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第98話 漫画にストイックな先輩

 体育館の前の渡り廊下を小走りで戻って、来客の多い廊下の階段を一段抜かしで駆け上がる。


 二階の漫研の部室へ入る。文研と同じように、展示パネルが部室に並べられている。


 うわあ、お客さんが結構入ってる。うちの学校の女子ばっかりだ。


 一般のお客さんは、あんまりいないか。


 生唾を呑んで、展示パネルを覗き込む。


 扉の正面に展示されているこの漫画は、少年誌のような荒々しいタッチで描かれている。


 狐塚先輩の書いた漫画だ。


 白いドレスに身を包んだお姫様が、両刃の剣を取ってドラゴンと戦っている、ものすごく斬新な漫画だ。


 開始二ページでお姫様がドラゴンを倒して、血だらけになって勝ち誇っている。


 お姫様は両目を見開いて、勝利の雄叫びを上げている。


「俺が最強だあ!」って、なんだこれ。冒頭からの猛々しい描写に圧倒されてしまうっ。


 お姫様にある日、伝説の勇者の力が宿ったという設定なのか。


 それで、人が変わったように強くなったということになっているけど、設定がかなり強引じゃないか?


 お姫様の仲間らしき戦士や魔法使いが出てきた。


 もうなんていうか、女子が百パーセント好きそうな超絶イケメンばっかりだ。


 だけど、国を救う伝説の秘法を探すというストーリーは、細かくつくられている。


 日常のシーンや風景の描写も、驚くほどに繊細だ。


 狐塚先輩は、やっぱりすごい人だ。


 無茶ぶりばかりする理不尽な人だけど、漫画にかける技術力と情熱は紛れもなく一級品だ。


 この人は泉京屍郎に負けていない。実力は伯仲はくちゅうしている――。


「おうっ。どこのどいつかと思ったら、文研の副部長様じゃねえか」


 背後から、いきなり大きな声で呼ばれる。


 振り返ると、狐塚先輩が勝ち誇った顔で腕組みしていた。


 この迷いのない目力の強さが、漫画の主人公にそっくりだ。


「お久しぶりです。先輩の作品が気になったので、見に来ました」


「俺の作品が気になっただぁ?」


 狐塚先輩が、疑い深い様子で俺を覗き込む。


「嘘つくんじゃねえよ。勝敗の行方が気になっから、敵情視察に来たんだろお?」


「はい。そうでもあります」


 俺がきっぱり肯定すると、狐塚先輩は拍子抜けして、


「お、おお。よくわかってるじゃねえか」


 力のなくなった声で言った。


「勝敗の行方は気になりますが、気になったのは、それだけじゃないです。プロの世界で活躍されてる狐塚先輩の漫画を、一度でいいから読んでみたかったんです」


 狐塚先輩が真剣な面持ちで俺を見やる。


「率直に思いましたが、すごいですね。息をつく暇もない展開が一ページ目からはじまって、作品に思わず引き込まれます。絵もすごくうまくて、さすがだと思いました」


 感想の伝え方なんて、俺にはわからない。思ったことを率直に伝えるだけしかない。


「コマ割りとか漫画の固有の技術は、よくわかりませんけど、絵は豪快でいて、よく見るとかなり繊細なので、丁寧に書き込まれていることがよくわかります。狐塚先輩はやっぱりすごいです」


 狐塚先輩は珍しく、口を挟まずに俺の言葉に聞き入っていた。


 だけど、しばらくして、にっと口元を歪ませて、


「お前、全然わかってねえな」


 いつものドヤ顔で吐き捨てた。


「わかってないって、漫画のことですか」


「違うっ。漫画家に対する労いの言葉だっ」


 漫画家に対する労いの言葉?


「俺の漫画を褒めるときはな、すごいって言うんじゃなくて、面白い! って言うんだよ」


 狐塚先輩。あなたという人は、どこまで漫画が好きなんですかっ。


「俺の漫画を褒めるのに、多くの言葉はいらないぜ。お前だって、自分の書いた小説を偉そうに批評されたくないだろ」


「はい。その通りです」


「ま、お前のその感じ方は、お前の宝になるものだ。大事にとっておきな」


 狐塚先輩が、右手に持っていた紙を見せ付ける。


 二つ折りにされていた紙には、小説のように文章がびっしりと書き込まれている。


 いや違うっ。それは俺の書いた小説じゃないですかっ。


「お前の書いた小説を読ませてもらったぜ。なかなか、よく書けてるじゃねえか。去年のなんちゃって小説とは大違いだ」


「えっ、マジですか」


「しかも、三つも書くとは思っていなかったぜ。根性なしのてめえのことだから、へなちょこの、つまんねえ小説もどきしか書けねえと思ってたのによ。大した進歩だぜ」


「そんなことはないです。俺の小説は大したことありませんから」


「ま、そうだな。よくがんばったと褒めてやりてえが、こんな小説でもらえるのは、せいぜい努力賞だ。お前の力じゃ、鏡花の足もとにも及ばねえからな。俺が褒めてやったからって、調子に乗るんじゃねえぞ」


 調子に乗るなという警告は理解できますが、どうして、そこで部長の名前が出るんですか。


「なんてな。偉そうなことを言える身分じゃねえんだよ、俺は」


 狐塚先輩が自分の漫画を凝視する。顎に手を当てて、


「お前は俺に気を遣ってるが、そんなもんは必要ねえ。くそみてえだなって、はっきり言ってくれて、かまわねえぜ」


 普段の男らしい声で、自虐めいたことを言う。


「気なんて遣っていませんよ。俺は自分の感じたことを伝えただけです」


「ああ、そうかい」


「この作品じゃだめなんですか?」


「ああ。全然だめだな。俺にとっちゃ、こいつは駄作だな。よくて六十点くらいだ」


「この完成度で、どうして六十点なんですか。もっと点数があってもいいじゃないですか」


 いや、と狐塚先輩がかぶりを振って、


「そうでもねえよ。姫が勇者っていう設定はありきたりだし、お供のインパクトもねえ。話は単調だし絵も雑だ。文化祭が終わったら、こんな漫画は破り捨ててやるっ」


 自分の描いた漫画へ手を伸ばす。俺は慌てて先輩の手をとった。


「どんな出来でも、自分の描いた作品なんですから、破ってはいけないですよ。この漫画を心待ちにしている人だって、たくさんいるんですから」


 あなたには、俺の考え付かないようなこだわりがあるんでしょうけど、読者へ発表した漫画は大事にしないとだめだ。


「あ! ブレイブ×プリンセスの作者だっ」


 廊下に男子の大きな声が響く。五人の男子が入ってきて狐塚先輩を囲い込む。


 部室でおしゃべりしていた女子たちも、どっと押し寄せて、狐塚先輩にサインを求める群れが瞬く間にできあがった。


「お前らっ。ちょっと、待てっ」


 こういう意味でも、狐塚先輩はすごい。


 俺が近くにいたら、サインを求める人たちの邪魔になるな。


 漫研の他の展示パネルを見やる。たぶん三年生が描いた漫画だろう。


 少女漫画のような細い線で、風景やキャラクターが描かれている。


 狐塚先輩の力強い漫画とは全然違う。繊細で優しいタッチは、疲れた心をそっと癒してくれる。


 だけど、漫画を読んでいて思う。この漫画で何を訴えたいのだろうか。


 主人公の女性が憧れの美男子と会話しているだけで漫画が終わっている。


 ページ数も五枚だけ。絵はきれいだけど、これでは漫画の体裁が保たれていない。


 他の人の漫画も同じだ。ページ数が少なくて、物語というより、好きなシーンが描かれているだけだった。


 ――漫画を一話描き切るのと、小説を一話書くのでは、作業量が全然違うんだ。


 右手に力が入る。


 狐塚先輩と泉京屍郎の実力は伯仲だ。俺たちの努力は、無駄じゃなかったんだ。


 漫研の展示パネルの脇から顔を出して部室を見やる。


 部室の当番で残っている漫研の部員と、文研の一年生が仲良くおしゃべりしている。


 机に置かれている投票箱のアルミっぽい色が、今さらながら安っぽく見えた。


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