりに話してくれた。


「以前、というかその前日に美夜がシルウェと街に繰り出したことがあっただろう? どこでどう過ごしたかシルウェから報告を受けてな。……まぁ、何というか、少しばかり敗北感を覚えたよ」

「そういうことでしたか」

「美夜のことだから、察しは付いていたのだろう?」

「さぁ?」


 明後日の方向へと視線を逸らし、とぼけてみせる。

 陛下の言う通り、私の考えは当たっていたのだけど、やはり本人の口から聞いてこそ満足感を覚えるというものだ。


「では、私がサリクス王子から贈られたドレスとネックレスを身に着けていた時も、やはり良い気はしなかったと?」

「……ああ」


 彼は半ば呻くように答えた。

 そうであればいいな、ぐらいに軽く考えていたけれど、陛下のほうは私が考えていた以上に深刻に捉えていたのかもしれない。

 少しばかりたじろいでしまう。

 話題を変えるべく、次の言葉を探す私の背へと陛下が腕を回す。

 そのまま抱き寄せられ、膝と膝とが触れ合った。


「あの、陛下」

「……正直、あの時はすぐにでも美夜を寝所に引き込んで何もかもを剥ぎ取りたかった」

「……そう、ですか」


 決して嫉妬させたいとかそういうわけではない……こともないけれど、何というか、反応が予想とは大きく異なった。

 陛下はますます腕に力を入れて、私をじっと見つめる。

 怒っている、というのとは違う。

 それでも、獅子を前にした子兎にでもなった気分だ。

 何か言わねば、と思うのに言葉が全く出て来ない。


 やがて口付けられる。

 当然ながらそれに抗う術はなかった。徐々に深くなっていく口付けを享受しながら、ふと陛下の左腕を見た。

 あるいは、視界の端に「それ」を捉えて目を向けたといったほうが正しいか。


 そこには、やはり黒い靄が纏わり付いている。

 クラヴィスの妄想を詰め込んだ本を処分すれば消えるのではないか、そう考えたりもしたけれど、さすがに甘かったか。

 ミストルト王家の呪い、という言葉が脳裏を過る。


「……美夜?」


 こちらの様子に違和感を抱いたか、陛下は行為を中断して私の顔を覗き込む。

 決まり悪さを覚え、咄嗟に適当な言葉が思い付かない。

 せっかくアトロポス王女が消えたというのに、間接的にとは言えクラヴィスに妨害させてしまったことが腹立たしい。

 曖昧に答えて、陛下の左腕にそっと手を添える。

 それだけで、陛下は私の言わんとすることを理解してくれたようで、穏やかな笑みを浮かべる。


「腕ならもう大丈夫だ。最近は不調を感じることも全くなくなった」

「そう、ですか」


 陛下の左腕に触れたまま、躊躇いがちに頷いた。

 陛下はそう言うけれど、この靄がいつまでも纏わり付いているのがどうしても気になってしまう。


「そうだ、寝る前に茶でも淹れようか。それに、侍女にもらった香がある。あれを焚いてみるのも……」

「陛下」


 立ち上がろうとする彼の言葉を遮り、その左腕に自分の腕を絡める。


「それも良いのですが、先ずは、その。……続きを、しませんか」


 陛下はすぐには答えなかった。

 一拍置いた後、私を強く抱き締めた。


 その温もりに身を委ね、あらゆる雑念を意図的に頭の中から追い出す。

 呪いがまだ続いているとは言え、アトロポス王女は消えてクラヴィスも虫の息だ。

 もう、憂えることなど何もない。



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