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獅子王陛下の幼妻  作者: 小鳥遊彩
第六章
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119話「寛大な心」

 一瞬、呼吸の仕方さえ忘れてしまった。

 これは、先ほど私の部屋で行ったことをそのまま再現しているかのような図だ。

 でも、陛下の腕の中にいるのは私ではなくクラヴィス=クレイスである。


「エル!」

「アスヴァレン、疲れているところ悪いな」


 アスヴァレンを見上げる陛下の顔にも、安堵の色が浮かぶ。

 そんな彼に抱えられながら、クラヴィスは小刻みに震えている。


「エル、神使の様子はどうだい?」

「先ほどまで、例の発作が酷かった。今は小康状態だが、いつぶり返すか……」

「ん、わかった」


 そう言ってアスヴァレンは、いつの間にか持参していた鞄の中から注射器を取り出した。

 慣れた手付きで液状の薬を注ぎ込むと、クラヴィスの腕に打った。途端、クラヴィスの身体からくったりと力が抜ける。

 陛下はそんなクラヴィスを横抱きにし、まるで壊れ物を運ぶみたいに慎重に立ち上がる。

 その時、私たちの視線が交差した。


「美夜?」


 私を見つけるなり、その顔が驚きに彩られていく。

 それから彼は、アスヴァレンを鋭く振り返った。


「アスヴァレン、これはどういうことだ?」

「いや、だって、ほら」


 アスヴァレンはしどろもどろになり、視線を宙に泳がせる。

 まるで宿題をやっていないことが親にバレた子供みたいだ、と頭の片隅で考えた。

 その間も、私は視線を陛下に……正確には、クラヴィスを抱き上げた彼へと向けたままである。


「美夜だってさ、もうミストルト王家の一員じゃないか。だったら、この件に関して彼女も……『妹』も、知っておく権利があると思うよ?」


 妹、という言葉に侍女たちの顔に驚きが浮かぶ。

 そういえば、まだ公にしたわけじゃなかったと今更ながら思い出す。

 何人かの視線が自分に集まるのを感じたけれど、はっきり言ってそれどころじゃない。


 その時、部屋の中央付近、つまり陛下たちのすぐ側に例の女が立っていることに気付いた。

 アトロポス王女を名乗るあの女だ。初めからそこにいたのなら、私が気付かない筈がない。

 こうして改めて見ると、この女とクラヴィスの容姿は酷似している。

 例の人形自体、クラヴィスが少女自分の自分を模して作らせたものなのだろう。


 私は唇を引き結び、アトロポス王女の正面へと歩みを進める。

 陛下が何か言ったけれど、今の私は彼の言葉にも聞く耳を持たない。

 それに、もうこれ以上彼のほうを見るのも嫌だ。

 少なくとも、その粗大ゴミをどこかに捨てて来てくれない限りは。


「……お前はいったい何者なの?」

「先ほど言ったばかりよ。私はアトロポス、獅子王エレフザードの妹姫よ」

「何度でも言うわよ。アトロポス王女なんか初めから存在しない。アトロポス王女は、そこにいるクラヴィス=クレイスの妄想に過ぎないのだもの。なら、虚構の王女を名乗るお前はいったい誰なの?」

「想像の翼を広げれば、可能性は無限大」

「は?」

「時には現実さえ凌駕する。むしろ、虚構は貴女のほうなのかもね」

「何を訳のわからないことを……」


 私が虚構だなんて、そんなことがある筈ない。

 この女とクラヴィスとの関連性はまだわからないけれど、何にせよ良からぬ存在であることは間違いない。

 しかも、この女もクラヴィス同様に、陛下に愛され望まれるのが私だという現実を前に、完全に頭がおかしくなっている。


「想像の翼、ですって? じゃあ、自分が空虚な存在だということを認めるのね」

「そうね、貴女には一生かかっても理解できない」


 言葉を交わしている内に、ムカムカと腹が立って来た。

 先ほどから意味不明の戯れ言を並べ立てるばかりで、全く話が通じない。


「美夜」


 肩を掴まれて我へと返る。

 振り返ることに躊躇したのは、彼が抱えている粗大ゴミのことが脳裏を過ったから。

 でも、よく考えたら片手で持っているとは考えにくい。

 恐る恐る振り返ると、私のすぐ隣に陛下が立っていた。

 クラヴィスの姿はなく、そのことに胸を撫で下ろす。


「何が視えているにしろ、関わらないほうがいい」

「え……?」


 私は困惑気味に陛下を見上げる。

 不意に、まるで曇ったレンズを通して見ているみたいに、顔の顔がぼやけ始める。


(え? あ、あれ……)


 美夜、と私を呼ぶ声が聞こえるけれど、何だか遠く感じる。

 視界が揺れ、立っていることさえ困難になった私を陛下が支えてくれる。

 こんなことを考えるべきではない、頭ではそう理解しているのに、クラヴィス=クレイスを抱える陛下の姿が脳裏を過った。


 一人で立てます、そんな旨の言葉を口にして陛下から離れた。

 陛下が困惑する気配があったけれど、それもほんの一瞬のこと。

 気付けば、半ば無理矢理に抱き上げられた。




「いくら何でも強引すぎませんか」


 別室へと運ばれた私は、長椅子に横たわったまま顔だけ上げて抗議した。

 そんな私に、陛下は「すまない」と苦笑する。


「心配になってな、つい」

「……そうですか。心配と言えば、クラヴィス様についていらっしゃらなくてよろしいのですか?」

「一先ず、発作は止まったからな。残念ながら、あれ以上は俺の出る幕がない」


 言葉通り残念そうに首を振る彼を見ていると、何だかまたムカムカと怒りが込み上げて来る。


「それより、美夜こそもう何ともないのか?」

「平気です。一瞬、フラフラしただけですから。それより陛下、私の部屋を出た後、クラヴィス様のところへと向かわれたのでしょう?」

「……何? いや、違う。一度執務室に戻ったが、クラヴィスの発作が始まったと連絡を受けて向かったんだ」


 陛下の表情に困惑が浮かぶ。

 目を瞬かせ、暫く私の見つめた後、何かに思い当たったような顔をする。


「美夜、俺とクラヴィスとの間には……その、おそらく美夜が以前想像していたようなことは何もない」

「ええ、心得ております。陛下のお言葉を疑ったことなど一度もありません。それでも、クラヴィス様は大切な方なのでしょう?」


 我ながら鬱陶しい絡み方をしている自覚はあったものの、そうせずにはいられなかった。

 何しろ、誤解とは言え私は一時の間、陛下とあの女とが深い仲になったことがあると思い込んでいたのだ。


「……あまりこういう言い方はしたくないが……」


 陛下は歯切れ悪く言った。

 視線を床に向けながら、顔を顰める。

 私は殆ど無意識的に服の裾を握り締めていた。

 次に陛下が口を開いたのだ、数拍の後のことだった。


「美夜以上に大切に思うものは他にない」


 吐息に忍ばせるような、殆ど独白に近い呟くだった。

 私はあらゆる表情を消した顔で陛下の横顔を見つめた後、視線を外して「そうですか」と呟いた。

 同時に、心の中では万歳三唱を行う。

 バンザイ、なんて実際に口に出して唱えたことなんかないのに。


 何はともあれ、心がすっと軽くなった。

 ほんの小一時間ほど前にも似たような遣り取りを交わしたばかりだというのに、これも全てクラヴィス=クレイスのせいだ。

 陛下は私へと顔を向け、僅かに苦笑する。


「本来、誰かを想う気持ちに順位など付けるべきではないのだが」


 その言葉に小さく頷いたものの、敢えて何も言わなかった。

 正直、言いにくいことを言わせてしまったという後悔はなくもない。

 そうだ、陛下が好きなのは私だけなのだから、それを疑ったり試すような真似はするべきではないのだ。

 私にしては珍しく、自分の言動を反省した瞬間である。

 陛下は小さく嘆息し、「すまない」と言った。


「どうして陛下が謝る必要があるのです?」

「いや、クラヴィスが……あるいは彼女の別人格、俺の異母妹だと名乗る『王女』が俺について独自の見解を持っていることは俺も知るところだ。美夜にも何か言ったそうだな?」

「……ええ、まぁ」

「美夜に、不安感や不快感を抱かせたことを申し訳なく思う」

「別に、陛下のせいというわけでは……」


 実際、私が腹を立てているのはクラヴィスなのだ。

 あんな女、国外に追放してしまいたいというのが本心だけど、さすがにそんなことは言えない。

 陛下からすれば、クラヴィスは自分の父親による被害者なのだから。

 でも、今の口振りからすると、彼はクラヴィスやアトロポス王女が自分について好き勝手に話すのを知った上で、それを放置している印象を受けた。


「陛下は、彼女たちが貴方に対して抱く解釈についてご存知なのですね」

「ああ。見解そのものを直接聞いたわけではないが、人伝に教えてもらった。彼女たち、特に異母妹殿と話が噛み合わないのが気になっていたが、俺に対してどういう見方をしているかを知って合点がいったよ」


 あのクソイカレ女が、と胸中で呟いた。

 自分の妄想の中で生きるに留まらず、その狂った世界を言語化して他者と共有したがるとは何たる害悪。


「彼女たちに対して、否定はなさらないのですか?」

「そう、だな。美夜からすれば、決して気分の良いことではないと思う」


 陛下は言い淀むと同時に、申し訳なさそうに眉根を寄せた。

 私は慌てて付け加える。


「いえ、陛下を非難する気は毛頭ありません。ただ、私ならば自分について好き勝手なことを言われるなんて我慢ならないと思ったので」

「……クラヴィスは、訳あってそう長くは生きられない。それに、先王が……ミストルト王家が彼女の人生を狂わせてしまったのも事実だ。ただの自己満足なのかもしれないが、彼女が生きていられる間は、俺にできる限りのことをしたいと思う」


 彼の言葉に、私は神妙な面持ちで耳を傾ける。

 つまり、可能な限り彼女に快適に過ごして欲しいということか。

 あのイカレた女の妄言を否定しないのも、要するに認知症患者の妄想に対して否定や反論をしないのと同じ配慮なのだろう。


 陛下の善良さや寛大な心には、本当に頭が下がる思いだ。

 あの女に腹が立つ気持ちに変わりはないけれど、陛下を前にすると自分が酷く子供じみて思える。

 そんな私に顔を向けると、陛下はこう言った。


「だから、美夜。貴女に嫌な思いをさせていることは承知の上だが、もう暫くの間、俺のわがままに付き合ってくれないか。もちろん、美夜が一番大切だということはこれからも絶対に変わらない」

「別に、わがままではないでしょう」


 私はそう呟くと、小さく頷いてみせた。



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