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獅子王陛下の幼妻  作者: 小鳥遊彩
第六章
127/138

126話「お帰りなさいませ」

 その夜は、母と一緒に食事をした。

 母は、ついさっき一国の王の暗殺に関与した事実を暴露が嘘のように、いつもと全く変わりなかった。

 私のほうはと言えば、少しだけ変わったかもしれない。


「美夜ちゃん、そのブランマンジェ食べないの? 美味しいわよ」


 食事の最中、彼女はそんなことを尋ねた。

 先に甘い物を食べる母と違い、私がデザートを食べるのは食事の最後である。

 私に限らず、普通はそうだと思う。

 とは言え、母にそんなことを言っても屁理屈を捏ねて反論されるのがオチだ。

 彼女にとっては自分の価値観こそが唯一無二にして絶対的な理なのだから。


「後で食べます。お構いなく」

「だったら、私に頂戴?」

「何が『だったら』なのですか。意味がわかりません」


 そう言って大仰に嘆息した後、白い冷菓子が乗った器を母の目前に移動させる。

 ……本音を言うと、後で食べるのを楽しみにしていたのだけど。


「あら、いいの?」

「……そういうことは、せめて食べる前に聞くものです」


 いいの? と言いながらブランマンジェをスプーンで掬って口に入れる母に、肩を竦めながら言った。

 ……やれやれ。さすがはアスヴァレンの生みの親と言うべきか。

 マイペースというか厚かましいというか、世界が自分を中心に回っていると確信している。

 親と言えば、と、ふと敬愛すべき父上のことが脳裏を過った。


「そういえば、お父様はどうしていらっしゃるのですか?」

「知らないわぁ」

「えっ」


 ブラギルフィアに帰還後、暫くは母の主治医のような立場で動いていた父だけど、彼女の体調が安定した頃から姿を見かけなくなった。

 あまりにも無関心な態度に面食らってしまう。


「知らない、というのは……」

「知らないものは知らないのよ。そういえば、最近見ないわね。美夜ちゃんこそ、何か心当たりはないの?」

「いえ、ないから聞いているのですが」


 そう言ったところで、こちらの世界に戻る直前に彼と交わした言葉を思い出した。

 テオセベイアとアークヴィオンの不始末を片付ける、という話だった。

 ブラギルフィアを守る障壁を張るとは言っていたものの、具体的にどこでどういうことをするのかまでは聞き及んでいない。


「父に対して、随分と冷淡なのですね。仲睦まじく思えましたが」

「あら、私とアルくんとは今も仲良しよ?」


 そう言って無邪気に首を傾げた。


「アルくんって、昔からとっても優しいのよ。私が寝込んでいる間も、美味しいお菓子や綺麗な宝石をいっぱい持って来てくれたの。それに、お部屋に置いて欲しい家具も受注してくれたわ。届いたら美夜ちゃんにも見せてあげる」


 嬉しそうに語る母に、私は僅かに逡巡した後に「そうですか」と頷いた。

 一般的な基準の母親像、あるいは幼い私が彼女に抱いていたイメージからは掛け離れているけれど、これが皇美桜子という人物なのだ。





 それから半月以上経過した後に、陛下が帰還した。

 言うまでもなく、とても長い半月間だった。

 逸る気持ちを何とか抑えつつ、陛下を迎えに赴いた私は、その姿を見た瞬間に心臓が大きく跳ねるのを感じた。


 ああ、陛下だ。

 本当に帰って来てくれたのだ。


「美夜」


 出迎る私を見つけた陛下が、穏やかな笑顔を向ける。

 けれども、陛下の左腕に纏わり付く黒い靄を見つけた途端、すっ……と気持ちが冷えるのを感じた。

 まさに水を差された気分だ。


「お帰りなさいませ」


 陛下の側へと歩み寄り、その左腕に手をかけると、靄は私を避けるように退く。

 すると、唐突に陛下が私の眉間に二本の指を添えた。


「陛下?」

「いや。随分と深刻な顔をしていたから」


 言い訳めいた、しかし可笑しさを堪えるような口調で言って、眉間に寄った皺を広げるように指を指の感覚を広げる。

 私は面食らいながら、彼の手から逃れるべく距離を取る。

 実際問題、笑い事ではないのだ。

 でも、陛下は私の考えを読み取ったように言った。


「腕の調子はすこぶる良好だ。アスヴァレンが調合してくれた薬を持参したからな」

「……なら、いいのですが」


 薬の原材料となる神花も、今は十分にある。

 私と陛下の婚約を、世界そのものが祝福しているという証だ。

 それでも、陛下の左腕に纏わり付く靄が視えてしまう以上、気にしないわけにはいかない。

 不意に、陛下が左腕を私の頭の上へと乗せた。


「それに……」

「それに?」

「……いや」


 妙に歯切れ悪く言って、明後日の方向へと視線を逸らす。

 何でもない、と言葉を濁すけれど、そう言われると却って追求したくなるというもの。

 ところが、陛下を呼びに来たシルウェステルによって、それ以上の追求は叶わなかった。



 次に陛下と会えたのは、翌々日の夕食時だった。

 言うまでもなく、諸侯連合を統べる王の死はティエリウス国内のみならず周辺諸国まで影響を与えた。

 もちろんブラギルフィアとて例外ではない。

 サリクスは事実上の王太子だけど、やはり二代続けて神域の落とし子でないことがネックになっているようだ。

 本人も王位継承には積極的ではないとは言え、様々な思惑が絡むこともあって、「王太子辞めます」の一言では済まない。


 これは、陛下がベレス王の葬儀に参列している間にアスヴァレンから聞いたことだけど、諸侯連合はブラギルフィアに統一されるだろうとのことだ。

 考えてみれば、必然である。

 何しろ、本来ならばブラギルフィアは一つの大国で、そしてそれを統べるのはミストルト王家の祖先だった。

 テオセベイアの直系である私が戻ったからには、在るべき形に戻るべきだろう。

 一頻り近況を説明した後、陛下は「それはさておき……」と切り出した。


「先ほどの話の続きだが」


 先ほどの、と反芻しながら記憶を探る。

 そういえば、何かを言いかけたところでシルウェステルに遮られたのだったと思い出す。

 陛下は私を椅子から立ち上がらせると、背へと手を回し、そっと抱き寄せた。


 ……ほんの数ヶ月前まで完全な未経験者だった私も、ここ最近で随分と経験値を詰んだ。

 そう、ゲームに例えるなら大幅にレベルアップしている。

 要するに、それなりにレベルが上がった今の私は、目に見えない雰囲気の変化も敏感に感じ取れるというわけだ。

 以前、陛下と一緒に遊んだゲームを思い出しながら、照れ隠しのために思考を明後日の方向へとずらす。


「交歓の儀を行った後は、頗る調子の良い日が続く」


 私は思わず身を竦ませた。同時に、やはり、とも思う。

 あの、と小さく呟いた。


「まだ、少し早い気がします」


 何しろ、食事を終えたばかりだ。

 床入りまでまだ数時間ある。


「そう言いながらも拒まないのだな」

「それは……」


 笑いを噛み殺したような物言いに、思わず口籠もってしまう。

 抱き寄せられた時、私もまた陛下にもたれ掛かっていた。

 その、だって、と不明瞭なことを呟くばかりでまともに言葉を構築できない。

 そんな私の様子を見て、面白がるような笑い声が頭上へと降って来る。


 ああ、もう。

 段々と腹が立って来た私は、陛下の背へと腕を回して、思い切り力を入れる。


「……仕方ないでしょう。半月は、長すぎたのですから」


 そう言いながら軽く爪を立てた。

 それでも、陛下はまだくつくつと笑っている。

 髪を撫でられたかと思うと、次いで頭に口付けられる気配があった。

 その瞬間、私の心臓は跳ね上がった。

 こんな軽い触れ合いにも、未だに鼓動が速くなってしまう。

 陛下は私を膝の上に乗せる形でソファへと腰を下ろした。


「確か前にも一度こんなことが……」

「ああ、そういえばそうだったな」


 そう言いながら、私の頬に手を添えて肩越しに振り向かせる。

 金色の双眸と視線が絡み、鼓動は一層のこと速くなる。

 このまま口付けられるのだろう、そう思って恐る恐る目を閉じた。


 次の瞬間、甲高くけたたましい音が響いた。

 陛下は恐るべき反射神経で身体の位置を入れ替えると、私を背で守る形で覆い被さった。

 私はと言えば、陛下とソファの背もたれに挟まれながら、目を白黒させるしかできない。

 けれども、暫く待ってもそれ以上のことが起きる様子はない。

 陛下は静止を呼び掛けるように私の肩を軽く叩くと、慎重な動作で離れた。


「いったい何が……」


 恐る恐る顔を上げると、先ず視界に飛び込んできたのは陛下の後ろ姿だった。

 彼は警戒も露わに、室内の様子を覗っている。

 私は、部屋の惨状を目の当たりにして言葉を失った。


 先ほどまで私たちが食事をしていたテーブル、その上に並べた食器が全て床に散乱している。

 食器の破片に塗れたテーブルクロスが床に落ちていることから、まるで誰かが食器ごとテーブルクロスを引っ張ったかのよう。

 どう考えても、誰かが何らかの力を加えたとしか思えない。

 でも、部屋には私と陛下しかいない。


「美夜、怪我はないか?」

「はい……」


 肩越しに尋ねる陛下に、驚きから立ち直れぬまま頷いた。

 唖然とする私の視界の端で、何かが動く気配があった。


「お前は……!」


 部屋の隅、私たちから少し離れた場所に立っているのは、紛れもなくアトロポス王女である。

 性懲りもなくまた現れたのか。

 私は思わず小さく叫び、同時に彼女に向かって駆け出していた。

 背後から焦燥を含んだ陛下の声が聞こえたけれど、今の私を止めることはできない。


 アトロポス王女の正体が何であれ、こう何度も私と陛下の邪魔をされて黙っていては美少女が廃るというもの。

 ぶん殴ってやらなくては気が済まない。

 私をじっと見つめていたアトロポス王女が、不意に方向転換した。

 そして、そのまま扉の向こうへと消えていく。


 すぐにその扉を開けたものの、それが壁面に備え付けた洋服箪笥だと気付いたのは開けてからのことだった。

 もちろん、箪笥を開けても王女の姿はどこにもない。


「美夜」


 佇む私の肩に、陛下の手が触れた。

 いつの間にか私のすぐ側まで来ていた彼を見上げると、いつになく深刻な表情が浮かべている。

 私は小さく頷いた後、言葉を紡ぐ。


「……アトロポス王女がいました」


 陛下の顔に驚愕が浮かび、それから何かを思案するように目を伏せた。


「……そうか。俺には何も見えなかった。いや、気配さえ感じられなかった」


 陛下の言葉を聞きながら、アトロポス王女の気配を探る。

 けれども、彼女はどこにも見当たらない。

 おかしい、気配はまだ残っているのに……。

 困惑する私の耳元に、その声は突如として降って来た。


「貴女が見ているお兄様は、全て嘘。貴女は虚像を愛しているのよ」


 ぞわり、と肌が粟立つほどの悍ましさを覚えた。

 顔を上げると、虚空に浮かぶアトロポスの姿が視界に飛び込んできた。

 彼女は頭を床に向ける形で、文字通り空中に浮かんでいる。

 けれども、その長い髪もドレスの裾も、重力に反して後方、つまり天井に向かってふよふよと靡いている。


 考えるより早く、私の目線と同じ高さにあるその顔面に向かって頭突きをかましていた。

 ところが全く手応えがなく、彼女の身体を素通りしてしまう。


「美夜!」


 勢いを殺せぬまま危うく壁に激突しそうになる私を、陛下が寸でのところで抱き留めてくれた。

 危なかった、と頭の片隅で考えながらも怒りは収まらない。

 激しい怒りが胸中で渦を巻き、心臓は早鐘を打ち続ける。


「美夜」


 浅い、それでいて荒々しい呼吸を繰り返す私を、陛下は強く抱き締めた。

 アトロポス王女への怒りが消えたわけではないけれど、その温もりに包まれて鼓動を聞いていると、少しだけ落ち着いて来た。


「何があったのか、彼女が美夜に何を伝えたのかはわからない。それでも……俺はここにいる」


 それを聞いた私は、少しだけ身動ぎした。

 同時に、荒れ狂っていた海が静けさを取り戻すように、自分の内面が凪いでいくのを感じた。


 ……そうだ。アトロポス王女がどれだけ好き勝手なことを並べ立てようとも、彼女は所詮クラヴィスの妄想世界の住人に過ぎない。

 あの女が何を言おうと、陛下の尊厳を奪うことはできないし、私を愛するのを止めさせることもできない。


 はい、と弱々しく頷いて、自分を抱く腕に縋り付いた。

 私と触れ合うことで、左腕に纏わり付いた靄は私の目でも視認できないほどに薄まっている。

 交歓の儀を行えば、一時的にとは言え完全に雲散霧消する。

 靄が再び現れたのなら、また同じことをすれば良いだけだ。


 アトロポス王女にもクラヴィスにも、私たちの幸せを邪魔することはできない。

 落ち着きを取り戻すと共に、あんな女たちに心を掻き乱されたことが馬鹿馬鹿しくなって来た。


 ……心の片隅に消え難い不安が根付いていることに気付きながら、私はそれを見ないようにした。


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