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第90話 ラスボスがまたまた襲来!

「おうおう。今日もくそあちいのに、楽しそうにいちゃこらしてやがんな」


 狐塚先輩が、どすどすと音を立てそうな感じで部室へ入ってくる。


 文研の部員たちの視線には目も暮れない。


 先輩が、俺の近くまで来て俺を傲岸と見下ろした。


「てめえら雑魚のくせして、余裕しゃくしゃくってか。俺たちも随分となめられたもんだな。え?」


 狐塚先輩が俺のノートパソコンを覗き込む。お前なんかに俺の小説を見せるものか。


 ノートパソコンを閉じると、狐塚先輩が薄く笑った。


「反抗心だけは、いっちょ前ってか。かっかっか。けっこう、けっこう」


 乱暴な言葉で快活に笑う姿は、男子というより近所のおじさんだ。


 男装してパチンコ屋や競馬場にいたら、違和感がないんじゃないか?


「漫研の方は、どうなんですかっ」


「ああん?」


「勝負まで、一ヶ月を切ってるんです。漫画は描き終わってるんですかっ」


 まずい。声がふるえている。


 この人は曲りなりにもプロの世界で活躍する人だ。


 風貌が男勝りでも、女子としての魅力が欠けていても、細い全身に漂わせている凄腕のオーラは、偽りなんかじゃない。


 この人が青年誌に連載している漫画を夏休みに読んだ。


 ヤクザと裏社会を舞台にした壮絶な漫画だった。


 描写や世界観がとてもリアルで、主人公の極道もすごいわるで、読んだときは言葉が出なかった。


「心配すんな。俺様の原稿は既に描き上がってる」


 狐塚先輩が自信満々に言い放つ。右の奥歯で銜えている爪楊枝をとって、


「他のやつらは知らんが、少なくとも、お前らみたいに部室でいちゃこらしてねえ。文化祭までにゃ、完成した原稿がざっくざく描き上がるだろうよ」


 口を全開にして嘲弄した。


「うちの連中は、お前らと違って優秀だ。腰を抜かしてとんずらするやつは、ひとりもいねえよ」


 狐塚先輩が俺に興味をなくしたのか、首を動かして部室を見回す。


 先生に顔を向けると、「ひっ」と先生の口から悲鳴が漏れた。


 狐塚先輩が、怯える先生の肩に手をまわす。


「あいりちゃんよぉ。わかってるんだろうな。こいつらが負けちまったら、あんたも顧問の先生じゃなくなっちまうんだぜ」


「は、はいっ」


「教頭の言葉が単なる脅しだと思ったら、大間違いだぜ。あいつの考えが変わらねえように、夏休み中に猛プッシュしといてやったからよ」


 教頭先生が本気にならないことを期待していたのに、余計なことを。


「こいつらと、いちゃこらしてえんだったら、今のうちに降参しちまえよ。そうしたら、気分が楽になるぜぇ」


 狐塚先輩が先生を解放して、大笑いしながら部室を去っていった。


 先生は、口から魂が抜けてしまったように放心している。


 しかし、先生が椅子に情けなくもたれかかっている姿を、とがめることができない。


「先生っ」


 柚木さんが心配そうに声をかけるが、


「あたし、もうだめかも」


「先生?」


「今のうちに、降参すれば、だいじょうぶ、なのかも」


 先生が呪文のように言葉を唱えている。真っ青な顔で、目が死んだ魚みたいになっている。


 これはまずい!


「先生っ、しっかりしてください!」


 先生の肩を強くつかむ。先生が、はっと俺を見上げた。


「宗形くん」


「漫研に降参しちゃいけませんって。まだ負けると決まったわけではないんですからっ」


 先生が弱々しい目で俺を見る。


 よく見ると睫毛まつげが長い。瞳も大きく、アイドルみたいに可愛らしい顔立ちだ。


 先生の不安を隠せない姿は、とてつもなく魅力的だった。


 二の腕なんかも細いから、守ってやろうという男特有の気持ちが芽生えてしまう。


 そっと手を離す。先生がいつもの元気いっぱいの様子で、ガッツポーズをしてくれた。


「は! そ、そうよねっ。あたしが弱気になっちゃ、だめだよね」


「はい、そうです」


「あたしはみんなの顧問だもんね。そうと決まれば、宗形くんっ。あんなやつに絶対に負けちゃだめよ!」


 先生が急に立ち上がって、俺を指した。


「やっぱり、小説をもっと書かないとだめですね」


 狐塚先輩に改めて思い知らされた。今のままでは、あの人に勝てない。


 柚木さんや他の部員たちも、悄然と言葉が出ない。


「わたしも、パソコンが嫌いとか言ってる場合じゃないと思いました。がんばってもっと書きます」


 柚木さんが、向かいのノートパソコンのディスプレイを起こす。


 電源をきょろきょろと探す姿に、痛ましさを感じる。


「あの、告知とかも、した方がいいんじゃないかな」


 部室の隅から、か細い声が聞こえた。


 俺と先生が振り返った先には、先輩の沖野おきのさんが不安げに立っていた。


「告知、ですか?」


「うん。ほら、今回の勝負って、校内にまだ通知してないでしょ。みんなはまだ知らないから、文化祭で小説を発表しても、みんな気づかないと思うの」


 その通りだ。漫研との勝負を知っているのは、俺たちと木戸先生、あと比奈子くらいしかいない。


「だから、今のうちにビラをつくって、学校で配った方がいいんじゃないかしら」

「そうよっ。それ名案!」


 先生が叫んで沖野さんの肩を叩く。沖野さんの眼鏡が少しずれた。


「小説を書くだけじゃだめよ。ビラやポスターをつくって、じゃんじゃん告知しましょ」

「でも、そうすると小説を書く人が減ります。それは危険じゃないですかっ」


 心の底から警鐘が鳴っている。


 文研が、夏休みの合宿の前の状態へ戻るのではないか。


 柚木さんも絶句して俺を見上げている。


「文研の全員で小説を書くっていう、宗形くんの案もいいけど、小説を書くのが苦手な人もやっぱりいるから」


 先生が、ため息まじりに言った。


「そうですけど、俺だって小説を書くのは得意じゃないんですよ。俺ひとりじゃ漫研には勝てないですって」


「それもそうよね。だけど、ビラやポスターをつくるのも大事だし」


 先生が困惑して頭を抱える。ものすごく決断しづらい選択だ。


 ビラやポスターをつくることに異論はない。


 漫研だって告知や宣伝はするのだろうから、行動するのなら早い方がいい。


 だけど、告知や宣伝ばかりに気持ちを奪われるのは、もっとだめだ。


「わかりました。それなら、執筆する人と告知をする人を分けましょう。文化祭まで、まだ時間があります。告知をする人は、二人か三人くらいまでにしてください」


「そこはまかせて。先生がやるからっ」


 先生が急に息を吹き返して胸を張る。たわわに育った胸で、シャツの胸もとが揺れた。


「ビラとか配るのは、先生と沖野さんだけで充分よ。宗形くんやみんなは、小説を書いてっ」


「いいんですかっ? 先生なのに、こんなことをお願いしちゃって」


「いいのよ。自分の命運がかかってるのに、あたしは何もできなくて、歯がゆさを感じてたんだから」


 先生は合宿で俺たちに付き合ってくれたり、早乙女さんを紹介してくれたのだから、歯がゆさなんて感じないでください。


「そんな、やめてくださいよ。俺たちだって、まだがんばれますし」


「いいのっ。あたしだって、負けてばっかりじゃ嫌なんだから。宗形くんや柚木さんは、あたしたちのことは気にしないで、たくさん小説を書いてっ」


 先生にご足労をかけるのは申し訳ないですが、すごく嬉しいですっ。


 文化祭はもうすぐなんだ。きれいごとを並べられる余裕なんてないんだ。


 ああ、部長にまた電話しないとだめだ。


 部長はどうして、こういうときに限って部室へ来てくれないんだ。


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