122話「死んで初めて完成する登場人物」
陛下の言葉に、私は少しばかり心が震えるのを感じた。
同時に、彼はもっと早くに……いや、最初からそうするべきだったとも思う。
そんな思いから、腰に手を当てて顎を軽く突き出すというポーズを取ってみせた。
「何か偉そうだね?」
当然ながら、アスヴァレンは渋い顔をした。
それはさておき、陛下が私を、私の持つ力を頼ってくれたというのは大きな進展だ。
ならば、私も自分が見たものを話す頃合いではないか。
上手く言語化できるだろうかという不安は、もちろんある。
顔を上げると、澄み渡った金色の双眸と視線が絡んだ。
途端、不安がすっと消えていくのを感じる。
そうだ、陛下はいつだって私の全てを受け止めてくれた。
「まず、私の話を……これまでに私が見たものについて聞いていただけますか」
「ああ、聞かせてくれ」
と、陛下は神妙な面持ちで頷いた。
アスヴァレンは椅子に反対向けに座り、背もたれに顎を乗せる形でこちらに顔を向けている。
彼は特に何も言わなかったけれど、陛下に倣うつもりだろう。
私はすぅ……と息を吸い込み、一つずつ語り始めた。
まず、ブラギルフィアに来た直後に体験した出来事……数年前の陛下とアスヴァレンのやり取りを目撃した一件について。
とは言え、これは一つの取っ掛かりだ。謂わば、私に何ができるかという証明。
そして、本題とも言える「夢」の話へと移る。
まだ日本にいた時、陛下には話したとは言え肝心な部分……クラヴィスやアトロポス王女が登場した部分は削った。
今度は、あの時よりもずっと詳細に、余すところなく語る。
悪趣味な人形劇と、そこでアトロポス王女が語った内容、沼地で亡者に追いかけ回されたこと、アトロポス王子に助けられたこと、おそらくは彼があの空間で陛下を守っているのだということ。
躊躇いはあったものの、例の悪夢の最後で訪れた死体安置所で見た変わり果てた姿となった陛下についても話した。
この死体安置所に陛下の魂の一部が囚われているのではないか、その仮説を話したことはあるけれど、陛下の亡骸と対面したことを話すのはこれが初めてだ。
それを聞いている間、陛下は平静そのものだった。
アスヴァレンのほうは一見すると常と変わらぬ様子ながら、その目付きは鋭く、冷たい怒りを纏っているかのようだった。
最後に、ついさっき視たばかりのアトロポス王女のこと、それに陛下の左腕に纏わり付く黒い靄が色濃くなったことも話しておく。
陛下はもちろん、アスヴァレンも言葉を挟むことなく耳を傾けてくれた。
一頻り話し終えた頃、私は少しばかり疲労感を覚えていたけれど、まだ終わりではない。
「……以上が、私が自分の『力』を使って見たものです。話を聞いただけでは、あまりにも抽象的で不可思議なものに思えて、自分が実際に感じたもの全てを伝えるには不十分かもしれませんが」
そこで言葉を切り、一瞬の逡巡の後に再び口を開く。
「これから述べることは、私自身の主観に基づく見解となります。お話ししてもよろしいでしょうか」
「ああ。是非とも伺いたい」
「はい。では……」
とは言ったものの、どう切り出すべきか。
でも、考えたところで良い案が浮かぶとも思えない。やはり、率直に伝えるしかないだろう。
「陛下の左腕のことですが、王家にかけられた呪いと考えて間違いないでしょう。少なくとも、最初期の段階では」
「……どういう意味だい」
ずっと沈黙を保っていたアスヴァレンが言った。
これは質問ではない、と直感的に思った。
彼もまた、私と同じことを考えているに違いない。
「あの異空間の最奥部、死体安置所で見た陛下の亡骸ですが、左腕は原型を留めない状態でした。あの亡骸は、おそらく陛下の魂の一部……それを具現化したものだと私は考えます。何者かが陛下の魂の一部をあの場所に縛り付けることで、呪いに力を与えているのです。その者の名は……」
私は小さく喉を鳴らし、言葉を続ける。
「クラヴィス=クレイス」
室内に沈黙が落ちる。
正直、彼女の名を出すことには大いに抵抗があった。
クラヴィスの件は、陛下と先ほど話を付けてその存在を容認すると決めたばかりだ。
いや、と私は心の中で呟いた。
私が私怨の類で彼女を悪者に仕立てているわけではないと、陛下ならきっとわかってくれる。
「正確に言えば、クラヴィス様ご本人が呪いに力を与えているわけではないのかもしれません。先ほど、アスヴァレンは『アトロポス王女』について、クラヴィス様の別人格に留まらない存在になりつつあると言いましたね。おそらく、何者かがクラヴィス様を媒体にして力を得て、陛下への呪いを強力にしているのだと思います。あるいは、既に同化が始まっているのかもしれませんね」
陛下の手前、敢えて婉曲な表現を用いたけれど、何らかの理由で力を得たクラヴィスこそが元凶だと思っている。
例の悪趣味な異空間は、明らかにクラヴィスの意思を反映したものだった。
でも、あの女が何故そんなことができるのか、ずっと疑問に思っていた。
何らかの手段で人ならざる力を得ているなら、合点がいくというものだ。
「私が夢の中で見た場所は、その何者かが……あるいは、何者かの力を得たクラヴィス様が……生み出した空間で、陛下の魂の一部を幽閉している。そのように解釈いたしました。私の個人的な見解も含みますが、的外れではないと思っております」
アスヴァレンはすぐには答えなかった。
神妙な面持ちのまま、どこか遠くを見るような目をしている。
それから陛下を見つめて、次に私へと視線を移した。
「やっぱり、そういうことだったんだね」
「え?」
意外な反応に私のほうが面食らってしまう。
自室でアトロポス王女を見たと言った、彼は見間違いではないかと疑っていた。
私が何を考えているか察したようで、決まり悪そうに頭を掻く。
「クラヴィスが媒体となっている可能性については、何度か考えたことがある」
「え? じゃあ……」
目を瞬かせて陛下へと視線を移すと、彼もまたアスヴァレンと同じ表情を浮かべている。
「では、クラヴィス……様が黒幕であることに見当は付いていたのですか?」
「んー、まぁ」
ここに至り意図的に黒幕という表現を用いたのは、陛下に害になる女をそうとわかっていながら放置していたことへの憤りである。
アスヴァレンは決まり悪そうに視線を泳がせた。
「あー、言っとくけど、僕だって別に何もしないまま彼女をほったらかしにしてたわけじゃないからね?」
「クラヴィスを王城へ迎えたのも、留まってもらうことにしたのも俺の判断だ」
ここで陛下が口を開いた。
「初めはアトロポスの……異母弟の件があったからだが、すぐに異変に気付いた。彼女が置かれた状況は……あまりにも未知だった。故に、ここに留まってもらうほうが安全だと判断したんだ」
「……なるほど」
私は小さく頷いた。
安全というのは、クラヴィス本人にとっての安全と、彼女が周囲に及ぼす被害を防ぐという意味合いだろう。
実際、あの女を遠くへやったところで陛下に及ぼす悪影響まで緩和したとは思えない。
ならば、王城に……監視下に留めておくほうが確かにマシだ。
「俺自身への影響を懸念する声もあったが、アスヴァレンはその度に尽力してくれた」
陛下がアスヴァレンを一瞥した時、そこには名状し難い深い愛情が込められているように見えた。
アスヴァレンを非難したことを、遠回しに窘められている気がして少しばかりばつの悪さを覚える。
「最良の選択だったのですね。これまでの選択肢の中における」
負け惜しみ、というわけではないけれどそんなことを口にした。
私が現れたからには、より良い選択肢が増えたと、そう言いたかった。
陛下がじっと私を見つめて、それから視線を落とすと、自身の左腕をそっと撫でた。
あの空間で、孤独な戦いを続けているアトロポスへ想いを馳せているのだろう。
「私はアトロポス殿下を助けたいのです」
殆ど無意識の内にそう口にしていた。
けれども、これはずっと心の内にあった本心だ。
「彼はとても儚く、今にも消えてしまいそうに見えました。ですが、陛下を蝕む呪いの根本を断ち切るまで、あの空間から動こうとはしないのでしょう」
この世界では、死者の魂は主神のところへ召された後にこの地に戻ってくると考えられている。
けれども、アトロポスの魂はまだこの世とあの世の境界のような場所に縛られたままでいる。
陛下の呪いを断ち切ることだけが、彼を解放する唯一の手段なのだ。
月を映す湖面を掻き混ぜるように、陛下の目に揺らぎが生じる。
おそらく、様々な思いが交差しているのだろう。一瞬何かを言いかけて口を噤んだ後、「美夜」と躊躇いがちに私の名を呼んだ。
「どうか、アトロポスのことを頼みたい。あの子を救えるのは、貴女しかいない」
私は無言で頷いた後、「はい」とだけ言った。
「だいたいの事情はわかったけどさ、具体的な案とか次の打つ手はあるのかい?」
「それは……」
アスヴァレンの問いに、言葉を詰まらせてしまう。
でも、ここで怯んだらこの男はまた腹立たしい物言いをする筈だ。
私は可能な限りすぐに言葉を捻り出した。
「あの夢は普通の夢とは異なり、魂だけが離脱して異空間に赴いたのでしょうね。事実、私は昔から幽体離脱を経験することがよくありました。あの空間ですが、おそらくは神域と深淵の境界……人の身では辿り着けぬ場所。そこに向かう方法を見つけるのが先決と考えます」
「やっぱ、そういうことになるよね」
彼は拍子抜けするほどあっさり頷いた。
何か言いたそうな顔を私に向けて、小さく肩を竦めてみせる。
「ま、頑張ってよね。僕にできることがあれば、協力は惜しまないつもりだし」
珍しく殊勝な物言いに、思わず眉を顰めてしまう。
あまりにもアスヴァレンらしくない。何か言ってやりたいとも思ったけれど、それも何だか幼稚に思える。だから、礼を述べるだけに留めておいた。
話すべきことは全て話したとは言え、最大の疑問がまだ残っている。
私はそれを口に出さずにはいられなかった。
「クラヴィス様は、どうしてこのようなことをなさるのでしょうか」
その呟きに、二人ともすぐには何も言わなかった。
「私が見たもの、そして陛下を蝕む呪い、それらにあの方の意思が関与していることは明白です。あの異空間が……それに、アトロポス王女の言動がクラヴィス様の思考を反映しているのならば、どうして陛下を傷付け貶めるようなことを?」
私はそれが不思議でならなかった。
陛下に愛されたい、大事にされたいと願い、ありもしない現実を妄想するだけなら理解できなくはない。
決して許せないけれど、理解できなくはない……こともない、かもしれない。
でも、クラヴィスの妄想を映し出す鏡のようなあの世界において、陛下は矮小で脆く、しかも初恋の女性の身代わりをその娘に……自分の異母妹に求め、無理矢理口付けるような酷い男として扱われていた。
ああ、思い出すと怒りのあまり吐き気さえ込み上げてくる。
「挙げ句の果てには、まるで……その、陛下の死を望むかのような……」
随分と踏み込んだ物言いをしている自覚はある。
それでも、二人の見解を知りたいと思った。
陛下は沈痛な表情を浮かべ、独白のような言葉を口にした。
「……俺が考えていた以上に、王家は彼女を傷付けていたのだろうな」
「それは違うよ」
ところが、アスヴァレンが即座にそれを否定する。
「エル、君が……いや、君たちが思っているようなこととは全然違う」
君たち、ということは私も含まれているみたい。
アスヴァレンの言わんとすることがわからなくて、私と陛下は同時にアスヴァレンへと目を向けた。
アスヴァレンが口の端を吊り上げ、皮肉めいた笑みを浮かべる。
「多分、彼女の中だとエルは……エレフザード王は、死んで初めて完成する登場人物なんだよ」
「登場人物……ですって?」
思わず眉を顰めた。
酷く不快に感じたのは、アスヴァレンの用いた表現そのものというよりも、それがいやに腑に落ちてしまったからだ。
登場人物。
それは、物語を彩る重要な役割にして、作者の思うままに物語を綴る演じ手。
まさに、あの異空間の……クラヴィス=クレイスによる妄想の中の陛下を現すのに最適な表現だ。
「うん。美夜、君も気付いてるだろ? クラヴィスにとっては自分の中にある物語、勝手な解釈と妄想で構成された世界こそが現実なんだよ。その世界の中で、誰もが憧れるエレフザード王に恋い焦がれられながら、自分自身は地位も名誉も何一つ求めることなく、娘とその兄王の幸せだけを祈り早世した健気で気丈な女。そして、エレフザード王の異母妹にして、彼が愛した女性の忘れ形見でもある、天真爛漫で才気煥発な王女。クラヴィスにとってはどっちも自分、つまり彼女が愛して止まない物語の主人公。二人とも欠かせない存在なんだね。でもって、他の登場人物も世界も、その二人を輝かせるための舞台装置ってわけだよ」
「……なるほど。よくわかりました」
私はそれだけ答えるので精一杯だった。
ああ、酷く気分が悪い。
アスヴァレンが語ったことは、妙に説得力があった。
クラヴィスの思考回路はとても理解できそうにないけれど、アスヴァレンの見解は概ね正しいのだという確信がある。
二百年近く生きているだけあって、私よりずっと人間心理に精通している。
クラヴィスが、どうして妄想の中で陛下を貶めるのかわからなかったけれど、やっと見えて来た。
あの女は、陛下を好いてなどいない。
クラヴィスは自分の妄想しか見えていないのだ。




