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獅子王陛下の幼妻  作者: 小鳥遊彩
第六章
122/138

121話「今がまさにその時」

「クラヴィス様について、もう少し教えていただけますか」


 話題を変える意味も含めて、私はそう切り出した。

 自分が見たもの、体験したことの詳細を話す頃合いだとは思う。


 前に見た「夢」について陛下には伝えたものの、そこにクラヴィスとアトロポス王女については敢えて省略した。

 不可解な出来事にあの女が関わっていると確信しているとは言え、陛下の縁者について表立って悪く言うことは躊躇われる。

 まずは、あの女についての詳細を知って、情報を手に入れておきたい。

 陛下やアスヴァレンは、あの女の不可解さをどの程度認識しているのだろう?


「アスヴァレンは以前、アトロポスは危険な存在で、クラヴィス様を神使という地位に就かせているのはその脅威を抑えるためと話してくれましたよね。あれはいったい、どういうことなのですか?」

「……アトロポスの人格が表に現れると、間もなく発狂して暴れ出す」

「え……?」


 言葉の意味を理解しかねる私に、アスヴァレンは軽く肩を竦めてみせた。


「そのままの意味だよ。アトロポス……エルの異母妹を名乗る彼女が、好き勝手なことを並べ立てるのは君も聞いただろ?」

「はい、聞きました」


 思い出すと腹が立って来て、半ば無意識に顔を顰めてしまう。

 合わせ鏡のように、アスヴァレンの顔にも同様の表情が浮かんでいる。


「ああやってクラヴィスの妄想を代弁させてる内は、一応はまだ無害なんだ。ところが、やがて暴れ出す。それこそ、人間とは思えないほどの怪力を発揮してね。今までに死者が出たこともある」


 言葉を失うと同時に、大きく目を見開いてアスヴァレンを見つめる。

 死者とは、あまりにも穏やかではない。


「じゃあ、私がクラヴィス様に呼び出された時……」


 今更ながら、自分で思っている以上に危機的状況にあったことを実感する。

 そういえばあの時、アスヴァレンは事態を重く見ている様子だった。

 私が殺される危険もあったなら、それも無理からぬ話だ。


「いやー、あの時は慌てたなー。あははははは……」


 アスヴァレンの乾いた笑い声が響く。

 彼にしては珍しく、視線を宙に彷徨わせて酷く決まり悪そうだ。

 それもその筈、陛下が彼を睨み付けていた。


「で、でもでも! ほら、あの時はアトロポスが表に現れなくなって久しかったし、僕もちょっと油断してたっていうか」

「だとしても、何が起こるかわからないだろう。だからこそ、俺は美夜がクラヴィスと接触することのないようにとお前に頼んでおいた」

「……ごめんよ」


 怒られて小さくなる、とはまさにこのことだろう。

 アスヴァレンは力なく項垂れながら言った。

 自分が怒られているわけではないのに、思わず緊張に身を固くしてしまう。

 普段、冷静で穏健な人が静かな怒りを湛えると、何とも名状し難い末恐ろしさを与えるのだと初めて知った。


「マティルダを初め、あの件に関わった者には厳重注意をしておいた」


 陛下が静かに、それでいて怒りを滲ませた声で言った。

 ちょっと……いや、かなり怒っている。

 これは……率直に言って怖い。

 

 マティルダは、あわよくば私を事故死させたかったのだろうか。

 そうだとしても、この陛下の怒りと直接対峙したのなら、同情を禁じ得ない。

 そういえば陛下が遠征から帰って来て以来、マティルダは私に対して何も言って来ない。


「……そうでしたか」


 私はそれだけ言って頷くのがやっとだった。

 一拍置いて、再び口を開く。


「クラヴィス様は……その、多重人格なのですか?」


 どう切り出そうか迷って、何の捻りもない言い方になってしまう。

 私にはクラヴィスがただの分裂症だとは思えないのだけど、それをどう表現するべきかわからない。

 暫しの沈黙の後、アスヴァレンが言った。


「それなりに生きて来た中で、俗に言う多重人格って症例もいくつか見たけど、クラヴィスみたいなのは初めてだね。僕が思うに……」


 アスヴァレンは言葉を途切れさせ、床へと視線を落とす。

 それから横目で陛下を見た。


「思うに……アトロポス王女は、ただの別人格に留まらない存在になりつつある」

「別人格に留まらない存在……?」

「そう。最初はクラヴィスの妄想による産物だったとしても、そこに何かが憑いた」


 そう聞いて、先ほど陛下が用いた「悪魔憑き」という表現を思い出した。

 彼へと目を向けると、小さく頷くのが見えた。

 ……先までの怒りは雲散霧消して、いつもと変わらぬ穏やかな様子にほっと胸を撫で下ろす。


「クラヴィスを王城に迎えた時から、彼女には記憶障害や妄想の症状が見られた。でも、ある時期まではアトロポス王女って別人格は発生してなかったんだ」

「初めの内は、目の前にいる息子には目もくれず、俺の異母妹が実在するかのように話していた。目に見えてわかる変化が訪れたのは、アトロポスが亡くなってからだ。例の人形を創らせた頃、彼女はその人形をまるで実の娘のように扱い、時に自分自身がアトロポス王女を名乗り別人のように振る舞い始めた」


 陛下を前にしているためか、異母弟に関してのアスヴァレンの語り口は遠慮がちになる。

 それに気付いてか、陛下が代わりに話してくれた。


「クラヴィスの中にアトロポス王女を名乗る人格が芽生えたのを機に、俺は彼女を神使の地位に就かせた」

「神使の地位に就いてからのクラヴィス様のご様子は?」

「随分と落ち着いたようだ。別人格が現れることも、例の発作が起きることもなく、穏やかに過ごしていた」


 穏やかにそう語る陛下の顔に、陰りが差す。


「……ただ、本人は自分が神使の地位にいることを良しとしていなかったが。正式に妃を迎えるようにと進言を受けたこともある」


 そうでしたか、と相槌を打つ。

 その話はクラヴィス本人からも聞いたことがある。あの女は、陛下が自分に惚れているから王妃を迎えないのだと思い込んでいたみたい。


 陛下の言葉に表立って反論はしないものの、私は疑問を覚えた。

 神使の地位にいることを良しとしないだなんて、それだけ聞けば謙虚かつ身の程を弁えた女のように思えるけど、本当にそんなタマかしら?


「ですが、先ほどのご様子からすると、またしても『発作』が起きたのですね」


 私の問いに、陛下は頷いた。


「その原因については……何か、心当たりとかは」


 次に私が口にした疑問は、沈黙を落とした。

 陛下とアスヴァレンが目配せを交わした。

 どうやら、全く心当たりがないでもないけど言いづらいことのようだ。


 不意に、私の脳裏に閃光が奔ったかと思うと、それがいくつかの考えを照らして浮かび上がらせた。

 今の今まで、顕在意識と潜在意識の狭間を漂っていた曖昧な思考が、明確な形を取り始める。


「まさか、私がこちらの世界に来たことと関係があるのですか?」


 陛下もアスヴァレンも何も言わず、表情一つ動かさない。

 でも、陛下の瞳の奥に僅かな揺らぎが浮かぶのを見逃さなかった。


「いえ、もしかしたらそれだけではないのでしょうか。鈴木サヤカ……例の禍女が現れたこと、それに私と陛下が二度に渡ってあちらの世界と行き来したことも関係しているのでは?」 


 やはり二人とも何も言わない。これでは私の言葉を肯定しているようなものだ。

 私は小さく息を吐き出して、それから陛下を見つめる。


「以前、陛下は私に『必ず無事でいてくれ』と仰いました。あれは、私を信じて送り出してくださるという意味ではないのですか?」


 まだ日本にいた時……あちらで過ごした最後の日だ。

 その言葉に、陛下は僅かながら目を見開いた。

 巫祈術を用いて、アスヴァレンでさえ辿り着けなかった領域に到達した私がアトロポスと会ったことを知った陛下は、確かに感銘を受けていた。

 私の覚悟を理解した上で、彼はそう言った。

 

「巫祈術を用いて様々なことを知った今、私に退くつもりがないことは陛下もご存知の筈です。いい加減、私を巻き込みたくないという姿勢は止めになさいませんか。私とてミストルト王家の一員なのですから。それに、私は姫神テオセベイアの神性を唯一受け継ぐ者です。本来であれば、目に見えない脅威から国を守るのはテオセベイアの代役である神使の役目の筈です。それなら、この件を解決するにあたって私以上の適任者はいない筈です」


 そこまで一気に言い切った後、息を吸い込んで肺へと送る。

 それから陛下の様子を覗うと、小さく嘆息するのが見て取れた。

 次に口を開いたのはアスヴァレンだった。


「エル、今回ばかりは美夜の言う通りかもよ? 正直、僕じゃ手に負えないところに来てる」


 彼は溜息交じりに言って、それから不満を湛えた半眼で私を見た。


「転移装置を使った時だって、ちゃっかりエルを連れてっちゃうしさ。あれは全くの大誤算で、もうどうしようかって真っ青になったよ!」


 その口振りからして、誇張でも何でもないように聞こえる。

 アスヴァレンを少しでもやり込めたと知ったことで、私は気分が良くなった。

 それが顔に出ていたのか、アスヴァレンはますます仏頂面になる。


 陛下の顔を覗うと、その金色の双眸に揺らぎが見えた。

 迷っている、私にはそう感じられた。

 そういえば、前にもこんなことがあったっけ。

 治癒の儀を受ける何日か前、こちらの世界に残りたいという気持ちを伝えた時だ。


 あの時は確か、途中で邪魔が入ったせいで上手く行かなかった。

 でも、今は?


「陛下」


 私は陛下の目を真っ直ぐに見つめて言った。


「陛下は今まで、幾度となく私を助けてくださいました。今までの人生の中で、私に手を差し伸べたのは陛下だけです。だからこそ……もちろんそれだけが理由ではありませんが……私も陛下のお役に立ちたいのです。それに、私がまだ幼かった頃に母も言いました。私の持つ力のせいで嫌な思いをすることがあるかもしれないけれど、その力はいずれ大切な人を助ける力になると。今がまさにその時だと私は思います」


 淡々と言葉を紡いだ後、口を噤んで陛下の返答を待つ。

 数拍の間があったものの、そう時間はかからなかった。

 陛下が小さく息を吐き出す。

 それをきっかけとしたように、表情というか纏う雰囲気に変化が生じる。


 諦観、というのとは違う。

 憑き物が落ちたような表情で、すっと目を細めて私を見た。


「……そうだな。美夜を遠ざけようとすることこそ、傲慢な考えなのかもしれない。このような常人の目に視えないものに対処するに当たって、美夜以上の適任者はいない。……既にそう理解していた筈なのにな」


私を見つめる陛下の顔に苦笑が浮かぶ。

 それも一瞬のことで、彼は笑みを消すと、真剣な面持ちで言った。


「美夜、是非とも貴女の力を借りたい」


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