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獅子王陛下の幼妻  作者: 小鳥遊彩
第六章
119/138

118話「馬鹿だね、君は」

ちぇ、と呟きたくなるのはこういう時なのだろう。

 私は口を尖らせ、陛下が出て行ったばかりの扉を見つめながらそんなことを思った。

 とは言え、そこまで不満というわけでもない。

 むしろ軽やかな気分である。

 何しろ、私が陛下の側にいたいと思うように、彼も同じ気持ちを抱いているのだから。


 でも、あまり楽観視はしていられない。

 陛下を見送った後、私はアスヴァレンの部屋を訪ねることにした。

 私たちの部屋は近いものの、実際に訪れるのはこれが初めてだ。

 ノックをしても、案の定というべきか返答はなかった。

 把手を回してみると、鍵はかかっていないようで何の抵抗もなくすんなり開いた。


「アスヴァレン」


 呼び掛けても、やはり何も答えない。

 留守なのだろうかと思いつつ、部屋の中へと歩みを進める。

 結論から言うと、アスヴァレンはいた。


 彼の部屋は、意外にも落ち着いた雰囲気の内装だった。

 もっとごちゃごちゃと散らかったマッドサイエンティストの私室のような部屋を想像していたのだけど。

 でも、置いてある小物類は成人男性の部屋には似付かわしくないものばかりだ。

 大小様々なぬいぐるみ、かわいらしい置物、幼児が好みそうな木製の玩具……そして、これは予想通りながら、部屋の至る所に置かれた様々なお菓子類。部屋だけ見れば、成人男性のそれとは思えない。


 そして、部屋の中央よりもやや上部に置かれた寝台で眠るアスヴァレンの姿があった。

 彼は私の身長ほどもある熊のぬいぐるみを抱き締めて眠っている。


「アスヴァレン? 起きてください、アスヴァレン」

「んんぅー……」

「アスヴァレン!」


 寝台の側に立って呼び掛けても目を覚まさない。

 業を煮やして揺すぶり始めると、不意に身体の向きを変えた。

 起きたかと思った次の瞬間、凄まじい力で引っ張られた。


「エルぅ……エルはかわいいなぁ……んー……」

「ちょ、ちょっと! アスヴァレン!」


 熊のぬいぐるみの代わりに私が抱き枕にされた状態である。

 力の限り暴れても、振り解けそうにない。

 でも、それが功を成したようで、アスヴァレンはうるさそうに瞼を持ち上げた。

 目が合った瞬間、アスヴァレンは一気に目が醒めたとでも言うように大きく目を見開いた。


「おはようございます」


 精一杯、不機嫌さを滲ませてそう言ってやると、彼は今度こそ完全に目を覚ました。


「美夜?」


 がばっと勢い良く起き上がり、そのままずざざっと寝台から離れる。


「いったい何してるんだい? 僕の寝込みを襲う気なのかい?」

「そんなわけないでしょう! いきなり襲いかかって来たのは貴方です」

「いやいやいやいやいや、そんなこと絶対に有り得ないよ。エルの名にかけて誓うよ」

「……それはともかく、貴方に用があります」


 あれこれ口論するのは時間の無駄と悟り、適当に切り上げて本題に入ることにした。

 実際問題、アスヴァレンが意図的に私に襲いかかるなど起こり得る筈がない。

 仮に、血の繋がった兄でなかったとしても。


 私の言葉に、アスヴァレンはあからさまに面倒臭そうな顔をした。

 だから、彼が何か言う前に先制攻撃を仕掛ける。


「陛下の左腕についてです」

「……エルの?」


 アスヴァレンの顔付きと表情が一変する。


「はい。王城に帰還した途端、再び例の黒い靄が見えるようになりました」

「道中は?」

「帰還中は、特には……気配、のようなものは感じられましたが靄は見えませんでした」


 私の言葉に、アスヴァレンは神妙な面持ちで黙り込んだ。

 何か思索に耽っている様子だ。

 その沈黙は暫く続いた。

 正確には、数分経った頃に私が意図的に破った。


「幸い、神花は多く咲いています。あの花があれば……」

「馬鹿だね、君は」

「は?」


 アスヴァレンはゆっくりと顔を上げ、唖然とする私を見つめる。

 そこには何の表情も見られない。

 彼らしくない様子に、侮辱に対して抗議することも忘れて続く言葉を待つ。


「生憎、神花を使用した薬でできるのは症状の進行を抑えることだけなんだよ。それも、完全に抑えられるわけじゃない」

「では、やはり呪いを解かない限りは……」

「うん」


 苦々しい面持ちで頷くアスヴァレン。

 私の脳裏にアルヴィースのことが過ったけれど、彼にも陛下の症状を改善することはできないのだろう。

 彼にそれが可能なら、アスヴァレンは土下座でも何でもして頼み込んでいる筈だ。

 何より、アルヴィース自身も協力を惜しまない。


「六柱の神の呪いも、異世界には届かないようでしたが」


 半ば無意識の内にそう呟いた。

 口に出してから、その言葉の根底にある自分の考えに気付く。

 アスヴァレンも私の言わんとすることを理解したようで、僅かに苦笑した。


「エルが望むなら、僕はあの子をどこにだって逃がしてあげたいよ。でも……」

「……陛下が、自分の責務や立場を投げ出すわけがありませんものね」


 と、溜息交じりに続ける。

 陛下と共に日本にいた頃、こんな生活がずっと続いたらどうなるのだろうかと考えたことがあった。

 それも悪くないと思う反面、それで良いのかとも思っていた。


 ブラギルフィアに帰還して、やはり陛下はブラギルフィア国王なのだと改めて実感した。

 この世界こそ、私たちの在るべき場所だ。


 では、自分の居場所が快適でないなら、どうするべきか?

 答えは簡単、私の好みに合わせて徹底的に改善するべきだ。

 例えばの話、私がブラギルフィア国を東京都みたいな高層ビルが建ち並ぶ大都会に変えたいと思うなら、誰もがそれに賛同して実現に向けて尽力するのが当然だと思う。

 もちろん、別に大都会に変えたいなんて思わないけれど。


 陛下が……私の最愛の人が、健康状態に問題を抱えている現状ははっきり言って気に入らない。

 その原因が第三者にあるのならば、尚のことである。

 第三者というのが神だろうと人間だろうと同じこと。

 具体的にどうするか……はこれから考えるとして、他にも気掛かりなことがある。


「つい先ほど、アトロポスを……アトロポス王女を見ました」

「……は?」


 私の言葉に、アスヴァレンはぽかんとした顔で目を瞬かせる。


「人形ではなく人間の姿でした」

「……ごめん、ちょっと何言ってるかわかんないんだけど」

「私の身に起きたこと、見たものをそのままお伝えしたまでですが」

「えーっと、ってことはつまり、神使が娘だって言って大事にしてる人形が人間になって、君の部屋まで歩いて来たってことかい?」

「歩いて来たかどうかはわかりません。いきなり部屋にいて、気付けば消えていましたから。でも、概ねそういうことです」

「うーん……」


 アスヴァレンは唸った後、再び私に顔を向ける。


「見間違いってことはないかい? それか、寝惚けてたとか」

「そんな言葉で片付けていいことだと思っているのですか?」


 苛立ちを滲ませて言うと、彼にしては珍しくたじろいだ。

 そこに、私は更なる追撃をかける。


「以前、兄様も仰いましたよね。神使という立場は、クラヴィスの中のアトロポスを抑制する役割も果たしていると。兄様も、クラヴィスがただの妄想癖が激しいイカレ女だと思っているわけではないのでしょう?」


 殊更に「兄様」を強調する度、彼は顔を顰めた。

 それでも、私の言葉は適当に聞き流せる内容ではなくて、考え込む素振りをした。

 私に視線を向けて、何とも名状し難い表情を浮かべた後、大きく溜息をつく。


「まーねー」


 アスヴァレンは投げ遣りに答えながら、机の上に置いた紙袋を開ける。

 中身は小さなクッキーで、ぱりぽりと音をさせて食べ始める。

 私のほうを鋭く振り返ったかと思うと、この上なく真剣な面持ちで「あげないよ? 今度は絶対にあげないからね?」と言った。

 この前のドーナツのことをよほど根に持っているらしい。


 その辺に置いてあるお菓子をこれ見よがしに食べてやりたい衝動に駆られたけれど、止めておくことにした。

 そんなことで話の腰を折りたくはない。


「……ま、君はもうミストルト王家の一員だしね。一応は。話しちゃってもいいかなぁ」


 アスヴァレンがそう呟いたその時、ノックの音が聞こえたかと思うと次の瞬間に扉が開いた。

 ぎょっとして振り返ると、シルウェステルが部屋に入って来るのが見えた。


「シルウェくん、ちーっす。あのさー、僕の返事待たないんじゃノックの意味ないよね?」

「失礼いたしました、アスヴァレン様。何分、緊急事態ですのでどうかご容赦いただきたい」


 シルウェステルは私がここにいることに驚いたようだけど、すぐに気を取り直して言葉を紡ぐ。

 彼は私よりもアスヴァレンとの付き合いが長い。

 もし寝ていた場合……そしてたいていの場合がそうだ……ノック程度では目を覚まさないことを知っているのだろう。


「陛下がお呼びです。大至急、神使の居住区へと向かっていただけますか」

「エルが?」


 そう聞くなり、アスヴァレンの顔付きが変わった。

 彼は紙袋の中身を全て口に放り込むと、真剣な面持ちで頷いた。


「わふぁった、ふぐ行くよ」


 クッキーを噛み砕く音と被さり、彼の声はくぐもって聞こえた。

 食べるか喋るかどちらかにしてください、と言いたかったもののやはり口を噤んでおいた。

 それから彼は、口の中のクッキーを嚥下して私を振り返る。


「丁度いい機会だよ。君も一緒においでよ」

「……わかりました」


 もちろん断る理由などなく、私は二つ返事で了承する。



 二人の後について、足早に神使の部屋へと向かう。

 前に来た時よりも随分と長く感じるのは気のせいだろうか。

 クラヴィスの部屋の前には何人もの侍女や兵士が集まっていて、不安そうに佇んでいる。

 けれども、アスヴァレンの姿を見つけると、一様に安堵の表情を見せた。


 シルウェステルが扉を開いてくれたお陰で、部屋の中の様子を覗うことができた。

 その瞬間、私は頭を強く殴られたような衝撃を受けた。


 部屋の中央で、床に膝を着いた陛下がクラヴィスを強く抱き締めている。



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