表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
獅子王陛下の幼妻  作者: 小鳥遊彩
第六章
117/138

116話「大人しく寝ていてください」

 馬車に揺られながら、うっかり零れそうになった欠伸を慌てて噛み殺す。

 ところが、斜め前に座る母には気付かれてしまった。


「あら、美夜ちゃんったら寝不足かしら? ちゃんと寝ないとお肌に悪いわよ」


 そう話す母の目には、悪戯っぽい色が浮かんでいる。

 彼女は、私が昨日自分の天幕に戻らなかったことを知っている。

 何しろ、同じ場所で寝起きしているのだから。

 そして、どこにいたかも理解している筈だ。


「ご心配なく。私はまだ十代ですもの、多少の無理ぐらいは物ともしないのです」


 余計なことを言われるのも嫌で、わざと素っ気なく答える。

 母は意に介した様子もなく、意味深な笑みを浮かべながら私を見つめている。

 一瞬だけ母を見て、それから小さな窓の外へと視線を向ける。


 馬車の外には美しい自然が広がり、その所々に例の青い花……神花が咲いているのが見られる。

 森林と湖が多く見られるブラギルフィア諸侯連合の景色は美しいけれど、さすがに連日見続けていると目新しさも薄れてくる。


 私は景色を見るふりをしながら、別のことを考えていた。

 母の顔色は日に日に良くなってきているようだ。

 数日前まで、馬車での移動中は殆ど身体を横たえて過ごしたけれど、昨日辺りから起きていられる時間も増えてきた。

 ……むしろ、今日は私のほうが横たわっていたいというのが本心かもしれない。


 ああ、身体中が痛む。

 簡易寝台は、はっきり言って二人で共有するには狭い。

 ほぼ一晩折り重なっていたから、狭くても特に問題はない……というわけでもなく。

 いや、ずっと折り重なっていたことこそが鈍い痛みと倦怠感の原因か。特に下腹部が著しい。

 とは言うものの……端的に言って気分は上々である。


「ねぇ美夜ちゃん、今、何を考えているの?」


 昨夜のことに想いを馳せていたところ、母の言葉で現実へと引き戻された。

 母は鈴を転がすような声で、楽しげに言葉を紡ぐ。


「やっぱり昨日のことかしら? その様子だと、随分お楽しみだったみたいね」

「……何の話ですか」


 聞き流そうかと思ったけれど、一瞬の逡巡の後、母のほうを振り返ってそう言った。

 それ以上追求するなかれ、という意味を込めての一言だった。

 母がこんなに下世話な女性だとは思わなかった。


 案の定と言うべきか、母は特に気にした様子もなくクスクスと笑っている。

 この閉ざされた空間で、母の追求をどう躱すべきか。

 いくつか方法を考えながら母からの下世話な言葉に備えるも、意外にも彼女がそれ以上何かを言うことはなかった。


 訝しく思って母のほうを見ると、両目を閉ざしてうつらうつらとしていた。

 心なしか、呼吸が常よりも浅い。


「お母様?」


 私の呼び掛けに、母は一拍置いてから瞼を持ち上げる。

 そして、疲労が浮かんだ顔に微笑を浮かべた。


「何だかちょっと疲れちゃったみたい」

「やはりまだ横になっているべきだったのです。……余計なことを言っていないで」


 私は大仰に嘆息すると共に、そう言った。

 それからの私の行動は早かった。

 この馬車の座席は、手動で形状を変化させて簡易寝台のように使用することができる。

 断りを入れてから座席を転換し、肩を貸す形で横たわらせる。


 母が礼らしき言葉を口にしたけれど、その声音は思いの外弱々しい。

 さすがに、私も少しばかり焦りを感じた。

 革製の水筒から水を飲ませ、ブランケットを肩まですっぽり被せる。

 不意に、目を閉ざしたままの母の顔が綻んだ。


「何だか昔のことを思い出すわぁ」

「……」


「覚えているかしら? 小さい頃の美夜ちゃん、とても寝相が悪くてねぇ。よく、夜中に何度もお布団を掛け直したわ」

「……覚えているわけないでしょう。というより、大人しく寝ていてください」

「美夜ちゃんも今はすっかり大きくなっちゃって、今じゃ立場逆転ね。そういえば、寝相の悪さは今も健在かしら? 今度エルくんに聞いてみなくちゃ」

「あのですね、お母様」


 私は低く唸った。

 でも、よく考えてみたら自分の寝相の良し悪しなど気にしたことがなかった。

 寝る前と起きてからで、頭の位置が変わっているなんてことは経験したことがないけれど、睡眠中の私はどんな様子なのだろう?

 陛下に見られている可能性を考えると、確かに気になる。


 この時、私は母が静かになったことに気付いた。

 いつの間にか、穏やかな寝息を立てながら眠っている。

 そんな母を見て、私は小さく肩を竦めて嘆息した。






「やっと……」


 ブラギルフィア王城の自室へと帰って来た私は、嘆息と共にそう呟いた。

 部屋は最後に見た時から、殆ど変わっていない。強いて言うなら、花瓶に活けた花ぐらいのものだ。


 数日間の旅路を経て、ようやく帰還することができた。

 時刻は昼を回った頃、夕刻までにはまだ時間がある。

 帰還したばかりとは言え、陛下はまだまだやることがあって当分休めないだろう。

 私と母は、一足先に自室へと送り届けてもらった。


 今も忙しく動き回っている陛下のことを思えば、一人だけ休ませてもらうというのは気が引けないでもないけど、はっきり言って私は疲れ果てていた。

 綺麗に整えられた寝台に身を投げ出すと、柔らかな感触が抱擁するように受け止めてくれた。

 馬車で移動しているだけだというのに、疲れたなどと言うとバチが当たるだろうか。

 陛下を初め、私よりもっと重労働に勤しんでいる騎士団の面々は疲れた様子もなかった。


 ……まぁ、仕方がない。

 私はか弱い美少女なのだから、彼らのように頑強でないのも無理からぬ話だ。

 そして、エレフザード率いる騎士団の中には、それを責めるような狭量な男はいない。

 当分、私はゆっくり過ごすことにしよう。


 正式に陛下との結婚が決まり、テオセベイアの孫であることを公表するとなれば、やはり忙しくなる筈だ。

 その時に備えて、十分に療養しなければ。

 夕食まで一眠りしよう、そう思って目を閉じようとしたのだけど、思うようにいかない。


 結婚。

 その二文字が頭から離れず、同時に目が冴えてしまう。

 本当に陛下の妻になるのだと思うと、何だかそわそわして落ち着かない気持ちになる。

 心浮き立つとは、まさしくこういうことを言うのだろう。


「……結婚、か。陛下と、私が。つまり、私が」


 陛下の妻に。

 声に出さぬまま、胸中でそう呟いた。

 途端、身体の内側を擽られるような、名状し難いこそばゆさが込み上げて来る。思わずクッションの一つを引き寄せ、強く抱き締めた。


 ここに至るまでの道のりは平坦ではなかった。

 私を元の世界に帰そうとする陛下を、何とか説き伏せようとしたこともあったっけ。

 ああ、それにアトルシャン殿下が陛下とクラヴィスの子だと誤解したこともあった。

 サリクスに殺されそうになったり、その当のサリクスと交わることを強要されたり、本当に色々なことがあった。


 困難も多かったけれど、ついに陛下と結ばれる時が来たのだ。

 最早、今となっては私たちの邪魔をできる者はいない。

 そう、邪魔者は……。


 ……いや。


 クラヴィス=クレイスのことが脳裏に過った時、ある不吉な予感が胸の内に芽生えた。

 そしてそれは、浮き足立つ気持ちに水を差すと同時に、冷静さを取り戻させる。

 元の世界にいた時に見た、あの悍ましい夢。あれはただの夢ではないと、私の勘が……あるいは巫祈術の才がそう告げている。


 帰って来たばかりということもあり、私はまだあの女に会っていない。

 でも、神使という立場もあるし、もしかしたら陛下とは顔を合わせているかもしれない。

 そう思うと、ムカムカと腹が立って来た。


 普通に考えれば、クラヴィス=クレイスなどただ妄想癖が強いだけの頭がおかしい女に過ぎない。

 陛下の正式なる妻となった私からすれば、恐るるに足りない。

 にも関わらず、どうしても嫌な予感というのが拭えない。


 だからと言って、どうすれば良い?

 死刑を求刑するというのが理想だけど、現時点では適当な罪状がない。

 何となく嫌な感じがするから、というだけではさすがにクラヴィスを死刑台に送ることはできない。

 だからと言って、私自ら暗殺するなど非現実的すぎる。


 そうすると、現状でできることは特に何もない。

 悔しいけれど、そうなってしまう。


「……」


 もどかしさを感じて、寝返りと打つように身体の向きを変えると、視界に何者かの姿が映った。

 ぎょっとしてそちらを注視すると、部屋の中に一人の女が立っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ