第92話 文研の救世主
次の日に部長は部室へ来てくれた。眠そうな眼をこすりながら。
部長は、部室のノートパソコンを馴れた手つきで操作して、学校のファイルサーバから小説のファイルをダウンロードしてくれた。
「むなくん。これが、昨日話した小説よ」
「はい」
部長がどいてくれた席に座り込む。
ノートパソコンのフォルダへ保存されたファイルは、十個もある。
ファイル名は、タイトルらしき文言と連番の構成だ。
「syoukan」と書いてあるから、召喚師の小説なのかな。
柚木さんや先生たちが固唾を呑んで見守る中、一の番号が振られているファイルをクリックする。
内容は案の定、召喚師の話だ。
主人公が召喚師の男の子で、召喚師を育てる学校が舞台のようだ。
主人公のまわりには、美女がたくさんいる。
ヒロイン候補のツンデレ気味の幼馴染に、生徒会長のお姉さん的な役割の先輩。
ドジっ子の後輩に、巨乳の女の子まで出てくるって、そこはパラダイスですかっ。
昨今のライトノベルっぽい雰囲気がベースで、序盤からパンチラや女の子との絡みが盛りだくさんっ! だけど、学校を影で操る黒幕のような存在もいて、読めば読むほど先の展開が気になってくるっ。
「先輩、どうですかっ」
柚木さんが俺の肩を触る。
主人公は、召喚師の学校にいながら召喚術が使えない落ちこぼれだけど、有名な召喚師の子孫という設定らしく、序盤で登場する悪い先輩をいきなりやっつけてしまった!
ここで一番のファイルの内容が終わった。
どんどん読み進めたいけど、みんなが待ってるから我慢しよう。
俺はパソコンのテキストエディタを閉じた。
「どうやろうか」
となりで部長が俺の返答を待っている。
「はい。素晴らしいです。いや、とんでもない代物です、これは」
俺の言葉を皮切りに、部室が歓喜に包まれる。
柚木さんが先生と手を取り合い、他の部員たちも我を忘れて喜んでいる。
文化祭の間際に、こんな秘密兵器が手に入るなんて、俺たちはなんて幸運なんだっ。
この小説なら、勝てるかもしれない。漫研に。いや狐塚先輩に。
文章やストーリー展開も秀逸だけど、この小説は何よりも読者を考えて執筆されている。
文章が軽めで読みやすく、さらにキャラクターが立っているから、うちの学校の生徒たちがこのむ内容だ。
けれど、召喚師や学校の設定が意外と細かく、ストーリー展開もよく考えてつくられている。俺や柚木さんみたいなハードユーザでも満足できる小説だ。
これは、すごい。目から鱗が落ちるというのは、こういうことなのか。
「部長。この小説を書いた人は、だれなんですか」
俺のひと言で部室が静まり返る。
だけど部長は、となりの席で倒れ込むように寝入っている。
俺は、昔のバラエティ番組のお笑い芸人みたいにずっこけそうになった。
「部長っ!」
「ん、ごめんねえ。受験勉強で、せわしないもんやから」
「ああ、そうなんでしたね。大きな声を出してすみません」
受験勉強という言葉が出ると、つい引いてしまう。
「この小説を書いてくれた人は、どなたなんですか」
「そら、あれよ。むなくんが、この前に言うとった、泉なんとかはんよ」
俺が前に言ってた、泉なんとかさん? だれだ、それ。
泉という苗字で思いつくのは、泉京屍郎だ。ネット小説の世界で、未だに根強い人気を持つ超人だ。
泉京屍郎の話は、部長にしたな。たしか、夏休みの合宿のときに――。
「もしかしてっ、泉京屍郎の作品なんですかっ!?」
「そうそう。その人」
部長がけろりと肯定する。俺の目玉が、漫画みたいに飛び出しそうだというのに。
柚木さんも、「うそっ」と口に手を当てて絶句している。先輩や他の部員たちもあまりの驚きに言葉を失っていた。
先生だけは、「いずみきょうしろうって、だれ?」と、空気を読まない発言をしているけど。
あの泉京屍郎が、俺たちのために小説を書いてくれたのか!? そんな馬鹿なっ。
彼が見ず知らずの俺たちを助けたところで、なんのメリットもない。
ネット上で何千人というファンを抱えている人が、俺たちのために小説なんて書くのか?
ノートパソコンへ視線を戻す。
召喚師の小説のファイルを眺めて、二の連番が割り振られたファイルをクリックする。
泉京屍郎の小説は、いくつか読んだことがある。
彼の投稿している小説のすべてを知っているわけではないけれど、この召喚師の小説は今まで読んだことがない。
この小説は、きっとインターネットで公開されていない作品で、狐塚先輩に対抗し得る最強の武器を、無償でもらい受けることができたということなのか。
いや、その前に、
「部長はこの前、泉京屍郎なんて知らないって、言ってたじゃないですかっ」
「いやんっ。むなくんが怒ったぁ」
部長が左右の耳をおさえる。
「合宿で、江ノ島の展望台に上ったときですよね。泉京屍郎の話をしたのは。しかもそのとき、いっぱい文句を言ってたじゃないですかっ。この人の小説はつまらないって」
「そないなこと、言わはったっけ?」
「言いましたよっ!」
足に力が入って、思わず立ち上がってしまった。部長は反対に両手を合わせて謝罪する。
「勘弁しいや。あのときは、名前をど忘れしとったんよ」
「見ず知らずの俺たちを、助けてくれるような人の名前を忘れてたんですか」
「そないに怒れへんでよ。今日のむなくん怖い」
感情にまかせて部長を責めてしまった。とんでもないツテを当たってくれたというのに。
「部長って、この人の知り合いだったんですか。すごくないですか」
柚木さんも呆気にとられている。
「そないに褒められると、照れるわぁ」
「部長自身のことは褒めてないです」
「あらあ、柚木はんも冷たいっ」
柚木さんが部長に冷たいのは、いつものことですけどね。
絶望しか感じられなかった部室の天井から、巨柱のような光が差し込むような心地だった。
漫研に、狐塚先輩に勝つことが、いよいよ現実的になった。
あり得ない奇跡に右手がふるえる。突然あらわれた救世主に鳥肌が立った。
インターネットの向こう側にいる泉京屍郎に感謝しよう。この恩は、どこかで返します。
「とんでもないものをいただいたけど、俺たちはこれまで通りに執筆をつづけよう。どんな小説でも、たくさんあった方がいいから」
「はいっ」
「宗形くん。あたしたちも、ビラを配った方がいいんだよね」
ひとり状況が呑み込めていない先生が挙手する。授業中の生徒みたいに。
「はい。先生と沖野さんは、ビラ配りとポスターの作成をお願いします。人手が足りなかったら、俺に言ってください」
「わかったわ」
「部長は受験勉強がありますから、無理しないでください。あとは俺たちでなんとかしますから」
「ほほ。むなくんは真面目やなぁ」
文化祭の勝負に向けて、文研のムードが創立史上、最高潮に盛り上がっている。
狐塚先輩に勝てるぞっ。いや、俺たちであの巨人を倒すんだ。
文研の四台のノートパソコンがフル稼働する。
いつも静かな部室に、明るい声が飛び交う。
小説とパソコンに悪戦苦闘する俺や柚木さんを眺めて、部長が優しい姉のように微笑んだ。




