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獅子王陛下の幼妻  作者: 小鳥遊彩
第六章
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123話「新たに芽生えた感情」

 その後、陛下は再び仕事に戻り、私は私で自室へと帰って来た。

 正確に言うと、あまりの顔色の悪さを心配した陛下によって、殆ど強制的に帰された。

 正直、助かったと思う。


 うたた寝の後、侍女が扉を叩く音で目を覚ました。

 侍女の相手をするのも億劫だったけれど、これも人の上の立つ者の定めと受け容れ、彼女たちに食事や入浴の準備を行わせた。

 やはりと言うべきか、マルガレータは私との再会を大袈裟に喜んだ。


「王女殿下、お帰りなさいませ! 留守中、寂しかったですぅ~!」


 表向きには、私はティエリウス王城に賓客として招かれたことになっている。

 陛下はアスヴァレンの他、少数精鋭の騎士のみを引き連れて赴いた。

 そのため、囚われの美しき姫君を奪還するという物々しい事態になったことは、少なくとも彼女たちには伏せられているみたい。

 私は愛想笑いを浮かべながら、あの話を切り出した。


「クラヴィス様の『発作』のこと、サーシャやマティルダと懇意の貴女なら当然知っていたのよね?」


 マルガレータは一瞬だけ表情を凍り付かせた。

 狡猾な色を湛えた目が揺らぐ。

 言い淀みながらも、頭の中では素早く計算をしているのだろうと思った。


「もー、本っ当に! 申し訳ございませんでしたー!」


 彼女が取った行動は、涙声で謝罪の言葉を紡ぐと同時に、深々と頭を下げることだった。

 私は冷めた目で、そんな彼女を見つめる。


「神使様が時々やばくなるっていうのは、噂で聞いて何となーくみたいな感じで知ってたんですけど。あたし、頭が悪くて! あの時もあんま深く考えてなかったっていうか、マティルダさんが大丈夫って言うなら多分そうなのかなぁ? みたいな……後からクラヴィス様がやばいってことのホントの意味知って、マジでびびりました!」


 顔を上げた彼女の目をじっと見て、それから表情を和らげた。


「そういうことだったの」

「そう! そういうことだったんです!」

「ああ、良かった。マティルダが私を傷付けようとしていることを知った上で、見て見ぬ振りをしたのかと思ったの。疑ってごめんなさい」

「いえいえ、とんでもございません!」

「貴女にはいつも良くしてもらっているし、エル……いえ、陛下にもお伝えしなきゃね」


 独白に近い語調で呟いた時、マルガレータの目が光った。

 やはり、この女に付くことにした自分の勘は間違っていなかった、そんな顔だ。

 いや、彼女だけではなく、他の侍女たちも同様である。


 陛下との婚約については、まだ公には伏せている。

 けれども、私がティエリウス王城に招かれる立場であること、陛下自ら迎えに行ったことなどから、ただ者ではないと推測できる。

 、アスヴァレンが私を妹と呼んだことも早くも噂になっている筈だ。

 極め付け、私は今、陛下のことをわざと愛称で呼んだ。

 その効果は絶大で、侍女たちは全力で私のご機嫌を取り始めた。

 やれやれ、マティルダが取り仕切っていた時の扱いとはえらい違いだ。


 内心で溜息をつきつつも、マルガレータを初めとする侍女たちの相手を無難にこなした私に拍手喝采を送りたい。

 一人きりになった私は、揺り椅子の心地良い振動に身を任せながら、今日のことを振り返る。

 クラヴィスがクロだということを明確に言語化した上で、情報共有できたのは大きな進展だ。

 別に私は、ただの私怨で彼女を厭っているわけではないのだから、それを伝えておきたかった。


 ……そう、本当に私怨ではない。

 多少、個人的感情も入っていることは否めないけれど……まぁ、それはそれとして。

 とは言え、ああは言ったものの、次にどうすれば良いか見当も付かない。

 どうすれば、夢の中で見たあの空間に再び行くことができるのだろうか?


 それに、私はあの空間において無力だった。

 再びあの空間に赴くにしても、何らかの自衛手段を持つ必要があるけれど、それが何であるかは皆目見当が付かない。

 まさかスタンガンを持ち込むわけにもいかないし、仮に持ち込むことができたとしても、あの鎧ゾンビやカボチャ頭を相手にするにはあまりに心許ない。

 アトロポスのところに行かなければ、という気持ちに嘘はない。

 でも……。


 私は小さく身震いした。

 正直に言うと、再びあのおかしな空間に赴くことを考えると、足が竦んでしまう。

 どうすれば辿り着けるかわからない、と表層意識で悩みながら、実は心の奥底でまた引き込まれたらどうしようという恐れを抱いている。


 皮肉なことに、自分の能力やそれを行使して見たものを陛下に話したことで、今まで気付かなかった本心が見えてきた。

 さて、どうしたものか。

 その答えはすぐに浮かんだ。

 今日のところはもう寝よう。

 慣れない長時間移動の疲れもあり、この日は早めに寝台へと入ることにした。


 約束を交わしたものの、やはり今夜は陛下と過ごせそうにない。予想外の出来事が起きたこともその一因だろう。

 そう思うと、クラヴィスにまたしても腹が立ってきた。

 扉を叩く音が聞こえたのはその時だった。

 まさか、と思いつつも鼓動が速くなる。


「美夜」


 扉越しに声を聞いた瞬間、心臓が大きく跳ねる。

 その声にもノックの音にも、私がもう眠っているなら起こすまいとする配慮が感じられた。

 はい、と上擦った声で返事しながら扉へと向かう。

 扉を開けると、その向こうに立っているのはもちろんエレフザード陛下その人である。

 私の姿を見て、安堵を含んだ笑みを見せた。


「疲れているのに、起きていてくれたのだな。すまない、予定より遅くなってしまったな」

「いえ、別に無理をしていただく必要は。というか、私のほうはうたた寝をしたので別に」


 間髪入れずに言葉を返したものの、すぐに苦々しい気持ちになる。

 違う、こんなことを言いたいのではない。


「あの、諦めは付いていたので、もう寝るところでした。故に何の問題もありません。いえ、立ち話も何ですから。どうぞこちらに」


 どうしても伝えたい気持ちを上手く言葉にできない。

 身体の位置をずらし、陛下を室内へと招き入れる。

 暫く私を見つめていた陛下が、不意に小さく笑った。

 決まり悪さを覚えつつも、窓際に置いた椅子へと向かおうとした。

 ところが、陛下が私の両肩に手を添えてそれを留めた。


「あの……」

「こちらのほうがいい」


 頭上から振ってくる声にどきりとしつつ、陛下が指した先へと視線を向ける。

 初め、彼が指し示したのはベッドの足下に置いたフットベンチだった。

 そう、映画に登場する高級な寝室には必ず置かれているあれだ。


 ところが、気が変わったらしく、陛下は私を促す形で寝台へと腰を下ろした。

 もちろん肩を並べて、である。

 陛下が私の肩へと手を添えた。私は私で緊張に身を固くし、両者の間に沈黙が流れる。

 色々と話したいこともあった気がするけれど、全く何も出て来ない。


「美夜」


 不意に陛下が私の名を呼んだ。顔を上げて相手の顔を伺うも、彼はそれ以上何も言おうとしない。

 目を伏せて、どこか遠くを見つめるような面持ちで何か思案している。


「陛下?」

「……本来なら、こんなことを言うべきではないのだろう」


 その言葉通り、いつになく歯切れの悪い物言いで切り出す。

 何だろう、と私はますます緊張を覚える。

 顔を上げた陛下と視線が絡み、心臓が一層のこと大きく跳ねた。


「いざという時は、全てを切り捨ててくれ」

「え……?」


 何を言われたのか、すぐには理解できなかった。

 陛下の顔に、苦悶の表情が浮かぶ。


「美夜は、これから行おうとしていることを止めるつもりはないのだろう。 それでも、自身の無事を何よりも優先させてくれないか。俺のことも、そしてクラヴィスやアトロポスのことも、何もかも切り捨てることになっても」


 そこに至り、合点が行った。

 陛下は、私に協力を仰ぐとは言ったものの、その全てに諸手を挙げて賛成というわけではない。

 私は貴重な巫祈術の使い手だ。

 ならば、この国の者、ましてや王家に連なる立場である以上は国の安定のためにその力を行使する義務がある。


「国王という立場の方が、そのようなことを仰るなんて」


 そう口に出したけれど、責める口調ではなかった。

 実際のところ、陛下が己の信念を曲げてまで私を案じてくれたことが純粋に嬉しかった。


「美夜、本当に笑い事ではないんだ」


 真剣な面持ち、それに怒りさえ滲ませた物言いに、さすがの私も思わず笑みを引っ込めた。


「貴女が赴く場所は、他の何者も手出しできない領域だ。何があるのか、俺には皆目見当が付かない。それに……」


 陛下は言葉を切ると、空いているほうの手を私の頬へと添えて顔を覗き込んだ。

 金色の双眸に、呆けた表情の美少女が映っている。


「実際、ニホンにいる時に巫祈術を行使した後は熱を出していただろう。また、結果として禍女と鉢合わせたこともあった」


 低く抑えた声音だった。

 常ならば、あらゆる恐れを克服して突き進む人が、明らかに恐怖を感じている。

 ただならぬ様子に息を呑み、何か言おうと口を開いたものの言葉を構築することはできなかった。


 肩に添えられた手が下降する。

 恐る恐る、服の下にある肉体を確認するような動きに、それが前に失ったほうの腕だと思い至った。


「あんなことは……もう耐えられない」


 陛下は絞り出すような声で言った。

 鈴木サヤカの一件は、私とて全くショックがなかったわけではないけれど、陛下はそれ以上に傷付いていたのだ。

 少しばかり胸が痛むのを感じると同時に、今更ながら危険との遭遇率の高さに戦く。

 まさか私は危険を吸い寄せる磁石のような性質を持っているのだろうか。


 アトロポスを、陛下の実弟を助けたいと強く思う。

 何より、私は陛下を蝕む呪いを完全に断ち切りたい。

 けれども、その背景に陛下とクラヴィスの繋がりを完全になくしてしまいたいという本心が潜んでいることも否めない。

 陛下の手に、自分の手をそっと重ねる。


「もし……」


 口を開いたものの、続く言葉が出て来ない。

 私の内に芽生えた恐れに気付いたのか、陛下が肩を優しく撫でてくれる。


「もし……その、私がもう二度とあの場所に戻りたくない、可能な限り巫祈術を行使したくないと言ったなら……」


 陛下が息を呑む気配があった。同時に、肩を抱く手に力が篭もる。


「美夜、どうか無理をしないでくれ。テオセベイアが去ってから長い年月が過ぎたが、その間、彼女に匹敵する巫祈術師は一人として現れていない。それでもブラギルフィアは幾多の苦難を乗り越えて繁栄して来た。だから……」


 陛下はそこで言葉を切ると、言い淀んだ。


「だから……貴女がテオセベイアの孫娘だからと言って、歴代の神使にできなかったことをしなければいけない道理はない」


 それを聞いて、身体から力が抜けるのを感じた。

 迂遠な言い回しには、立場上、表立って口に出せない思いが込められている。


 ……私は別に、いきなり臆病風に吹かれたわけではない。

 ただ、クラヴィス憎しアトロポス王女死すべし慈悲はないという感情が先行して、冷静な判断を下せていなかった自分に気付いたのだ。


 実際、今まで無意識に巫祈術を行使した時、あるいは自分の中にある筈の力を使う時、恐怖がついて回った。

 使いこなしてみせる、と意気込んでいたのはよく考えたらこちらの世界に留まりたいがためだった。

 正直なところ、陛下との未来を確約できた今、無理して行使する必要があるのだろうかと思い始めた。


 ちらり、と陛下の左腕に視線を向ける。

 そこには相変わらず黒い靄が渦巻いているけれど、私が触れるとその部分の靄が消えた。

 いや、王城に着くまでの間、私の目でも殆ど視えないほどに薄まっていた。

 そして、その理由について見当が付いている。


「左腕に関しては、特に問題はないだろう。各地でフィリス=リュネの開花が確認されている今、薬の原材料にも困らない。それに……道中は、ずっと調子が良かった」

「交歓の儀の効果でしょうか」


 陛下が濁した部分に、自分の言葉を被せる。

 陛下は何も言わず、私の身体を包み込むように抱き締めた。


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