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獅子王陛下の幼妻  作者: 小鳥遊彩
第六章
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115話「愛情と信頼、その理由」

 結局そうしなかったのは、第三者が沈黙を破ったからである。


「こんなところにいたのか、アスヴァレン。それに美夜も」

「エル!」


 アスヴァレンが声を弾ませ、勢い良く振り返る。

 いつの間にか、私たちの背後に陛下が立っていた。

 陛下に向き直った時、アスヴァレンの顔には「ふにゃり」という擬音が聞こえそうな笑みに彩られていて、そこに憂いは全く見当たらない。


「エル、方々への連絡は済んだのかい?」

「ああ、もう全て終わった」

「お疲れ~。ここのところずっと働き詰めで疲れたろ? 大丈夫? 肩とか凝ってない?」


 アスヴァレンは眉を八の字にして、陛下の背後に回り込んで肩に手を添える。

 陛下はと言えば、「やめろ」と言いながらも振り払おうとはしない。

 諦観しきった様子で嘆息する。


「お前こそ、大丈夫なのか。いつもより睡眠時間が減った、などと言っていただろう?」

「そんなの、全然平気だよ!」


 嬉々とした調子で答えるアスヴァレン。

 先日、玉座の間で欠伸混じりに「睡眠時間が十時間を切った」と不満を口にしていた男とはまるで別人である。

 それから、陛下は視線を明後日の方向に逸らして独白のように呟いた。


「お前が煎じてくれた薬のお陰で、すこぶる調子がいいようだ。まぁ、何だ、お前を同行させることへの躊躇いもあったが、俺としてはお前がいてくれて助かった」


 陛下にしては珍しく歯切れが悪い。

 心なしか顔が赤らんで見えるのは、松明の炎に照らされているからだろうか。

 あるいは他にも要因が?

 アスヴァレンはぽかんとした顔で言葉を失っていたけど、やがて嬉し泣きのような表情へと変じていく。


「エルぅ~」

「うわっ! 止せ、くっつくな!」

「だって、仕方ないよ! もう、エルがかわいくてかわいくて、かわいいの何のって! エルにそんなこと言われたら、いくらだって頑張れちゃうよ!」

「お前な。というか、いい加減に離れろ」


 抱き着いてくるアスヴァレンに、心底うんざりといった様子で肩を竦める陛下。

 離れろと言いつつも、無理矢理に引き剥がす気はないのか、アスヴァレンのしたいようにさせている。

 私の視線に気付き、苦笑を向ける。


「美夜も、馬車での移動と慣れない野営続きで疲れただろう。不自由な思いをさせて済まない」

「いえ、そんな。何かとお気遣いいただいているお陰で、快適に過ごせています」


 陛下に気を病ませたくない私は、少しだけ嘘をつくことにした。

 とは言え、陛下にはお見通しなのだろう。


「しかし、野営は今夜で最後だ。明日からは国境を越えてブラギルフィアの領地に入る。街に泊まらせてもらえるよう既に連絡済みだ」

「それは……嬉しいです」


 と、率直な気持ちを口にした。

 アスヴァレンの錬金術で簡易的なお風呂を用意してもらったものの、やはり王宮の浴場ほど寛いだ気持ちで入ることはできない。

 明日はゆっくりお風呂に浸かり、フカフカのベッドで眠れると思うとやはり喜ばしい気持ちになる。

 今の今まで陛下にくっついていたアスヴァレンが、ようやく離れて大きく伸びをした。


「よーし、エルを堪能したことだし僕はお菓子でも作ってもらってこようかな。ってことで、シルウェくん探してくるねー」

「全く……あいつにあまり手間をかけさせてやるなよ」

「ん、わかったー」


 陛下の忠告をどこまで理解したのか、アスヴァレンは手をひらひらと振りながらその場を後にした。

 遠目にシルウェステルの姿を見つけると、大声でその名を呼ぶ。

 振り返ったシルウェステルの顔に「げっ」みたいな表情が浮かんでいた気がするのは、果たして気のせいだろうか。


「やれやれ、困った奴だ。……仕方ない、街に着いたら名物の菓子でも買ってやるか」

「喜ぶでしょうね。陛下からの贈り物となれば、殊更」

「美夜はあいつのことをよくわかっているな」


 陛下は苦笑混じりに言った。

 それでも、彼の目にはアスヴァレンに対する深い愛情が宿っている。

 私は「ええ」と相槌を打ち、特に意味もなくアスヴァレンの姿を探す。

 彼もシルウェステルも、既に私の視界から消えていた。


 行軍の間、私は母と同じ天幕で寝起きする形となり、陛下と二人きりになれる時間はなかなか取れない。

 今、せっかく二人きりになれたというのに、私は何とも名状し難い居心地の悪さを覚えてしまう。

 その理由は二つほどある。


「アスヴァレンから、『彼』のことについて聞いたのだな」


 そんな中、陛下が静かな声で言った。


「やはり、聞いていらっしゃったのですね」

「……すまない、立ち聞きするつもりはなかったのだが」

「いえ、そんなこと……」


 それから一拍置いた後、私は頷いた。

 そのまま沈黙が落ち、パチパチと薪の燃える音が妙に大きく響く。

 沈黙を破ったのは陛下だった。


「今のブラギルフィアが在るのは、あいつのお陰だと言っても過言ではない」

「あいつって、アスヴァレンですか?」

「そう。……英雄王エレフザードの死と共に、一度はティエリウスに合併されたブラギルフィアだが、その十数年後、山脈の向こうの国へと身を寄せていた彼の遺児が立派な青年騎士となって帰還し、再びブラギルフィアという国を立て直した。歴史上はこういうことになっているが、その背景にあいつの尽力と献身があったことは間違いない」


 陛下は揺らめく炎を見つめながら、言葉を紡いだ。

 彼のその目は、見ることの適わぬ歴史上の出来事を見つめようとしているかのようだった。


 アスヴァレンは、自らの功績について一切語ろうとしない。

 決して謙虚なわけじゃなくて、そもそも関心がないのだろう。

 彼の関心事はただ一つ。


 私の脳裏に、以前アスヴァレンが口にした「僕はあの子の望みを叶える」という言葉が浮かんだ。

 兄上亡き後のアスヴァレンの心中は、察して余りある。

 最愛の人を死に至らしめた者への復讐を考えたかどうかはわからない。

 ただ一つはっきりしているのは、そうしなかったということ。


 彼は兄上の遺児を連れ、ティエリウス王家の者の手から逃れた。

 多分きっと、兄上はアスヴァレンに我が子を託したのだろう。

 アスヴァレンの中に復讐心があったとしても、彼はそれよりも愛する人の望みを選んだ。


「……陛下がアスヴァレンを誰よりも信頼する理由が、わかった気がします」


 私は半ば独白のように呟いた。

 何度か焚き火が爆ぜる音を聞いた後、小さく付け加える。


「正直、妬けますね。……テオセベイアの神性を受け継いだのは私だというのに、アスヴァレンのほうがずっとずっとこの故郷に貢献してきただなんて」

「美夜」


 陛下が苦笑交じりに私の名を呼ぶ。

 それから、躊躇いがちに手を持ち上げて私の髪を掬い上げる。


「こればかりは仕方ない。そういう巡り合わせだったのだろう」

「……でも」


 私は顔を上げて陛下へと向き直る。

 挑むように彼を見つめて言った。


「私はアスヴァレンと違い、兄上のことを知りません。陛下が私の従兄と同じ魂の持ち主だと言われても、全く実感が湧きません。……その、私は陛下だけですから」


 後半になるにつれて言葉は尻すぼみになっていき、最後のほうは吐息に忍ばせるような小声になっていた。

 それでも陛下には伝わったらしく、金色の双眸を大きく見開く。

 それから柔らかな笑みを浮かべ「そうか」と呟いた。


「そう言ってもらえると……救われるな」


 私は無言で視線を明後日の方向へと向けた。

 アスヴァレンは、二百年も前から大事な人を心に住まわせている。

 陛下を心から想っていることは間違いないけれど、そこにはどうしても「兄上の生まれ変わり」という前提が入ってしまう。

 陛下自身もそこは納得済みだとしても、私の心はアスヴァレンと違い真っ新だということは主張しておきたかった。


「美夜、こっちを向いてくれないか」

「……」


 無言で首を左右に振ると、陛下が小さく笑う気配があった。


「今日はご機嫌斜めのようだ」

「あまりに陛下と兄の仲が良すぎるので」

「それで妬かせてしまったか」


 陛下は私の髪から手を離すと、恐る恐るといった様子で頭を抱き寄せる。


「どうすれば機嫌を直してもらえるだろう?」


 私は一瞬考え込んだ後、視線を持ち上げて陛下を覗う。


「今夜、陛下の天幕に泊めていただけるのでしたら」


 その要望に、陛下は私に微笑を向けたまま固まってしまう。

 ややあってから口を開いた。


「……明日はブラギルフィア国の領地内の街に泊まれる。明日、ではどうだろうか?」

「陛下と同じお部屋に泊めていただけるのですか?」

「……ああ、そのようにしよう」

「明日、ですか」


 そう反芻した後、視線を落として暫く考え込む。

 その沈黙に不安を覚えたか、「美夜?」と呼びかける彼を再び見上げる。


「私はこの数日、我慢しました。本来なら今日もまだ我慢できたのですが、今はアスヴァレンへの嫉妬でどうにかなりそうです。それを沈めるためにも、今日はもっと陛下と一緒にいられたらなんて……」


 誰かに何かを頼んだり、ましてや甘えるだなんて殆どしたことがない。

 何度か陛下に対して試みたことはあったけれど、やはり慣れないものだ。

 陛下からの返答はなく、そのことが今度は私を不安にさせる。


 私がその空気に耐えられなくなる前に、陛下が「前言撤回」と小声で言った。

 その声は常よりも低く、そして硬質だった。


 ……さすがにわがままを言い過ぎただろうか。

 陛下は、内心で狼狽する私の身体に手を添えると、促すように歩き始めた。

 肩に添えた手にはいつもより力がこもっているし、それに何だか早足だ。

 促すというより、強引に連行されている感がある。


 ……もしかして、怒っている?

 さすがの私も、不安がどんどん膨らんでいくのを感じた。


「……あの」


 なるべく平静を装いつつ呼び掛けても、陛下は聞く耳を持とうともしない。

 やがて辿り着いたのは、ある天幕の前だった。

 見覚えのあるそれを見上げながら唖然とする私を、陛下は半ば押し込むように内側へと促した。

 そして、私を抱き寄せたかと思うと、そのまま簡易寝台へと腰を下ろした。

 私はと言えば、彼の膝の上に乗せられた状態である。


「あの、陛下、これは」

「前言撤回だと言っただろう」


 それは、どこか拗ねた口調だった。

 ここに至って、私はようやく悟った。

 陛下は私に腹を立てていたわけじゃない……そうだ、考えてみれば当たり前だ。

 私は陛下に愛されているのだから、彼が私に腹を立てるなんて有り得ない。

 初めからわかりきっていたことだし、別に不安に思ったことなんか決してない、絶対に有り得ない。

 ……何と言うか、要するに私を「お持ち帰り」したということらしい。


「……先日のことで懲りていてくれれば良かったのだが。こうなった以上、もう抑えられる気がしない。というわけだから美夜、暫しの間、協力してくれるな?」

「……はい」


 陛下の口調は常と変わらず穏やかだったけれど、底知れぬ恐ろしさのようなものを感じさせた。

 この時、私には頷くことしかできなかった。

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