第97話 狐塚先輩の漫画がなぜか気になる
十二時になって、午後の部を担当する先輩たちが部室へ来てくれた。漫研の部員といっしょに。
勝負の真っ最中なのに、先輩たちは校内のスイーツの模擬店の話題で盛り上がっている。
漫研と文研は、前から仲がいいんだけども。
「今回の勝負って、これからどうなるんですかね」
部室の去り際に、柚木さんが先輩たちをちらりと見やる。
「なんかもっと、先輩たちが熾烈に戦うっ! みたいな感じになるんだと思ってたけど、そうでもないのかな」
四橋さんも、先輩たちの様子に困惑してるんだな。
「わたしたちは、がんばって小説を書いてたんだけど、先輩たちはそうでもなかったから、ちょっと不安だな」
「漫研も、たくさん描いてたのは、狐塚先輩だけだったよ。他の先輩たちは、いつも通りにのんびりしてたから」
「そうだったの?」
「うん。漫画をいっぱい描くのは、部長しかいないから。あたしだって、全然描けないし」
「そっかぁ」
四橋さんの悲しげな言葉に、柚木さんがしんみりと肩を落とす。
それはともかく、
「こんなところで立っていても、邪魔になるだけだから、どこかでごはんを食べようよ。お腹も空いてきたことだし」
「はいっ!」
「朝ごはん食べてないから、お腹が空きましたぁ」
お昼を提案すると、四橋さんが、ぐうとお腹を鳴らした。柚木さんも苦笑して、
「お腹、空いたよね。三年生の模擬店がおいしいって、部室に来た人が言ってたから、いっしょに食べに行こう!」
「うん!」
三年生のクラスは、一階と二階だな。廊下をとりあえず歩いてみよう。
二階の廊下は、色とりどりの風船やポスターで飾られている。
女の子の手書きのキャラクターが、元気いっぱいの笑顔で、自分たちのクラスをアピールしている。
三年生のクラスは、教室の外壁から気合が入っている。
都内のカフェを模した外観は、本物の煉瓦でつくられてるんじゃないかと思ってしまうほど精巧だ。
となりのクラスから、スパイスの利いたカレーの香ばしさが漂ってくる。
「あ、カレー」
「おいしそう」
柚木さんと四橋さんが立ち止まって、お店を眺めている。
物欲しそうは表情は、まるで子猫だ。白い毛の、目のくりっとした愛くるしい感じの。
「ここで、ごはんにしようか」
「いいんですか?」
「全然かまわないよ。お腹が空いたから、早く食べたいよ」
極限までお腹が空いている状態で、カレーの香ばしい匂いを嗅がせるのは卑怯だ。
教室に入ると、レジがとなりに並んでいた。
カレーライスを三つ注文して、黒板の前に設置されている厨房でカレーライスをいただく。
パーティ用の紙皿に盛り付けられた、オーソドックスなカレーライスだ。
お皿の左半分に装われたカレーに、ごろっと大きなじゃが芋が入っている。
空いている席に座って、カレーライスを掻き込む。絶妙な味わいが、お腹の奥底に染み渡る。
「カレー、おいしいねっ」
「うんっ。最高!」
柚木さんと四橋さんも、カレーライスに舌鼓を打っている。
「先輩っ。体育館で三年生がバンドの演奏をしてるみたいですよっ」
「えっ、そうなの?」
「はいっ! 朝のホームルームでもらったプリントに書いてありましたっ」
「どんなバンドが演奏してるの?」
四橋さんが訊ねると、柚木さんは言葉を少し詰まらせて、
「バンドの名前は書いてあったんだけど、みんなアルファベットの名前だったから、どんなバンドなのか全然わからなくてっ」
ごめんね、と苦笑いする。
「英語とか横文字の名前だと、バンドのイメージがつかないよね」
「そうなの。どのバンドも同じに見えちゃうから、違いが全然わからないんだもん」
「写真とかイラストがあれば、いいんだけどね」
四橋さんが、くすりと笑った。
「ごはんも食べたことだし、体育館のライブを見に行ってみよっか」
「はいっ」
一階の渡り廊下から体育館へ向かう。
ドラムとエレキギターのにぎやかな音楽が、扉の向こうから聞こえてくる。
バスケットボールのコートがふたつ入る広い体育館だけど、観客はそれほど多くない。
椅子も何もないフロアに腰を下ろして、友達とおしゃべりしている。
壇上のバンドは、なんていうバンドだろうか。
ボーカルにギター。ベースにドラムという、プロのバンドでよく見かける四人組だ。
「わあ、にぎやかですねぇ」
四橋さんがバンドを眺めて、他人事のようにつぶやく。
歌っている曲は、テレビのコマーシャルか何かで聞いたことのある曲だ。
壇上の四人は、俺の知らないコードだかスネアだかの技術を駆使して演奏している。
観客は、あまり盛り上がっていない。というより、真剣に聞いている人がいない。
「もうちょっと前に行こう!」
「うん、行こう!」
柚木さんが四橋さんの手を引く。
今朝に会ったばかりなのに、あんなに仲良くなるなんて。
女子って、なんであんなに早く仲良くなれるのだろうか。
「先輩っ、早くっ」
「ああ、はいはい」
壇上からいくらか離れた場所に、ふたりが腰を下ろす。
柚木さんのとなりに、そっと座った。
午前中は、あんなにお客さんが来るとは思わなかったな。去年みたいに、客が全然来ないものだと思っていたのに。
投票の方は、どうなっているのだろうか。漫研に勝っててほしいなあ。
そういえば、狐塚先輩はどんな漫画を発表したのだろうか。自信満々なあの人の描いた漫画を見てみたい。
「四橋さんっ」
柚木さんのとなりでバンドを眺めている彼女を呼ぶ。
音がうるさくて、声がかき消される。
「はいっ」
「狐塚先輩って、どんな漫画を描いたのっ?」
騒音の中で、四橋さんがきょとんと首をかしげる。
「部長がっ、どうかしたんですかっ?」
だめだ。アンプのボリュームが大きすぎるせいなのか、体育館に響く音がとてつもなくて、声が聞こえない。
狐塚先輩の書いた漫画を、どうしても読んでみたい。いや、読まないといけない気がする。
プロの漫画家が、自分の進退をかけて描いた、渾身の作品なんだ。
「ごめん、ちょっと、行きたいところがあるからっ」
声を目いっぱいに張り上げて、立ち上がる。
俺を不思議そうに眺める柚木さんと四橋さんに背を向けて、体育館を後にした。




