第85話 夏祭りで木戸先生と再会
漆黒の闇に、炎の矢が打ち放たれる。
矢は闇の真ん中で消失し、八方に優雅な光の花を咲かせる。
夏の夜空に、色とりどりの花火が打ち上がる。雷のような爆音を響かせながら。
商店街をにぎわす人たちが、一様に空を見上げた。
打ち上げ花火の美しさと、大音量の迫力にみんなが驚嘆している。
次々と打ち上げられる花火の美しさと荘厳さに、俺も言葉が出ない。
花火の模様とか花火の打ち上げる順番は、花火師によって綿密に計算されているのだろうけど、素人の俺たちに、そんな難しいことはわからない。
この会場にいる観客のほとんどは、きっとこう思っているはずだ。
「きれい」
柚木さんが、籠巾着を抱えて花火に見入っている。彼女の素直な表情がとてもきれいだ。
「花火大会、はじまったね」
「うん」
にぎやかな比奈子も、膝を抱えて花火を眺めている。
「花火は、やっぱり近くで見た方がいいね」
「うんっ」
牡丹のような赤い模様が、夜空の一面に咲きすさぶ。
「ことちゃん。今日、誘ってくれて、ありがとうね」
柚木さんが驚いて比奈子に振り向く。俺も思わず顔を降ろしてしまった。
「ことちゃん。もっと近くで見よっ」
「あ、ちょっとっ」
比奈子が柚木さんの手を奪う。ふたりは商店街から走り去っていった。
今日は、ふたりきりにさせてあげよう。
空になったフードパックをごみ箱へ捨てる。腕を上げて、その場で伸びをした。
道路で立ち止まっている子どもや女子たちを避けながら、それとなく土手へ向かう。
夏休みは、もうすぐ終わる。二学期になれば、文化祭まであっという間だ。
文化祭の勝負に向けて、できる限りのことはした。
それでも、漫研と狐塚先輩に勝てる気はしないけど、何もしないよりマシだ。
力を尽くして勝てないのなら、仕方ない。副部長の座を降りてやるさ。
青い花火が打ち上げられる。ひとつの花火なのに、夜空に五つの花が咲いた。
それらのどれも色が違う。
青い花。赤い花。黄色の花。夜空を彩る花火はとても精巧で、よく見ると模様が全然違う。
八方に放射線を描く花火があれば、花びらのように、たくさんの光を撒き散らす花火もある。
一色の花火だけでなく、花火の中心と外側の色が異なるものもある。
素人の俺では、花火の違いなんてわからない。花火をつくる難しさもわからない。
それでも、あんなにきれいで種類の豊富な花火をつくるのは、きっと何年もかかるんだろうなと漠然と感じる。
小説も同じだ。小説のジャンル。テーマ。対象の読者。自分が書きたいと思うもの。
様々な要因によって、小説はがらりと形を変える。
同じジャンルでも、作者の個性や経験によって真逆の小説がつくられるし、同じテーマでも、やはり作者によってまったく異なる見解が生み落とされる。
この間まで、そんなことは考えたこともなかった。
怪我の功名じゃないけど、今回の勝負でかなり成長ができた。
狐塚先輩から、へんてこな勝負を持ち出されなければ、俺は去年から何も変わらなかったんだろうな。
文化祭を迎えるのは、怖い。だけど、やるしかない。
当日までに少しでも多くの小説を書いて、勝負に勝てるように最善の――。
「いたっ」
固いマットにぶつかる衝撃が正面から走った。
はっと我に返ると、眼前に驚いている人がいた。
「す、すみません! だいじょうぶですかっ?」
「ああ、だいじょうぶですよ。びっくりしましたけど――」
肌着のように白いTシャツに、黒のジャージを穿いている。
足にはランニングシューズまで穿いたカジュアルな人だ。
年齢は、二十代後半から三十代。
背がバレーボールの選手のように高くて、半袖から伸びる二の腕は太くて逞しい。
うちの学校の木戸先生みたいな人だ。人の良さそうな笑顔も、かなり似て――。
「木戸先生っ」
「きみは宗形くんかっ!」
そっくりさんだと思ったら、本人だったのですかっ。
「久しぶりだねえ。きみも花火大会に来てたんだね」
「はい。柚木さんに誘われたので、小間から電車で来ました」
「柚木さん? ああ、屋上できみといっしょにいた子だね」
「はい。そうです」
ランサムウェアの件で、先生と話をしたのは六月だったっけ。
「でも、きみはひとりじゃないか。彼女と喧嘩でもしちゃったの?」
「いえ。妹の比奈子とふたりでいるので、俺はひとりで別行動をしてるんです」
「そういうことか」
「そういう先生も、おひとりですか?」
「そうだよ。僕は近所だから、暇つぶしで歩いてただけなんだけどね」
「それで、俺とぶつかっちゃったんですね」
先生に頭を下げると、先生も謝罪してくれた。
「じゃあ、寂しいもの同士、その辺でもちょっくら歩きますか」
「はい」
「宗形くん。なんか食べるかい? たこ焼きくらいだったら奢るよ」
「いえ、だいじょうぶです。さっき食べましたから」
「そっか」
「先生は、お腹空いてないんですか?」
「僕もごはんは食べてきたんだよ。だから、お腹は空いてないね」
「そうですか」
土手の石段を降りる。花火が打ち上げられている会場の周辺は、観客が多くて入れそうにない。
「この辺でいいかな」
先生が土手の坂に腰かけた。俺もとなりに座る。
「高杉先生から話は聞いたよ。文研は大変なことになってるんだってねえ」
「漫研との勝負のことですね。はい。勝負に勝たないと、俺や先生は今の役職を剥奪されてしまうんです」
「そんな話になってるのか。教頭も人が悪いなあ」
先生が呆れて言葉を失う。
「教頭は、ああ見えて意外と道楽が好きなんだよ。僕もあの学校へ赴任して、すぐに新人芸をやらされたし」
「そうなんですか?」
「なんでもいいから、私たちを笑わせたまえ。笑わせられなかったら、きみはクビだよって」
「それは、ひどいですね」
「まったくだよ。クビと言うのは、口からでまかせだけどね」
「それでも、赴任したばっかりで、そんなことを言われたら、びっくりしませんかっ?」
「そりゃびっくりするよ! やばい、どうしようって、必死に練習したさ。お陰で、歓迎会は大爆笑だったけどね」
先生は白い歯を見せて笑った。
「で、先生は新人芸で何をやったんですか?」
「聞きたいかい?」
「はい、ぜひ」
「ヒコ太郎」
えっ、関西の怪しげなおじさんみたいな格好で、アッポーペンやったんですかっ?
「というのは嘘で」
「まぎらわしいタイミングで嘘つかないでくださいっ!」
「はは、ごめんごめん。そのときに流行ってたドラマのエンディングソングのダンスを踊ったんだよ。めちゃくちゃ練習したから、教頭先生に大受けだったよ」
先生も苦難を乗り越えていたんですね。
「後になって気づいたんだけど、あれは教頭からの試練だったんだよ。わざと無茶な要求を出して、僕たちを本気にさせる。きみも、今はめちゃくちゃ苦労してると思うけど、きみのがんばりを教頭はしっかり見ているよ。
だから、あんまり深刻に考えなくてもだいじょうぶだよ。勝負に負けたからって、本気で役職を辞めさせられたりしないから」
先生の言葉に心が軽くなる。
「だいたい、僕たち先生はともかく、生徒に手を出したらPTAから怒られるでしょ」
「あ、言われてみれば、そうですね」
「教頭でも、PTAには頭が上がらないからね。きみたちには手が出せないんだよ。だから、絶対にだいじょうぶっ」
先生が二の腕の逞しい筋肉を見せる。この人は、やはり生徒思いのいい人だ。
先生の言う通りなのだとしたら、夏休みの大半を費やして小説を執筆しなくてもよかったのかもしれない。
それでも俺は強く思う。漫研との勝負に勝ちたい。




