第91話 部長はたすけてくれない?
帰宅して夕食の後に電話すると、部長はすぐに応じてくれた。
『さおたんにいっぱい言われてしもたんか。そら難儀やったなあ』
ベッドに腰を下ろして、スマートフォンを右手でにぎりしめる。
受話口から聞こえてくる部長の声に、焦りや不安は今日も感じられない。
「そうなんですよ。今日は先生に噛み付いて、大変だったんですから」
『あいりちゃんは、かいらしい子やさかい、さおたんに迫られたら、勝てんやろうな』
「はい。先輩に脅されて、すっかり弱気になっちゃって、慰めるのに苦労しました」
『どっちかって言うと、むなくんがせんせみたいやなあ』
電話の向こうで部長が笑った。
「笑ってる場合じゃないですよ。あの人、俺たちを本気で辞めさせる気ですよ」
『ほんまか?』
「はい。夏休み中に教頭に掛け合ったらしいですよ。負けたら本当に辞めさせるようにって。頭おかしいですよ」
あの人は、そこまで俺たちを怨んでいるんだ。だから、きっと勝敗にあそこまでこだわるんだ。
俺たちは漫研に悪さをはたらいた覚えはないから、あの人に怨まれる理由がわからないが。
『さおたんは酔狂な子やさかい。ほんまにおもろい子やなあ』
「酔狂って、なんですかっ。はた迷惑なだけですよ!」
『むなくんは、さおたんが嫌いなんか?』
「はい。好きか嫌いか言われたら、嫌いですね。下らない勝負を持ちかけられて迷惑してますし」
『そうかあ。さおたんは、かいらしいし、いじると、ほんまにおもろい子なんやけどなあ』
あの人のどこが可愛いんですかっ。あなたの人を選ぶ基準がまったくわからないです。
『それにしても、あいりちゃんがビラを配るとはなぁ』
「俺もそれを聞いて驚きました。先生にそんなことをさせてもいいんですかね」
『ええんではおまへん? あいりちゃんが、自分でやるって言わはったんやさかい、教頭せんせに怒られても知らんぷりしてればええよ』
「そうですけど、学校で問題になったりしませんか」
『なんも問題ないわ。せんせはいつも、なんもしてへんのやさかい、たまには役に立ってもらいましょ』
はっきり言うなぁ。先生は、ちょっと抜けてますけど、生徒思いのいい人ですよ。
『とこでむなくん。執筆の方は進んでるんか?』
「ぼちぼちですね。ふたつ目の作品が、もうじき書き終わるところです」
『そうかぁ。むなくんのその小説、読んでみたいなあ』
部長の何気ないひと言に、胸がどきっとする。
部長も柚木さんと同じで、俺の小説をやたら面白いと言ってくれる。
一作目の三国志も読みたいと言うから、小説のファイルをフリーメールで送信したら、面白くて三回も読んだと絶賛してくれた。
部長は、俺がめげないように、そっと気配りくれているんだ。
『その小説、前みたいに、うちに送ってくれんか?』
「いいですけど、大して面白くないですよ。市販のミステリー小説をパクっただけですし」
『むなくんの小説は、おもろいけどなあ。しかも今回はミステリーなんっ?』
「はい。去年の文化祭に書いたのと同じ感じですよ」
『あの屋根裏のやつな』
「はい。密室トリックとかも書きましたけど、まんまパクリですからね。わかる人が読んだら、すぐにばれますよ」
受話口から部長の微笑む声が聞こえる。
部長って、ミステリー小説が好きなのかな。
そもそも小説なんて読まないタイプだと思ってたけど、なんだか意外だ。
『密室トリックを考えるんは、ややこしいからな。パクるんは、しゃあないんではおまへん?』
「できることなら、いちから考えてみたいですけどね。学校の文化祭で披露するだけですから、パクっても問題にはならないと思っていますが」
『その通りやわ。むなくんは真面目やなあ』
「単にびびりなだけですよ」
余計な話をつづけると遅くなってしまう。背筋を正して、スマートフォンを持ち直す。
「部長は、小説を書いてくださるんですか」
『うちか?』
「はい。文研のみんなは、俺の提案を受けてくれてます。ですが、部長が小説を書いてくださらないと、みんな不満を感じます」
部長に意見するのは気が引ける。けれど、夏休みからずっと感じていたことだ。
部屋に長い沈黙が訪れる。受話口から聞こえる、わずかな騒音の正体が気になる。
『むなくんの言う通りやけども、うちは受験勉強をせんといけへんのよ』
突然の告白に、はっとする。
「そうですか。それでは、お邪魔するわけにはいかないですね」
『力になれなくて、すまんなぁ』
「仕方ないです。文化祭は俺たちでがんばりますから、部長は受験勉強をがんばってくださいっ」
部長は既に来年のことを考えている。
名門大学に進学するのなら、遅くても夏休みには受験勉強をしなければ間に合わなくなる。
納得した。部長の考えを。
いつも寝てばかりいるこの人が、将来をしっかり見据えて行動していることに、敬意すら払いたくなる。
だけど、どうしてだろう。俺の心には切ない気持ちが広がっている。
ひどく落胆している自分が、ここにいる。
『でな、そないなむなくんのために、小説をいっぱい書いてくれた人がおるんよっ』
部長の弾けるような声が聞こえる――。
「えっ、今、なんて?」
『そやからな、このまんまだと、むなくんがかわいそう言うて、小説を書いてくれた知り合いがおるんよ』
なんですか、それ。初めて聞いたのですが。
「部長って、そんな知り合いがいたんですか?」
『失礼やな。いっぱいおるよ』
「そうなんですか。部長ってそもそも、小説なんて全然読ま――」
ばたんと扉の開く音がした。振り返ると戸口に比奈子が立っていた。
寝間着のTシャツとハーフパンツを穿いた姿で、目を丸くしている。
「ああっ、また部長と電話してるっ」
面倒なタイミングで入ってきやがった。ちょうどいいところだったのに。
比奈子が怒り顔でつかつかと歩み寄ってきて、
「僕に隠れて、なに電話してんのよ。ことちゃんに言いつけちゃうぞっ」
俺のスマートフォンを分捕りそうだったので、俺はとっさに避難した。
「ちょっと待てっ」
「待てないっ。その電話を貸しなさい!」
『ほほ。その声はひなちゃんやな。ひなちゃんも、かいらしいなあ』
身勝手な妹のどこが可愛いんですかっ。
部長ってけっこう趣味が悪いんじゃないかな。
怒る比奈子を説得して、部長にも謝罪する。
俺は何も悪くないのに、どうしてこんな板ばさみになるんだ。
「すみません。部長。詳しい話は明日の部室で聞かせてください」
『ほほ。ひなちゃんによろしゅう』
比奈子は、俺の前で腕組みしている。
目を顔の中心から三十度くらいに吊り上げて、頭から角が生えそうな感じで俺をにらんでいる。
「部長に電話してたの?」
「そうだよ」
「なんの話をしてたの?」
「文化祭の勝負の話だよ。お前なあ、俺たちは本当に大変な状況なんだぞっ」
身振り手振りで大変さをアピールするが、その程度の労力で納得してくれるわけもなく。
「そんなの僕は知らないもんっ」
ふんとそっぽを向いて、完全にへそを曲げてしまった。
「ことちゃんに言いつけちゃうもんね」
「わかったよ。何をすればいいんだよ」
「知らないもん。明日、ことちゃんに言いつけてやるからっ」
柚木さんは文研の状況を知ってるから、比奈子から告げ口をされても誤解しないだろうけど、また花火大会のときみたいになりそうだしなあ。
漫研との勝負だけで手一杯なのに、比奈子や柚木さんにまで嫌われたら、俺は立ち直れなくなる。
「そこをなんとか。なんでもするから、許してくれよ」
「んじゃ、お菓子買ってっ」
お菓子って、お前は小学生かっ。へそを曲げている割りに、願望がしょぼいな。
「わかったよ。何を買えばいいんだ? ポテトチップか?」
「なんでもいいから、早く買ってきて」
「はいはい。わかったよ」
こんな妹のどこが可愛いんだかな。
十年以上もいっしょに暮らしているが、俺にはまったく理解できないぜ。




