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獅子王陛下の幼妻  作者: 小鳥遊彩
第六章
128/138

127話「夢が示唆しするものは」

 その夜はなかなか寝付けずにいた。

 とは言え、隣で眠る陛下を起こすわけにはいかないから、迂闊に身動ぎすることもできず、ただ闇の中でじっと横たわっていた。

 それこそ、眠ったように。


 けれども、私の頭は完全に冴え渡り、複雑な思考が渦を巻いている。

 ちらり、と隣で眠る陛下に視線を向ける。よく眠っている。

 位置の関係上、左腕の様子は見えないけれど呼吸も鼓動も穏やかだ。


 ここは陛下の寝所である。

 私には私の部屋があるけれど、最近だと夜はこうして枕を共にすることが殆どだ。

 とは言え、今日は文字通りの意味で寝るだけとなった。

 それもこれも、全てはあの忌々しいアトロポス王女のせいだ。

 夕食後の一件で、私は自分で思っていた以上に動揺を覚えたらしい。


 そのことに気付いたのは、陛下と一緒にベッドに入ってからのこと。

 今夜の陛下は、何もしなかった。

 ……何と言うか、今までに陛下が自分の都合で〝辞退〟したことは一度もない。

 私に少しでもその気があると見抜けば、そう簡単には……いや、絶対に引き下がろうとしない。

 でも、私のほうが体調やその他の理由で受け入れられない状態にある時は、すぐに身を引く。

 というより、手を伸ばそうともしない。

 実際、今日は私とて心待ちにしていたものの、あんなことがあった後では気がそぞろになって純粋に楽しめなかっただろう。

 私の意を汲んでくれた陛下の心遣いに感謝すると同時に、アトロポス王女には腸が煮え来る思いだ。


 にしても、あの女、物質世界にも干渉するようになったとは。

 宿主であるクラヴィスは日に日に衰弱しているというのに、アトロポス王女はむしろ力を増しているようだ。

 不意に、私はあることに思い至った。

 漠然と、クラヴィスが死ぬまでの辛抱だと思っていたけれど、本当にそうだろうか?

 最初こそクラヴィスの別人格という形で対面したものの、再会時には霊的な存在とは言え宿主から離れて行動していた。

 つまり、クラヴィスが死んだ後もアトロポス王女は私たちに付き纏うのではないか。

 あくまで私の推測だけれど、考えすぎだとはどうしても思えない。


 そういえば、と例の「夢」で見た悪趣味な人形劇を思い出す。

 確か、クラヴィスが死んで嘆き悲しむ陛下が異母妹に「何があっても離れるな」と言って強引に口付けたのだった。

 ……ああ、思い出すと怒りと不快感のあまり気がおかしくなりそうだ。思わず低い呻きを漏らしてしまう。


「美夜?」


 多分に緊迫を含んだ声と共に、素早く起き上がる気配があった。

 ぎくりとしてそちらを見遣ると、険しい面持ちの陛下と目が合った。


「あ……申し訳ありません。起こしてしまいましたね」

「いや」


 陛下は短く答えて、室内を油断なく見回す。

 どうやら異変を察知して目を覚ましたようだ。


「いえ、特に何事もないのです」

「そう、か」


 私が言うと、ようやく安堵したように表情を和らげる。

 穏やかに微笑み、私の前髪をそっと撫でた。


「それならいいんだ。……てっきり、また何かあったものとばかり」

「いえ……」


 顔を曇らせる陛下に、私は曖昧に答えることしかできなかった。

 すぐに寝入ったように思えたけれど、眠りは浅かったのだろうか。

 それも、私の身を案じるが故に。


 陛下に申し訳なく思う気持ちと、アトロポス王女への殺意とが同居する心を深呼吸して宥め、陛下の胸に顔を寄せて瞑目する。

 眠気が訪れるかどうかはさておき、深夜にあれこれ思い悩んでいても良い方向に進むとは思えない。

 何より、こうして陛下のすぐ傍にいられる時間にあの母娘のことで頭を悩ませるなど馬鹿馬鹿しいと気付いた。

 陛下の手が私の髪を撫でる。

 温もりに包まれながら、鼓動の音を聞いている内に眠気がやって来た。


「……昔、まだ子供だった頃、怖い夢を見て飛び起きた後はこうして母の隣に潜り込んだものです」


 半ば無意識の内にそう呟いた。

 それに対して、陛下がどう答えたのかは残念ながら聞き取れなかった。

 ただ、髪を撫でる手の優しさははっきりと伝わって来た。

 心地良い温もりに包まれながら、いつしか私の意識は眠りの淵へと落ちて行った。




 夢だったのか、あるいは意識だけが遠い場所へと旅立ったのかはわからない。

 気付けば私は、とある一室にいた。

 見覚えのある部屋だけど、何もかもが無彩色だ。

 まるで、私の目から色彩を感知する機能がなくなったみたいに。


 どうやら、クラヴィス・クレイスの部屋にいるみたい。

 その一角に、部屋の主の姿があった。

 ネグリジェの上にガウンという格好で机に向かうクラヴィスは、広げた本に何かを書き込んでいる。

 正確には日記帳か何かだろうか?

 何を書いているのかはわからないけれど、随分とご機嫌な様子だ。


 やがて、手を止めた彼女は酷く疲れたように息を吐き出した。

 閉じた本を手に、ふらふらと立ち上がる。

 手にしたそれを本棚に……木製の扉を取り付けた最下段へと収納すると、侍女を呼んだ。

 マティルダが、すぐにサーシャを伴って駆け付けた。

 甲斐甲斐しくクラヴィスの世話をするその様は、私に対する態度とは全然違う。

 実の娘なのだから当たり前、なのだろうか。

 私の母ならどうか、ということについては意識的に考えないようにした。




 そして、気付けば私はベッドにいた。

 暫くの間、夢現のまま柔らかな寝具に包まれてぼうっと過ごす。

 見れば、カーテンの隙間から柔らかな光が差し込んでいる。

 どうやら朝を迎えたようだ。


 その時、微かな音を立てて扉が開く気配があった。

 入って来たのは陛下で、既に身支度を整えた後だ。

 純白と緋色を基調にした衣装を纏った彼は、いつも通り一分の隙もない。

 私が起きていることに気付くと、柔らかく笑いかけ、声を抑えて言った。


「すまない。起こしてしまったか」

「いえ。少し前から目覚めていました」

「そうか。まだ早い時間だから、もう少し眠っているといい」


 私は一拍置いてから頷いた。

 先ほど見た「夢」の内容が引っ掛かり、話してしまいたい衝動に駆られたものの、どう伝えるべきか。

 陛下はベッドの傍までやって来ると、考え込む私の頭をそっと撫でて言った。


「昨夜の出来事は、既にアスヴァレンに伝えておいた。あいつには、美夜を守ってくれるようにと言ってある」

「アスヴァレンに」


 と、私は反芻した。

 彼がこんな時間に起きているとは意外に思えたけど、陛下の訪問を受ければいつでもすぐに飛び起きるだろう。


「あいつはあの通り、いい加減でどうしようもない奴だが、信頼の置ける男だ。あいつがいれば、美夜に危害は及ばないから安心して過ごしてくれ」


 陛下はそこで言葉を切り、一拍置いてから続けた。


「ただ、美夜自身も……くれぐれも慎重に動いて欲しい。何か異変を感じたら、まずは相談してくれ」

「……はい」


 これには頷く他なかった。

 以前、独断で動いたために結果として腕と足とを一本ずつ失ったこともある。

 公務に向かう陛下を見送った後、私は再び寝入った。

 次に目が醒めた時には、そこそこいい時間だった。

 侍女を呼んで身支度を整えると、アスヴァレンに声をかけて朝食に付き合ってもらうことにした。

 朝食をいただく私の前で、親愛なる兄上は相変わらずお菓子を頬張っている。


「昨日は大変だったんだってね。エルから聞いた時、血の気が引いたよ!」


 そう語るアスヴァレンの顔には、いつになく緊迫感が浮かんでいる。

 当然と言えば当然である。

 何しろ、陛下に危険が及ぶところだったのだから。


「あー、エル大丈夫かなぁ。や、エルのことだから何かあっても自力で対処できるとは思うけどさ、やっぱ心配だよ」


 その言葉を裏付けるように、今日のアスヴァレンは普段より食欲に欠けるみたい。

 先ほどから、ドーナツ三個とトリュフチョコレートを数個しか食べていない。

 ……常人にとってはそれだけで胸焼けしそうな量だけど、アスヴァレンにとっては前菜のようなものだ。


「陛下から、私を守るように言われたのではないのですか」

「え? あー、そういえばそうだったっけ。や、もちろん守るよ」


 先ほどとは打って変わり、気のない調子で答えるアスヴァレン。

 やれやれ、我が兄ながら本当にぶれない男である。

 そこで、私は昨夜見た夢を切り出すことにした。

 と言っても、まだ自分なりの見解を纏められたわけではない。

 ただ、アスヴァレンがどう思うか知りたかった。

 アスヴァレンはクッキーを囓りながら(いつもに比べるとやはり勢いがない)ぼんやりと私の話に耳を傾けた。


「アスヴァレンはどう思いますか?」

「ただの夢だよ」

「は?」

「って言いたいところだけど」


 いつものように素っ気ない返事をした後、不意に表情を引き締める。

 大量の角砂糖を入れた紅茶をスプーンで掻き混ぜながら、どこか遠くを見るような目で考え込んでいる。


「君の場合、そうとも言い切れないから厄介なんだよねぇ。だとしたら、意識だけの存在となってクラヴィスの私生活を覗き見したってことじゃないのかい?」

「覗き見って……あのですね、私は真面目に」

「僕だって大真面目だよ」


 どこが、と言いたくなるのを堪える。

 アスヴァレンの言葉を全面的に認めるわけじゃないけれど、この男は意外な鋭さを発揮することが多々ある。

 今も、ふざけているように見えて何か考えていることがあるのかもしれない。

 ならば、余計なことを言って思考を妨げるのは得策ではない筈だ。

 アスヴァレンはカップの中身を飲み干すと、私のほうを振り返った。


「ねぇ、夢の中で見たっていう本棚の位置は覚えてるよね?」

「え? はい、覚えていますが」

「ふむふむ。よし、それじゃあこうしよう。クラヴィスは今、殆ど寝台から出られない状態だけど、体調のいい日は短時間の散歩に出かけることもある。僕が何とかしてクラヴィスを部屋から連れ出す機会を作るから、君はその隙に彼女の部屋に侵入して、その本を持ち出すんだ」


 その提案に私は言葉を失った。

 侵入?

 ……持ち出す?

 お世辞にも穏やかとは言えない行為だ。

 というか、私が生まれ育った国の常識から考えれば完全に犯罪である。

 躊躇いを見せる私に、アスヴァレンは大仰に肩を竦めてみせる。


「そんな泥棒みたいな真似できません、って? あのねー、君にとって何が一番大事なのか考えてみなよ。それを考えたらさ、暢気なこと言ってる場合じゃないってわかるよね?」

「それはそうですが、夢で見た光景が何を意味しているかもわかりません」


 もし、アスヴァレンの言う通り、クラヴィスの私生活の一部を覗き見しただけだとしたら?

 何より、見つかった時にどう言い訳すればいいのか。

 そんな私の内心を読み取ったように、アスヴァレンは言葉を続ける。


「君、自分が見た夢が示唆するものが『実は大した意味はないのかも』なんて本気で思ってるのかい? 違うよね? だからこそ、僕にこうして話を持ち掛けたんだろ?」


 図星だった。

 彼の言う通り、私としても本心ではあの夢が示唆すのは看過できない重要事項なのだろうと勘付いている。

 椅子を引く音に、顔を上げればアスヴァレンが立ち上がるのが見えた。


「じゃ、クラヴィスが部屋を空ける予定がわかったら知らせるね」

「どこに行くのですか」

「今からクラヴィスの診察」


 私はアスヴァレンが錬金術師であると同時に、王宮医師の役割も兼ねていることを思い出した。

 クラヴィスの症状には極めて特殊で、また危険も伴うため、普通の医師だけに任せておくわけにはいかないのだろう。


 ……だとしたら、やはり私が実行犯の役目を担うしかないのか。

 クラヴィスが部屋から出るとしたら、おそらくアスヴァレンが彼女付いていなければいけないだろう。

 決意が完全に固まらなくても、時間というのは過ぎるものだ。

 近頃の私は、巫祈術師としての仕事がない日は一日の大半を妃教育を受けて過ごす。

 その日は、座学と乗馬の練習で一日が終わった。

 そして、翌日はダンスの練習である。


 因みに、講師はいずれもアスヴァレンである。

 もちろん、ダンスの練習相手も。

 彼なりに、陛下との約束を厳守しようというつもりのようだ。

 因みに、離れている間も私を保護するための対策は行っている……らしい。


 それが功を成して、というわけじゃないだろうけれど、今のところは特に何も起きていない。

 同時に、私の中に「もしかして……」という新たな仮説が生まれていた。

 この仮説が正しければ、今はまだ何事も起きない筈だ。

 そう、今はまだ。


「ひてっ」


 考え事をしていたら、アスヴァレンの足を思い切り踏ん付けてしまった。


「ああ、申し訳ありません」

「全然申し訳ないとか思ってないよね? これで何度目だい?」

「仕方ないでしょう、慣れていないのですから」

「うーん、慣れる慣れないじゃなくてセンスとかリズム感とか、そういうのに欠けてる気がするよ。君、さては元の世界にいた頃から歌とか楽器の演奏とかも苦手だったろ?」


 痛いところを突かれて、口籠もってしまう。

 そう、私は筆記試験の成績こそ良かったけれど、音楽は大の苦手だった。

 音楽の授業で、他の生徒の前で歌わされたられた時には、いつも揶揄と失笑を受けることになった。

 音痴だとかお経みたいだとか、誰も彼も好き勝手なことばかり言ってくれたものだ。

 リコーダーの演奏も、どんなに練習しても一向に上達しない。

 体育も、運動能力そのものは平均レベルだけど、創作ダンスの類はどうにもならなかった。

 ……嫌なことを思い出してしまった。ただでさえ、気の進まないことをして疲労を感じているというのに。


「図星、って顔だね? でも、王妃になる以上は苦手じゃ済まないからね。パーティーの時は大勢の賓客の前で踊んなきゃなんないし、上手く踊れないとエルに恥をかかせちゃうよ」


 アスヴァレンの言葉に、私は思わず呻いた。

 私一人が笑われるだけなら、まだ良い……いや、良くはないけれど、陛下に恥をかかせるなど言語道断である。

 ……ならば、どうするか。

 上達するのみ、である。

 そうだ、美少女に不可能はないのだ。

 今に誰よりも優雅かつ華麗なる舞いを披露してみせる。


 そう決意した時、扉を叩く音が聞こえた。

 待機していた侍女が扉を開くと、そこには陛下の姿があった。

 陛下を目にしたら、一瞬にして疲れが吹き飛んだ。


「エル!」


 アスヴァレンはぱっと顔を輝かせ、私の手を離すと陛下へと向き直る。


「少し時間ができたから、様子を見に来た。美夜、アスヴァレンは真面目にやっているか? 迷惑をかけていないだろうか?」

「……ええ。彼にしては、真面目に務めを果たしていると言えるでしょう」

「え、何だいそれ? なんでそんなに上から目線なんだい?」


 不服そうなアスヴァレンよりも数歩踏み出し、陛下へと歩み寄る。

 そういえば、そろそろ昼食の時間だ。

 もしかすると、一緒に食べるぐらいの時間はあるのかもしれない。

 できれば、ダンスの練習にも少し付き合って欲しいと思う。

 そうすれば、上達も早くなるに違いない。

 口を開こうとした時、陛下が視線を持ち上げて目を大きく見開いた。


「美夜!」


 緊迫を含んだ声だった。

 反射的に陛下の視線の先を追うと、私の真上となる天井から吊り下げたシャンデリアが落下するのが見えた。


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