第95話 四橋さんのなやみ
泉京屍郎の人気と影響力の強さを、改めて思い知った。
文研の部室に転がり込んでくる来客の大半の目当ては、泉京屍郎の書いた小説だ。
泉京屍郎の小説が文研で発表されることは、文化祭の前から学校中に知れ渡っていた。
来客は彼の小説の前で狂喜し、がやがやと騒ぎながら、紙に印刷した小説を持ち帰っていく。
文研の部室に来る人の中には、冷やかしというか、あからさまに小説に興味がなさそうな人たちもいる。
けれど、そういう人たちもまわりの雰囲気に圧倒されて、泉京屍郎の小説を疑いながら持ち帰っていった。
「こんなに人が来るなんて、思いも寄りませんでしたね」
来客の対応がひと区切りして、柚木さんがそう言った。
「宣伝の効果が出たんだね。先生と沖野さんに感謝だね」
「はいっ! おふたりとも校門や廊下で、たくさんビラを配っていましたから。すごいと思いましたっ」
「そうだよね。小説を書くのも大変だけど、人前で宣伝したり、ビラを配るのは相当疲れるからね。俺じゃ無理だよ」
「先輩は、インドア派ですもんね」
柚木さんが、控えめな笑顔で調子を合わせてくれる。
「人見知りが原因で読書が好きになったんだから、ビラ配りなんかしたくないよ」
「先輩って、人見知りだから小説が好きになったんですかっ?」
「そうだよ。友達がいなくて、話し相手がいないから、本を読むしか――」
話の勢いで、なんで自虐してるんだ、俺はっ。
「いや、そんなことはないよ。俺もビラ配りしたかったなあ」
「ふふっ。無理してるのが見え見えですよっ」
油断して余計なことをしゃべってしまった。
四橋さんが、ぼんやりと俺たちを見ている。目が合うと、「はあっ!」と猫みたいな声を出して、うつむいた。
「四橋さんは、一年生だっけ」
「はっ、はひっ」
「何組?」
「えっと、えっと、四組、ですっ」
四橋さんの動揺が半端ない。少し尋ねてみただけなのに、声が裏返っている。
「四組って、ひなちゃんと同じクラスですよね」
柚木さんの言う通りだ。比奈子が所属しているクラスも一年四組だ。
「ひな――宗形さんは知ってる?」
「宗形、さん、ですか?」
「うん。宗形比奈子ちゃん。ひなちゃんは先輩の妹なんですよっ」
柚木さんが簡単に説明してくれる。
四橋さんは放心しているような様子で、柚木さんを眺めて、
「宗形さん。宗形さん――あっ! はいっ。宗形さん。知ってますっ」
舌を噛みそうな早口で言った。
「宗形さんって、すっごく強い人ですよねっ。たしか、空手部の」
「うんっ。ひなちゃんは、わたしの友達だから、いつもいっしょに遊んでるの」
「そ、そうなんですかっ!?」
四橋さんが身体を大きく仰け反らせる。
「じゃ、じゃあっ、みなさんも、すっごくお強いんですかっ!?」
「えっ、わたしたちも?」
「いやいや。強いのは、ひなだけだから。俺たちは普通だから」
四橋さんが妙な勘違いをしている。俺たちは空手なんて習ったこともないのに。
「そ、そうなんですかっ」
「そりゃそうでしょ。俺たちは文研の部員なんだから、運動とか喧嘩はからっきしだって」
来客に小説の質問をされて席を立つ。
柚木さんを投票箱の傍へ残して、俺や柚木さんの書いた小説を解説する。
来客のほとんどは、泉京屍郎の小説しか注目していないけど、一部の人たちは、俺や柚木さんの書いた小説に関心を示してくれている。
この人たちは、小説を普段から愛読している人だ。
「上手だ」というお褒めの言葉は、投票してもらうことより、はるかに心に響く。
「柚木さん。俺たちの書いた小説も面白いってさ」
四橋さんと会話している柚木さんに伝えると、「本当ですかっ!?」と、彼女が声を張り上げて喜んだ。
「わたしたちの書いた小説を読んでくれる方もいるんですね。恥ずかしいですけど、嬉しいですっ」
「俺たちのがんばりは、無駄じゃなかったんだよ。早乙女さんに、きついことを言われたりしたけど、がんばってよかったね」
「はいっ」
読者から感想がもらえることが、こんなに嬉しいことだなんて、知らなかった。
小説を書いている最中は、マラソンを走っているような心境だったけど、ひと言の感想がいただけただけで、今までのすべての労苦が報われる。
四橋さんが、また寂しそうに俺たちを眺めていた。
「四橋さんも漫画を描いたの?」
「えっ、あ、あたし、ですかっ」
「今日の勝負で、漫研もたくさん漫画を描いたんでしょ。四橋さんは、どんな漫画を描いたの?」
この子がどんな漫画を描いているのか、すごく気になる。
柚木さんは社内恋愛を書いていたから、この子も同じように恋愛系の漫画を描いているのかな。
四橋さんが口を閉ざしてうつむく。閉じている膝に置いた両手を、にぎりしめながら。
「あたしは、描いてないです。漫画が、全然描けないんですっ」
四橋さんの寂しげな表情が胸を打つ。
「絵が描けないの?」
柚木さんの質問に首を横にふって、
「絵は、下手ですけど、一応描けるんです。ですけど、ストーリーというか、どんなお話にすればいいのか、全然わからないんです」
とても苦しそうに気持ちを吐露する。
「みなさん、すごいですよね。ご自分で、お話を考えて、漫画や小説を、書かれてるんですから」
「わたしも、そんなに上手じゃないんだけどね」
四橋さんに見つめられて、柚木さんが苦笑する。
「そうなんですか?」
「うん。だって、わたしが小説で書いたのは、前に好きだった少女漫画を真似しただけだから」
「そうなんですか。でも、今日の勝負に向けて、小説が書けるのは、やっぱりすごいです! すごく尊敬しますっ」
尊敬するだなんて、大げさだな。
尊敬するのは、泉京屍郎や狐塚先輩くらいの人にしておいた方がいいよ。
「柚木さんと四橋さんはタメなんだから、敬語で会話しなくてもいいんじゃない?」
「はい。ですので、わたしは普通に話すようにしてるんですけど」
言いながら、柚木さんが四橋さんをちらりと見る。
四橋さんは、「ふえっ?」と半開きになった口から声を漏らしていたけど、俺たちの気持ちに気づいて、
「えっ!? そそ、そんなっ、あたしなんかがっ、馴れ馴れしくしても、いいんですかっ」
出会ったときの忙しない動作で激しく動揺する。
「馴れ馴れしくって、同い年でしょ。敬語なんて使わないのが普通じゃん」
「そうです、けど」
「せっかくだから、ひなとも仲良くしてやってよ。かなり変なやつだけど、悪いやつじゃ――」
「ひなちゃんは、変な子じゃないですっ!」
柚木さんに全力で否定されてしまった。
俺に珍しく反論する柚木さんを見て、四橋さんが微笑んだ。
「四橋さんは、名前はなんていうの?」
「あ、あたしは、久美子、です」
「くみちゃんっていうんだ。わたしは、琴葉。ひなちゃんは、ことちゃんって呼んでくれてるんだよっ」
「ことちゃん。可愛い名前ですねっ」
四橋さんのかける銀縁眼鏡が、嬉しそうに少し跳ねた。
「くみちゃん。これからよろしくねっ」
「うんっ!」




