第96話 泉京屍郎の実力
流行りもの見たさで訪れていたお客がいなくなって、部室が少し静かになった。
こんこん、と扉を叩く音が聞こえた。
「よお」
部室の開かれた扉の傍で佇んでいるのは、よれよれのTシャツに黒いジャージのズボンを穿いた男性だった。
細長い顔の下に生えているのは、汚らしい無精髭。
ぼさっと長い前髪は、今日も脂でべたべたになっている。
「あっ」
柚木さんが、はっと顔色を変える。
四橋さんは、一般客の出現に身体をわなわなとふるわせていた。
「お久しぶりです、早乙女さん」
「智子がうるせえからな。だるいけど、来てやったぜ」
早乙女さんが俺を見下ろして、にんまりする。
「智子さんというのは、同い年の従姉弟の方でしたっけ」
「ああ。よく覚えてんな」
忘れないですよ。あなたには、いろんな意味で衝撃を与えられましたから。
「今日、うちの学校で文化祭があることは、智子さんから聞いたんですか?」
「そうだよっ。あいつ、お前らんとこの先生から、今日のことを、わざわざ聞き出してやがったんだよ。そんで、絶対に行けって、うるせえんだよ。こっちは執筆で忙しいっつうのに、借金をいちいち盾にしやがって」
相変わらず、従姉弟に頭が上がらないんですね。
「お前、なに笑ってるんだよ」
「笑ってませんよ。見てるだけです」
「んだとっ」
早乙女さんが怒る素振りを見せる。そんな威嚇は通用しませんよ。
早乙女さんが「ち」と舌打ちして、柚木さんに目を向ける。
柚木さんは泥棒を睨めつける犬のように、早乙女さんを警戒している。
「おうおう。俺もずいぶん嫌われちまったなあ」
「当たり前ですよ。あんな言われ方をされたら、だれだって頭にきますって」
「俺は普段から言われている通りに、指摘してやっただけなんだがな」
早乙女さんが右手で、頭の後ろを掻いた。
「くだらねえことをくっちゃべってる場合じゃねえ。お前らに義理を果たしたから、もう帰んぞ」
「え、もう帰っちゃうんですか」
「当たり前だ。俺をだれだと思ってるんだ。俺はお前らと違ってな、執筆しねえと死んじまうんだよ。マジで忙しいんだからな」
早乙女さんが青い投票用紙を取り出した。一般の入場者の投票用紙は、紙の色が違うのか。
「これを、そこの箱に入れればいいのか?」
「はい。お願いします。名前は書きましたか?」
「ああ、書いてるよ。って、俺は小学生かっ」
早乙女さんが嫌そうに投票用紙を投函する。
「お前らの学校よお、頭おかしいんじゃねえのか?」
「頭がおかしいって、何がですか?」
早乙女さんが窓の向こうを指して、
「だってよ、そっから入ろうとしたら、身分証明書はありますかって。どんだけセキュリティが厳重なんだよ」
文化祭の入場の仕方に苦言を漏らす。
「それは、俺たちの勝負の影響ですよ。一般の入場者から不正が行われないように、入場が厳しくなってるんです」
「はあ? マジかよ。こんなくだらねえ勝負に俺たちを巻き込むなんて、相当馬鹿だな。
やっぱり頭おかしいわ」
早乙女さんの気持ちはわかりますけど、久坂先生がそこで見てますから、学校への文句はほどほどにしてください。
「あの、せっかくですから、俺たちの書いた小説を持って帰ってください」
紙に印刷した小説を差し出すと、早乙女さんは意外にも素直に受け取ってくれる。
「ほう。お前らがこの前に見せに来た小説だな」
「後ろでも展示してますけどね」
「そんなの見るか。壁にかかってるもんをずっと見てたら、首が痛くなるっ」
その気持ちは少しわかるかもしれない。小説は本で読むのが一番だ。
「俺が指摘してやったところは、ちゃんと治してるんだろうな」
「ええ。陸遜を美形にして、馬超や黄忠も出すようにしましたよ」
「へえ。いいじゃねえか。お前も少しは成長したっていうことか」
「読者の気持ちを考えろという、プロの小説家のお達しですからね。柚木さんだって、あれからかなり手直しをしてるんですよ」
柚木さんは口を開かない。身じろぎせずに早乙女さんをまっすぐに見上げている。
「へえ。あんたがねえ」
早乙女さんが、柚木さんを見下ろして薄く笑った。
「他にも泉京屍郎の作品がありますから、うちでぜひ読んでください」
「ほう――」
早乙女さんが顎をさすりながら生返事をするが、
「お前、今なんて言った」
「泉京屍郎のことですか?」
「泉京屍郎だとっ!?」
早乙女さんの顔色が激変した。
渡した紙を、早乙女さんが急にめくり出す。
そして、泉京屍郎の小説を見つけて、食い入るように読み出した。
「これ、マジで泉京屍郎の小説かよ。召喚師の小説を書いてるなんて、聞いたことねえぞ」
「その小説は、俺たちのために、特別に書き下ろしてくださったものなんです。ですから、ネットには公表されてないんですよ」
早乙女さんが余裕のない顔で俺を見やる。
「お前、こいつの知り合いなのか?」
「いえ。俺じゃないです。うちの部長が、彼の知り合いなんですよ」
早乙女さんが、がっくりとうなだれるように小説を下ろした。
「泉京屍郎って、プロの間でも有名なんですか」
「有名だな。売れてるやつらはどうか知らんが、俺たちみたいな底辺の小説家は、戦々恐々としてるぜ。こいつがプロになったら、俺たちはどうなっちまうんだってな」
プロの小説家を震撼させるほどの存在だったなんて、すごすぎて言葉が出ない。
「こいつが、ネットで投稿してる小説は読んだけどな、俺なんかじゃ足もとにもおよばねえ。へっ、どうやったらあんなに人気が出せるのか、俺に教えてほしいぜ」
早乙女さんが執筆している小説は、駅前の本屋で探して読んだ。
俺より何倍もうまいけど、それでも泉京屍郎と比べると、どこか翳りを感じてしまう。
「こんなところで、とんでもお宝がもらえるとは思わなかったぜ。人からのお願いも、たまには引き受けてみるもんだな」
「そうですね。人生なにがあるか、わかりませんから」
「けっ。俺より十個も若いくせに、じじくせえことを言ってんじゃねえよ」
早乙女さんは身を翻して部室を出ていった。その背中に頭を下げる。
席に戻ると、柚木さんが四橋さんとおしゃべりしていた。
「あ、先輩っ」
柚木さんの硬い表情に笑顔が戻っている。
「印刷した小説は、まだ残ってる?」
「はい。だいぶ少なくなっていますけど、お昼までは、もつと思います」
念のために、たくさん印刷しておいてよかった。
けど、午後に底をついたら午後の番の人がかわいそうだ。
「午後になくなっちゃったら大変だから、今のうちに印刷しておこうか」
「はいっ。あ、わたしがやりますっ」
柚木さんが急に席を立つ。
「いいの?」
「いいんです。先輩が仕事してばっかりですから。たまには、わたしにもやらせてくださいっ」
柚木さんも充分にはたらいてると思うけどな。
十二時になれば、俺たちの当番は終わりだ。あと二十分もない。
来客の波もだいぶ引いている。部室にいるお客は数人だけだ。
お昼が近いと気づいたら、途端にお腹が空いてきた。
午後は柚木さんと四橋さんの三人で、校内をゆっくりまわろうか。




