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獅子王陛下の幼妻  作者: 小鳥遊彩
第六章
126/138

125話「訃報」

 肩を抱く手には、妙に力が入っている

 痛みを感じるほどじゃないけど、簡単には振り解けないぐらいには。


「美夜、慣れない乗馬で疲れただろう。少し休んでいるといい」

「はい、ありがとうございます」


 普段と変わらない口調だった。

 それでも私は、内心では少しばかりヒヤヒヤしていた。

 即席の休憩所とは言え、なかなかに快適だ。

 アスヴァレンという先客が、寝そべってお菓子を食べているのが難点だけど……。


「美夜、少し待っていてくれ。飲み物を用意しよう」

「陛下、それでしたら私が」

「ありがとう、シルウェ。しかし、大丈夫だ」

「ですが……」


 従者の申し出を笑殺し、陛下は「すぐに戻る」と言ってその場から離れる。

 ややあって、陛下は大きめのバスケットを持って戻って来た。

 飲み物と言うから、てっきり携帯用の革袋のまま飲むのだと思ったら、驚いたことにティーセットを持参してくれた。

 ガラス製のカップに注がれた飲み物は、透明感のあるライム色をしていて、しかもひんやりと冷たい。


「よく冷えていますね」

「ああ。今日は暑くなると思って、氷を加えておいた」


 いただきます、と言ってカップを傾けると爽やかな酸味と甘さが程良く混じり合った味が口内に広がった。

 レモングラスのようなハーブの抽出液に、柑橘系の果実を混ぜて、蜂蜜を加えることで甘味を持たせているみたい。


「美味しいです」

「そうか、それは良かった」


 目を見開く私を見つめながら、陛下は目を細めた。

 数拍の後、囁くように言った。


「美夜、あまり魅力を見せ付けすぎないようよう注意してくれ。貴女はただそこにいるだけで、周囲の者を惹き付けるのだから」


 思わず飲み物を咽せそうになった。

 別に私は、意図的にちやほやされるように振る舞い、しかもそれを楽しんでいたわけでは……ない、ということにしておく。

 ただ、何と言うか……そう、礼儀を持って接していただけである。

 大丈夫か、と言って背を撫でてくれる陛下にその旨を伝えると、彼はあっさり「そうか」と頷いた。


「申し訳ない。少々、過敏になりすぎていたようだ」


 陛下は、何の頓着もない様子で言った。

 さすがの私も、少しばかり良心が咎めないでもない。

 ……正直言うと、ここ最近知ったことだけど、好意的な視線を集めるのは想像以上に楽しかった。元いた世界でも視線を集めやすい性質ではあったものの、それは必ずしも好意的なものではなかった。


 好意的な視線が欲しければ、努力すれば良いというものではない。

 その人の立場というものが何より重要で、努力するにも立場という足場が重要だ。

 どんなに知恵と技術を振り絞って立派な家を建造しても、その土地が駄目では意味がない。

 陛下の婚約者という立場になった今、類い稀なる美貌と誰よりも洗練された物腰、慎み深さを持つ私は、彼の言う通りただ存在しているだけで視線を集めすぎてしまう。

 ……嫉妬させようという気はなかった……殆どなかったとは思う……とは言え、陛下の言う通りあまり魅力を前面に押し出すのは控えよう、そう思った。


 その時、「陛下」という声が聞こえた。

 声の主は騎士の一人で、神妙な面持ちで休憩所のすぐ側に立っている。


「伝令の者が参りました」

「……何? そうか。すぐに行く」


 途端、陛下の纏う雰囲気が変わった。

 それはシルウェステルも同様だ。

 アスヴァレンは相変わらず寝そべってお菓子を食べているけれど、気怠そうに持ち上げた顔には、常よりも真剣な表情が浮かんでいる。


 どうやら何かあったらしい。

 しかも、すぐにでも陛下に報告しなければならないほどの……。

 一つ思い当たることがあって、はっと顔を上げた。

 陛下はそんな私の頭をそっと撫でてくれた。


「すまない、美夜。少し出て来る」


 そう言って、従騎士を伴って伝令役のところへと赴く。

 ややあって私のところへと戻って来た彼は、静かな声で言った。


「ベレス陛下が崩御なされた」






 城壁からそう遠くない場所だから、すぐに帰れると思ったのに予想外に時間がかかってしまった。

 そろそろ十五時になろうという時間である。


 あの後……伝令役からベレス王の訃報を受け取った陛下は、シルウェステルを初めとする数名の騎士を引き連れて先に王城へと帰還した。

 準備を整え次第、ティエリウスへと発つのだそうだ。

 私は、暫くその場に留まることにした。

 というより、せざるを得なかった。


 何しろ私は稀代の巫祈術師であり、自力で見つけた綻びが本当に閉じたか見届けるべき立場にある。

 因みに私の帰還が遅くなった理由は、あの巫祈術師たちが綻びを修復するのに、思った以上に時間がかかったからだ。

 二人がかりだというのに、二時間近く要した。

 でも、どうやらこれは普通のことらしい。

 ほんの数分で閉じることができる私のほうが異例なのだ。


 それとなくそう伝えたところ、彼女たちは僅かに顔を顰めていた。

 私のほうが有能なのは事実だけど、別にそれを誇ったり、あるいは相手を貶めたりする意図は全く……いや、あまりないにも関わらず、である。

 

 帰還した私は、疲れてはいたもののその足で母を訪れることにした。

 ブラギルフィア到着後、暫くは顔色の悪い日々が続いた母も、最近はすっかり健康を取り戻した様子だ。

 母は中庭に、そう、テオセベイアのために造られた場所にいた。

 母の姿を見つけた瞬間、私は思わず足を止めた。


 今、母は一人ではない。庭の片隅に置いた長椅子に腰を掛け、庭師の青年と話している。

 母は隣に座るよう促したけれど、彼はそれを辞退したようだ。

 ただ話しているだけ……だとは思う。

 それにしても妙に距離が近いというか、いやに親密な雰囲気だ。


 私は二人の様子を眺めながら、知らずの内に唇を引き結んでいた。

 初めに私に気付いたのは庭師で、彼に何かを言われた母が顔を上げた。

 私の姿を認めた母は、笑顔で手を振る。


 ……正直、この場から立ち去りたい気持ちもあった。

 でも、それも何だか癪に思えて母の側まで歩みを進めることにした。

 庭師は私たちに一礼すると、その場から離れた。


「お母様、今の男は……」

「彼はラッティくんよ。見ての通り庭師で、このお庭のお手入れをしてくれているんですって」

「随分と親しそうでしたが」

「そうねぇ、色々お話している内にすっかり仲良しになったわね。彼、まだ若いのにとっても礼儀正しくてよく気が利く男の子なの」


 そう言って母は、ぽやぽやという擬音が聞こえそうな笑みを零す。

 私は真顔のまま、そんな母を暫しの間見つめていた。

 何か言ってやりたい気持ちもないではなかったけれど、この場は「そうですか」と呟くだけに留めておいた。

 私と母とは、親子であると同時に全く異なる個体だと実感したばかりだ。

 母は穏やかな笑みを湛えたまま、私へと向き直る。


「それで、美夜ちゃん。私に何か聞きたいことがあるのよね」

「……ええ、まぁ」


 相変わらず、妙なところで鋭い人だ。

 ここ最近、見舞いを兼ねて何度か会いに来たことがあったけれど、その時は特に何も言わなかったのに。

 私は大いに逡巡したものの、上手い言い回しが思い付かなくて、率直に切り出すことしかできなかった。


「ベレス王の訃報は、もうご存知ですね」

「そうらしいわねー。ああ、ベレス様がお亡くなりになったなんて悲しいわ。サリくんは大丈夫かしら?」


 そう言って母は、悲しげに顔を伏せる。

 私はそれに対しては敢えて何も言わず、続く言葉を紡いだ。


「ベレス王を殺したのは、お母様、貴女ですか?」


 質問という体を取ったものの、これは殆ど断定である。

 母はきょとんとした顔で首を傾げ、「まぁ」と言って口元を覆う。


「殺した、だなんて穏やかじゃないわね。美夜ちゃんは、私がそんな怖いことをする人に見えるの?」

「見えます」

「あ、あら」

「……あるいは、殺したという表現は正確ではないのかもしれませんね。彼を死に至らしめた、あるいはそうなるよう仕向けたといったところでしょうか」


 母はすぐには何も言わなかった。

 ただ無邪気な、屈託のない笑みを浮かべている。

 母が不意に視線を移動させた。その視線の先を追うと、淡い水色の翅を持つ蝶が舞っているのが見えた。

 その蝶は、殆ど羽ばたくことなく風に舞う花びらのように飛翔し、やがて黄色い花へと止まった。


「うふふ、綺麗ね」

「……花はあまり好まないのではなかったのですか」

「嫌いとは言わなかったでしょう? 特に、この蝶々とお花は大好きよ」


 そう言いながら、蝶へと手を伸ばす。

 この時、私は母が蝶を引き裂くのだと確信して息を呑んだ。

 けれども蝶もそれを察したのか、意外なほど素早い動きで空中へと逃げた。

 母は落胆した素振りもなく、再び私へと笑顔を向ける。


「ベレス様のお側にいた頃、私は自分で作ったお薬を飲んでいたの。その昔、まだ美夜ちゃんが生まれる前にね、アルくんからお薬の調合について習ったのよ。とても不思議なお薬でね、男性が飲んでも効果はないのだけど、このお薬を飲んだ女性と交わると影響が出るみたい」


 私は思わず目を見開き、真っ直ぐに母を見つめる。


「美夜ちゃんと再会する前から、少しずつ服用していたの」

「それ、は……」


 何か言いかけて、けれども言葉を紡ぐことはできなかった。

 明言こそしなかったものの、母が行ったのは時間をかけたティエリウス国王暗殺計画だ。

 母がベレス王殺害に関与していることについては、殆ど確信に近いものを抱いた。

 でも、同時に「まさか」という思いもあった。


「いったいどうして」

「だって、ベレス様が死んじゃったほうが都合がいいでしょう?」


 母は表情一つ変えず、お菓子の作り方でも話すような口調で言った。

 お砂糖より蜂蜜を使ったほうが、より自然な甘さになるでしょう。

 愕然とする私に構うことなく、母は笑顔のままで言葉を続ける。


「美夜ちゃんの協力もあって、この世界に戻って来られたところまでは良かったんだけど、びっくりしたわ。だって、ティエリウス王家がブラギルフィアの王様より偉い立場になっているのだもの。色々あって失墜しちゃったみたいだけど、ティエリウス王家の血を絶やさなきゃ! って思ったの。本当はサリくんも邪魔だったんだけどね」


 つまりは、あわよくばサリクスも懐柔してじわじわ始末したかったということか。


「だって、今でこそ諸侯連合なんて名乗っているけれど、本来ならブラギルフィアは全て美夜ちゃんのものなのよ?」

「まさか、それが理由で……」

「ええ。ティエリウス王家は、色々あって求心力を失っているでしょう? そこに美夜ちゃんがやって来るとなったら、絶対に目を付けると思ったの」


 それを聞いてはっとした。

 母は、ベレス王の懐に飛び込むために、姫神の血を引く娘のことを彼に話した。

 何と軽率な、と思ったけれど実際にはそうではなかった。

 ベレス王を信用させ、近付くために情報開示を行ったのか。


「美夜ちゃんが来てからは、急がなきゃと思ってお薬の量を増やしすぎちゃったかしらね」


 やはり、と胸中で呟いた。

 私が疑念を持ったのは、母が体調を崩したのとベレス王の急激な衰えの時期が一致したことにある。

 そして、その疑念は間違いではなかった。

 どうしてそこまでして、と言いかけて口を噤んだのは、母が以前言ったことを思い出したからだ。


(こんなにも美夜ちゃんのことをとても大切に思っているのよ)

(私はいつだって美夜ちゃんの味方よ)


 あの時は反発したけれど、あれは紛れもない母の本心だったのではないか。

 そうだ、サリクスとの結婚についても、のらりくらりとした言い方をするばかりで、賛成の意思は示さなかった。


 ……母を責めてしまった自分を思い出し、少しばかり決まり悪さを覚えると同時に、視界が滲んだ。

 私は別に感傷的な性格でもないから、きっと目にゴミが入っただけだ、そう考えながら何度か瞬きした。


「そうでしたか。では、私の勘違いだったということですね。ベレス王の死は、お母様とは何の因果関係もありません。ただ、調合した薬を自ら飲んでいただけなのですから」

「そうね~」


 私の言葉に、母はにこにこと笑う。

 私が今ここにいるのは……陛下の婚約者という立場でいられるのは、多くの人の手助けがあってのことである。

 母もその功労者の一人だ。


 私のせいで母が人殺しに手を染めてしまったからと言って、それを気に病んだり自責の念に駆られるほど脆弱ではない。

 でも……。


「それはそれとして、何か不足はありませんか」

「あら? 急にどうしたの?」

「別に。お母様が仰ったように、この国は私のものです。何しろ、テオセベイアの神性を唯一受け継ぐ存在なのですから。この権力で、たまには親孝行でもしてみようかと思った次第ですが」

「……じゃあ、美夜ちゃん、一つお願いがあるの」


 そう言った時、母の雰囲気が変わったように思えた。

 声のトーンを落としたからなのか、私へと向けた笑みがいつもより寂しげに見えるのは気のせいだろうか。


「あのネックレス、私にくれないかしら?」

「……は?」


「ほら、サリくんからもらったあれよ。ダイヤモンドがいっぱいの、ゴージャスな」


 思わず間抜けな声で返したものの、続く言葉を受けて彼女が言わんとすることを理解した。

 いや、頭では理解しつつも、心のほうがついてこない。

 信じられない思いで母を見つめる私に、彼女は少し首を傾げて上目遣いで続ける。


「あれ、一目見た時から気に入ったのよね。キラキラして綺麗だったわ。ね、サリくんのことはフッたんだからいいでしょ? 私に頂戴よ」

「あ、あのですねぇ」


 暫く言葉を失った後、絞り出すように何とかそれだけ言った。

 ああ、頭痛がする。この人は、何を言い出すかと思えば……。


「人のものを欲しがるのは、お行儀がいいとは言えませんね」

「固いことは言いっこなしよ。ね、いいでしょ?」


 私は大仰に嘆息し、それから首を左右に振った。

 母は不満そうに唇を尖らせるけれど、構うものか。

 娘がもらったものを欲しがるなど言語道断である。

 贈り主が、別に好きでも何でもない相手だからといって関係ない。

 それに、私だってあのネックレスを気に入っているのだ。


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